
「先生」と呼ばれる日
あらゆることをエッセイで書き続けてきました。
ワタシの文章をずっと前から応援してくれている人たちは、その時々で色々な波に揉まれて、時には言葉にして、なんとか前を向こうとしている姿を一緒に見守ってくれました。
そして多くのことを書いてきたワタシですが、その中には夢を語ったこともありました。
こんな風になりたい。
こんな未来を歩んでみたい。
こんな自分になりたい。
そうやって出来るかどうかはわからないけれど、小さな夢のカケラを一生懸命拾って、時には落としたりもして、叶えられるかもしれない奇跡を信じてきたような気がします。
多くのことは望みません。
ただ一つ、もう一度子どもたちの「先生」になりたい。
その夢は、保育園を辞めた頃からずっと持ち続けてきましたが、そう簡単に叶うはずがないから、時には涙を流して、声をあげて、泣いたりもしました。
そしてようやく、この春・・・納言はもう一度「先生」になるチャンスを掴みました。
あれだけ願っていたことが友人のたった一言で大きく前進して、そして保育士として、先生として、また子どもたちの前に立てる日を迎えようとしています。
無職の期間、色々な仕事をしてみました。
その多くは、周りの人たちが「大変ならちょっと手伝ってよ」という言葉から、会社に属する形ではなく、なるべく自由に、そして自分の心と相談できる形で、働ける道を与えてくれました。
わがままのような働き方だったけれど、それでも「ありがとう。助かったよ」と言ってくれて、「またお願いするね」と声をかけてくれたことを、ワタシは忘れません。
お金に困っていた頃、「大変ならうちにおいでよ。バイト代くらい出すよ」そう声をかけてくれた友人の優しさを忘れません。
保育園を辞めて、小規模園もうまくいかなくて、またうつ病が再発して、「ワタシは会社不適合者なんだ」と頭を抱え、減っていくお金に絶望をしたあの頃。
それも今となっては、大きな糧となったような気がします。
友人や周りの人たちに助けられて生活し、また友人に機会を与えてもらい、もう一度「先生」として働く道を進み始めようとしている今、過去のワタシとは少し違った考え方を持つようになりました。
辛い記憶も、傷ついた過去も、変えられることはできません。
新しい環境で働くことが怖いと思う気持ちがないわけでもありません。
けれども精一杯「好かれよう!頑張ろう!」と思う気持ちを、時間の流れとともに置いて行けるようになりました。
父は昔、ワタシにこんなことを言ってくれました。
「いいか。人はどれだけいいことをしても、どれだけ頑張っても、嫌う人は必ずいる。その理由はお前が思っていることよりも全然関係ないことだったりするんだよ。だから嫌われることを怖がるな。でもな、嫌ってくるやつの他に、お前のことを大好きになってくれる人も同じタイミングで現れるんだ。そんな時、お前は嫌ってくるやつの機嫌を取る人になるか、好きになってくれる人のことを大好きになるか、どっちの人になりたいと思う?」
「好きになってくれる人のことを大好きになりたい。でも・・・嫌われたくも・・・ないなぁ」
「父ちゃんもだよ。でもな、嫌いになる人たちにだってきっと色々事情があるんだろう。父ちゃんたちには理解できないような事情が。
だから、嫌ってくるやつのことを考えるなとは言わない。その代わり、大好きになってくれた人のことで頭がいっぱいになるくらい、その人たちのことを大切にするためにどうしたらいいかを考えなさい。そうすれば、嫌ってきたやつの一人か二人は、お前のことを好きになることもあるから」と。
この言葉は、子どもの頃から大人になる少し前まで何回か言われてきました。
けれども大人になってしまったワタシは、父の言っていた言葉を思い返す暇もなくて、嫌われている理由ばかりを探して、大好きになってくれた人のことを気にする余裕は無くなっていました。
だからきっと心の病になって、父の言った意味を知る時間が必要だったのかもしれません。
きっとこの先も、楽しいことばかりではなく、悲しいことも、辛いことも、落ち込むこともきっとあるでしょう。
けれども、「ずっとここで働かなくちゃ!」と思うのではなく、保育士としての夢を叶え、いつしかエッセイストとして多くの保育士さんたちの心に寄り添える本を作るための間、子どもたちと過ごす時間を贈ってもらえたと思うようにします。
そして保育園の頃のように、もう一度、子どもたちの笑顔を守り、一緒にあらゆる気持ちを感じながら、心の中の宝物ボックスに入れていこうと思うのです。
ワタシはやっぱり、保育の仕事が好きです。
そして保育士という仕事をしている自分が好きでした。
子どもたちの前では、本当のワタシでいられるから。
新しい園で出会った子たちの小さな手をにぎり、ぬくもりを感じながら、ワタシなりの幸せを見つけられるように。
ちょっとだけワガママに、自由に、過去の思いを抱きしめて、歩いていこうと思うから。