風の強い日に
ギリギリ午前中のうちに掃除を終わらせ定位置の赤い椅子に腰掛けると、近所の家から掃除機をかける音が聞こえてきます。
吸い込んでるなあと胸が踊り、飲んでいるコーヒーはより美味しくなります。
人が掃除をした話を聞くのが好きです。
今まで見ぬふりをしていた玄関を掃除したと友人。彼女の背中を押したのは風水でした。綺麗になった玄関の左側に新しい鏡を置くんだそう。どちらから見た左側なのか尋ねると即答、<玄関の外から見た>左でした。
幸運は外から風に乗ってやってくるのかな。玄関から入って、そして反対側のベランダへと抜けていくのかもしれません。ゆく川の流れは絶えずして、だったら留まることはないのです。抜けていく前に捕まえるの?
そよ風なら捕まえられるんじゃないかしら。そよ風は秒速2メートル、意外と速いです。流れるそうめんよりもだいぶ、およそ4倍くらい速いです。とっさに捕まえるのは難しい気がします。3LDKを5秒ほどで吹き抜ける計算ですから。滑りにくい箸を持って待ち構えても、箸を竹に突き立てた瞬間にするりとふたつにわかれ逃げていく絵が目に浮かびます。
でも鏡の力を持ってすれば、もしかしたら捕まえられるのかもしれません。
掃除をするのも好きです。
掃除が終わった家の中をわーっと吹き抜けていく風を感じるのが好きです。
ここに抜け道があったとは。そんな顔して吹き込む風。
「や。吹き抜けられるか?」
お通り下さい、さあどうぞ。わたしの要らないものも、全部ついでにさらってって。こちらが入口、出口はそっち。ではまたね。ぐるっと巡ってまたどうぞ。
善きかな~と微笑みながらベランダへと放たれる風を、私はこのときいつも想像してしまいます。どこかでみた長くて白い神様。あれは名のある川の神様でしたっけ。
澱みは、いつの間にか家のどこかにできています。いつだっていつの間にかです。いつまでも風になれない澱み。むしろ、なりたくもなさそうです。
澱みは、重さに耐えきれず落ち、一枚また一枚と積もっていき、時間をかけてゆっくりゆっくり、やがて層になり、動かされてたまるかと意思を持つ。
わたしは、すこしの風ではびくともしない部分を、その頑なな部分を、掃除することで少しずつ、少しずつふやかしているのかもしれません。
ふやかされた部分は、玄関からの新しい風に揺り起こされ、驚かされ、かき回されて、窓へ、ベランダへ、空へ。舞い上がって力を持たない粒になって、風と合流し風自身になるのでしょう。
今日は朝から風が強いです。