「I Am Here-私たちはともに生きている-」 上映会
シスジェンダーはトランスジェンダーについてよく知らない。
私たちの社会システムはシスジェンダーであることを前提に作られている。だから、生まれた時に割り当てられた性で生きていけるシスジェンダーは、生まれた時に割り当てられた性とは違う性で生きようとする、生きているトランスジェンダーについて知る必要が無い。なので、シスジェンダーはトランスジェンダーについてよく知らない。
マジョリティであるシスジェンダーは、マイノリティであるトランスジェンダー(を含む、シスジェンダー以外のジェンダーの人)について全然知らないし、それは社会的な不均衡があるからだと、シスジェンダーの人は覚えておいた方がいいと思う。
ヒジュラや虎井まさ衛さんの本を子どものころに読んだことがあるので、トランスジェンダーの存在はなんとなく知っていた。けれどなんとなくはなんとなくでしかなく、実際にトランスジェンダーの人々がこの社会でどのように生きているのかは、最近までほとんど知らなかった。私がトランスジェンダー当事者の本やSNSでの発信をちゃんと見るようになったのは2019年の年始頃から。本当に最近だし、今も見えてないことや分かっていないことの方がほとんどだと思う。勉強になったし、映画としても面白かった。
この映画に出てくるのは普通の人ばかり。そして普通に生きるのは特別なことだ。あくまでみんな普通に生きてるだけなんだけど、社会制度がトランスジェンダー向けじゃないために、シスジェンダーより余計な苦労をしなくちゃならない。だからみんなで考えようよ、と社会制度によって存在する分断を越えることを呼び掛ける映画だと思った。
トランスジェンダーが、自分自身であることを公的な書類で認められるためには、現行の制度では全身麻酔が必要な大手術を受けることを余儀なくされる。この制度は個人の幸福のためにあるのではない。制度に合わせるため、人並み以上の努力を個人に強いている、制度のために個人に自分の身体を切らせているという指摘は、その理不尽さがとてもわかりやすかった。
見たこともない生殖器を手術で体から取り除き、その結果生殖機能が失われることを受け入れなければならない葛藤や、精神的、身体的、また金銭面での負担が大きすぎる。シスジェンダーはそんな負担なしに、自分自身の性で生きられるものね。様々な立場の当事者の口から語られるのを見ると、現行制度の理不尽さやおかしさがよくわかる。
この映画のインタビューをとっていた時点では、約9,000人ほどが性別適合手術を受け、自分が生きたいと思う性に戸籍変更したらしい。その中には心から性別適合手術を望んで戸籍を変更して、幸せになった人もいる。特例法があることで幸せになれた人の生は肯定されるべきだし、この映画でもそのように描かれている。
それでもこの9,000人の中には、心から手術を望んだわけではないけれど、性別変更のためや社会的なプレッシャーのために受けた人も含まれているんだよね。戸籍の性別欄の一文字を変えるために、どうして全身麻酔の必要な大手術を受ける必要があるんだ?手術を必要とする人が、もっと手術を受けやすくなる制度改善と、同時に公的書類の性別記載を変えるための高すぎるハードルを下げる必要があると思った。
トランスジェンダーの存在が法文に記載されたのも、特例法ができたことで生きやすくなった当事者もいることも重要なこと。ただ、性別適合手術までは必要ない人と手術を望む人の間に分断を作ったというか、特例法によって切り捨てられてしまった当事者もたくさんいたと聞いている。
手術を必要としている人でも子どもがいたら特例法の対象外になってしまことは当時、ロビイングをしていた当事者グループの中でも相当紛糾して、当事者同士が引き裂かれることにもなった。特例法ができた5年後の2008年に「子どもがいたらだめ」が「未成年の子どもがいたらだめ」に変わったけれど、子どもの年齢でどうして可否が変わるのかはよくわからない。他者の存在によって人権を制限されてはいけない、という三橋先生の指摘は正しい。他者の人権のために個人の人権が制限されることはあっても、他者の存在によって個人の人権が制限されてはいけない。特例法の子どもに関する条文はもしかしたら、子どもには「伝統的な家族が必要」という発想から出たのかもしれないけど、家父長制はセンスないからだめ。
「パス度」で生きやすさが変わるのは、この社会にある見た目の性別という固定概念が強すぎるせいなんだから、トランスシス関係なく考えてほしいし、変えていってほしいという訴えも重要だし、アウティングの話はやっぱりエグイよね…他人様のアイデンティティは話のタネにしちゃいけないって認識が広まる必要あるよ。
一時間のコンパクトなドキュメンタリーだけれど、それぞれの人の人生に根差した本当の言葉を束ねて、シスジェンダーの社会の中でトランスジェンダーが生きている姿を見せている。この社会の理不尽さを描き、変化を望みながらも、生きること、生かすことを希求していた。「とにかく死ぬな。生きろ」と口にする人が何人もいた。この映画が作られた目的のひとつには、トランスジェンダー当事者の子どもたちに、人生のロールモデルを提供するためでもあるのかもしれない。学校とかで上映してもいいんじゃないかな。
CODVID19の影響で映画後のトークイベントが無くなったのは残念だった。しかたないね。上映だけでも行けてよかった!あと、ところどころに出てくるイラストがかわいかったです。浅沼家のポメラニアンもおりこうなかわいこちゃんでした。最後のあいさつで浅沼さんが、今後は上映会もやって行きたいとおっしゃっていたの、実現するといいな。また見に行きたい。今回の上映会に来られなかった人も、見られるチャンスがあったら、ぜひ見てほしい。
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