
雨宮 慧 信仰を養う主日の福音 13
あめみや・さとし●東京教区司祭。上智大学名誉教授。一九四三年、東京都生まれ。教皇庁立聖書研究所卒業。著書『主日の福音』〔A・B・C年〕(弊所刊)ほか多数。
神の母聖マリア●ルカ2・16‐21
1月1日 (本誌二〇二四年一月号五〇頁をご参照ください。)
主の公現●マタイ2・1‐12
1月5日 ( 本誌二〇二四年一月号五二頁をご参照ください。)
主の洗礼●ルカ3・15‐16、21‐22
1月12日
今日の福音は「民衆はメシアを待ち望んでいて」で始まる。メシアを待ち望むことになったのはなぜだろう。今日の福音直前のルカ3章1‐14節を読むと、理解できる。まずは2節後半から3節に「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」とあるからだ。
しかし、それだけではない。7‐14節にかけて、ヨハネがもたらす洗礼を求める群衆や徴税人や兵士が現れる。彼らは罪を犯しただろうが、ヨハネが与える洗礼を求めた人たちである。
そこで群衆はヨハネに「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねる。徴税人もまた洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言い、兵士もまた「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねている。群衆も徴税人も兵士もそれぞれに自分の罪深さを意識していることが表現されている。
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