鮮やかなときめきをあつめて
「今年はちゃんと大掃除しようね」
それは温厚な同居人の優しい催促であることを私はちゃあんと知っている。
部屋が汚い。物が床に散らばっている。同居人は一回出張にいったら4か月くらいはかえってこない。その間に一気に汚くするのは私だ。もともと私が一人で住んでた部屋なので家の中の物はほぼ私のものだ。それに加え、同居人といえどあまり自分のものを触ってほしくないので掃除するのも私しかいないのである。
「ブックオフとか行くなら車出すけど、いつにするの?」「キッチンは、きれいにしといたよ」
3日に1回、同居人はやんわりと私を掃除へと誘導する。
極めつけは「KonMari ~人生がときめく片付けの魔法~」をネットフックスで私にみせ「ものを捨てるかどうかの基準って、「ものを見て、ときめくかときめかないか」なんだよ」と主張してくるようになったことだ。
画面の中で「マリエのおかげで人生が変わったわ!!!」とマリエを崇拝するアメリカ人を見ながら思う。
同居人は自分のスペースはちゃんときれいにしているし、おいしい料理どころか手作りシュークリームまで振舞ってくれる。なのに4か月振りに帰ってきたら部屋はこのざまだ。私は座敷童じゃないか。そのときめきとやらでわたしも断捨離してみよう。
◇
本の整理を終えた。本に至っては「ときめき」をはかるのはとても簡単だった。言葉で説明できる「好き」、言語化できないけど感覚的に「好き」。その差はある。しかし本を読む事は私の生活と切り離せないからこそ、「好き」に対して自覚的で、好みかそうでないかを判断するセンサーはだいぶ機敏に動く。よく使ってるセンサーだから。
ということで社会人1-2年目の病んでた時に、何か答えが書いてあると思って買った大量の自己啓発本は処分することにした。(松岡修造の本はなぜだかときめいたので、とっておく。)
問題は服だった。「とりあえず楽で変にならなければいいや」と思い買った服はどれも似たり寄ったりだった。色は黒、グレー、茶色。ボトムは足が目立たないようなワイドパンツ。そろいもそろってすべて同じ形だった。とりあえずワイドパンツが好きなんだな、ということが今更わかる。
似たような服をひとつひとつ吟味し、取捨選択をした。「ときめき」というよりは「消去法」だろう。センサーが鈍い。
散らばっていた服を一つに集める。モノクロの衣類の山がだんだんと大きくなる。そこから一つ一つ必要なものを選び取っていく。
淡々と作業をしていると、黒と白の間から、色味が見えた。なんだろうと思い、まさぐり引っ張り出してみる。
青だ。引き上げると、ひらり、と舞い上がるスカート。黒い瞳に瑠璃色を映した。瞼が自然と上がる。
ひざがちょっと隠れる、青よりももっと濃くてむらさきがかった瑠璃色のスカート。自分のアルバイト代でどきどきしながら自分でほしいと差し出した。私だって鮮やかな色のスカートが欲しかった時期があった。
それでもビビットな色は気後れしてしまうから、濃い青を指さした。そんな記憶がよみがえった。
錆びついたセンサーが動く。
あの時は合わせてワンポイントの白いTシャツを着れば十分快活に見えた。でも今は幼く見えてしまうかもしれない。黒のタートルネックのセーターとだったら合うかなぁ。
入社一年目の時、助けられたのは買い込んだ自己啓発本ではなくて、好きな本や映画だった。お前なんかいらない、と言われた時は、お望み通り消えてやりたかった。それでも「生きていればこんなおもしろいことや楽しいことがあるって知ってるのに、こんなことで消えてたまるか。」という思いが私を、支えた。
「ときめき」は集めたもん勝ち、だと思うから、私は瑠璃色のスカートを思い出せて、また一つ、自分を守る鎧を手に入れた気がした。
◇
「へぇ、そんなのもってたんだね。」とスカートを持ち上げている私に、めずらしそうに同居人が言う。
「そう、これハタチくらいの時に買ったんだけどまだ似合うかな。」
似合うって言ってくれる人だ。わかってて聞く私はずるいのだろうか。
「今度のお出かけの時に来てみなよ、きっと似合うから」
同居人が言う。思いがけず乙女らしく染まったほほを、手に持っていた瑠璃色で打ち消してしまった。今のところ一番守りたい「ときめき」だ。