わたしが考える「地方の豊かさ」とは
「自然豊かな環境で家族と一緒にのんびり過ごせます」
地方移住のうたい文句では、こんな表現を全国各地でよく聞く。
わたしは地方に住んでいて、地方の魅力を日々実感している。そんな私が移住者向けにアピールするとしたら「自分が必要な情報を自分でつかみ取り、土地の味わい深さを堪能し、
五感を刺激する日々を過ごせます」といったところか。
コロナ禍を経て地方移住の動きがみられるかと思ったが、東京一極集中の流れは相変わらずである。2023年は名古屋圏、大阪圏の大都市圏さえも転出者が転入者を上回り、人口が流出しており、地方の過疎化の加速が懸念されている。
国は地方創生の政策を打ち出してはいるものの、東京一極集中の傾向は継続すると思われる。国の大きな政策単位の話ではなく、小さな小さな私個人の話として、地方での暮らしの豊かさをお届けしたい。私が考える地方創生は、地方に住む人が地方の魅力を実感して生き生きとした生活を送っていることだ。
利便性の観点では、確かに都会の方が便利だろう。地下鉄は時刻表を確認しなくても数分おきに来るし、至るところにコンビニがある。教育の機会も豊富だし、新しいニッチなサービスはまず都会から始まることが多い。
人が多いということは、それだけサービスの需要があるということでもある。
しかし、利便性が高いということが「いいこと」と限らないとも思う。
24時間開いているコンビニがあることで24時間まちの灯りはつきっぱなしであり、都会では星空が見えることはない。
なにより、都会は情報が多すぎる。
道脇には店やオフィスがずらっと立ち並び、歩くだけでも看板からの情報で溢れかえっている。その情報全てを気に留めていたら、とても身がもたない。
人が多すぎることでも同じことが言え、すれ違う全ての人に気を遣っていたら身がもたない。そこで、人がたくさんいるけれども、人として関心を持たないようにしている。
電車の中で堂々と化粧をする女性は、空間を共にしている周りの乗客のことを「人」として扱うことはせず、目的地にいるデートの相手だけが「人」なのである。
目的地、目的の人だけを気にし、それ以外の情報は遮断せざるを得ないのだろう。
一方、地方では情報を自分で取りに行くことが求められる。
少ない情報から自分に必要な情報を、能動的に取りに行かなくてはいけないし、目的地へ急ぐのではなく寄り道の大切さも教えてくれる。
道を歩けば、主張をしていない民家かお店かわからないような建物があり、近づいて注意深く見ると、コーヒーなどのメニューが掲げてあり喫茶店だとわかることがある。
道端に多種多様な植物が咲いており、自分から近づいて観察することでその可愛らしさに気付くことができ、植物に親しむようになると、散歩しているだけでも解像度が上がりより楽しめる。
自分から情報を得ることで、よりその土地の魅力を体感できるようになる。
私の住む地方は、飲食店をはじめ全国的なチェーン店が少ない。
飲食店の場合では、これは全国どこでも同じく美味しい味を提供してくれるチェーン店という安心の存在はないかもしれないが、その土地の食を存分に楽しめる店が多いということだ。
日本は地形の違いから土地ごとに気候などの特色があり、農産物や水産物も変化に富んでいる。土地を知るには食べ物の存在が非常に大きい。その土地の水は、酒や米に影響を与えているし、景観、文化、暮らしぶりに影響を与えている。
地酒や土地の米、野菜を楽しむ店があることで、土地を満喫することができる。
チェーン店といった画一的な店が少なく、その土地らしさがあることで、地方のあじわい深さを楽しむことができる。
全国各地に魅力があり、その土地ごとの文化を楽しみたいから、旅行をしているという人も多いだろう。各地で根付いている文化を知り、伝えたいと。私もその思いは共通である。
一方で、知って伝える役割以上に、土地の人として文化を伝えていく存在も大切である。
私はその土地に暮らして、自分の土地として身体に染みこんだ文化を伝える立場になりたい。
住む土地は、利便性や環境など自分に合うところがあるだろうし、いろいろな事情や条件によって場所を選ぶこともあるだろう。
けれど、その土地に関心を持ち能動的に暮らしてみると、自分のまちを誇りに思い愛着がわき、日常の解像度が上がるだろう。
地域の人々とも積極的なコミュニケーションをとるようになるかもしれないし、暮らしにフォーカスを当てることができる。
私は「のんびり暮らしたいから」ではなく、活力のある人生を歩むために地方に暮らし、住む場所への積極的な関与のある生活を送っていきたい。
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