路傍のすずめと空模様
路傍にすずめが5、6羽ほど集まっていた。すずめが集まって暖をとっているように見えて大変微笑ましい。
おそらく対面からやってきた眼鏡のかけた男性も同じようなことを考えていたようだ。すずめの集合を一瞥した後、マスクの上に乗った目が笑っていたように見えた。
しかしすずめというのは人が近寄るとすぐにどこかへ飛んで行ってしまう。
今回の場合も例にもれず、私がすぐ隣を通りかかるタイミングですずめのおしくらまんじゅうはあっという間に離散し、彼方へ消えてしまった。
さて次に何を考えるだろうか。何を視野にいれるだろうか。
わたしはもうすこしそのほほえましいさまを傍で見たかった、あばよくば写真でもとってみようと思っていたのに、と少し残念に思ったのだが、次に「何が大勢のすずめをあの場所に惹きつけていたのだろうか」ということが気になりはじめる。なので、視線を足元に移し、もともとすずめがいた場所を確認した。
すると雪の中に埋まっていた木の実がほじくり変えされたような跡を発見しこれか、とおもった。えさがあったからみんなで集まっていたのか。
理由がわかり満足しつつ、何気なく目の前に目線を戻すとさきほどの男性が空を見上げていた。
あぁ、この人はそっちか。
どこへすずめが飛んで行ったのかの方が気になる人だ。
私はすこしおもしろく感じた。
私はわからない。どのようにすずめは離散し、空へ消えていったのであろうか。それぞれ四方八方にちらばったのだろうか。それとも同じ方向に列をなしてとんでいったのであろうか。
冬の澄んだ寒空にすずめが描く軌跡さぞかしきれいだっただろう。私はそれを知らないし、きっと彼にしかわからない。
そしてえさの存在は私だけがしっている、と言いたいのだがそういうわけでもないのかもしれない。もしかすると木の実の存在を認識したうえで空を見上げたのかもしれない。それも彼しか知らないのである。
私も空を見上げたが、もちろん時は既に遅く雲が浮かぶばかりであった。