小悪魔な猫の思い出
最近、猫がかわいい。いやもともと猫は好きだったのだが、さらに愛が募っている。Twitterでの猫画像あさりや猫youtuberの発掘が止まらない。まっしろなタオル生地のような毛なみのスコティッシュフォールドも好きだし、灰色の気品のあるロシアンブルーも好きだ。ごはんを食べている様子、布団をふみふみしている様子、おもちゃで遊んでいる場面。実際猫を飼いたいくらいなのだが、「まず自分のお世話ができていない」というところが恥ずかしながらあるので、ひたすらyoutubeで猫飼いたい欲を抑えている次第である。
猫が私にとって一番身近だったのはクロとシロが生きていたときだ。昔祖父母の家で飼っていた二匹の老猫のことである。「クロ」は名前の通り黒猫で、「シロ」は茶色と白色の三毛猫だった。もともとは息子二人、つまり私の父と、私の叔父にあたるのだが、それぞれ拾ってきたてのひらサイズの子猫だったらしい。クロは、カラスに狙われていたのを父が助け、シロはおなかをすかせて叔父さんの持っていたおいしそうなものにつられ、ついてきたという。祖父は、猫を飼うことに猛烈に反対したようだが、あどけない子猫の姿に、反意を翻し意気揚々と名前を付けた、いや、名前を付け替えた、らしい。つまりもともとは「クロ」「シロ」ではなかったのだが、勝手に「クロ」「シロ」とそれこそねこなで声で呼び続け、子猫にそれが自分の名前だと刷り込んだ。それがあまりに安直な名前の由来らしい。そんな風に二匹がお家にきたのが、私が生まれたころくらいの話と聞いている。話だけ聞くと「か弱い子猫」だったのだなぁ、と思う。
記憶の中のクロとシロは既に大人だった。そして、祖父が唯一笑顔を見せていた相手がクロとシロだった。既に祖父は15年ほど前に他界しているのだが、記憶の中の祖父はひたすら気難しい、という印象しかない。いつもストーブの前の座椅子に座りながら煙草を吸い、そこから動かなかった。親戚一同で外食にいこう、出かけよう、という時にも祖父だけいつも家にいた。どこかに一緒に出掛けたという記憶がない。そういえば「人生ゲーム」は一緒にやってくれた、家でできるボードゲームでは一緒に遊んでくれた、と思ったが、私たちを含めた孫のうちの誰かが、負けてキーっとなったり、ぐずったりした時点でもう駄目で、祖父は感情のブレーキが利かない孫に対して激怒しまう、等ということがよくあった。
だからこそ、祖父と仲良くしているクロとシロ、すなわち猫は少し気難しい動物だ、という印象は私の中でしばらく偏見として残った。
もちろん、クロとシロに幼心に触ってみたい、仲良くなりたい、という気持ちはあったのだが、どうも私たちはまだ子供で作法がわからず、ぶしつけに触っては勢いのあるパンチだの、シャーという威嚇だのをお見舞いされ、なかなかうまく交流ができなかった。かといって祖父にはなれなれしく近寄れなかったので、私たちが猫と仲良くなるカギは祖母が持っていた。座っている祖母の膝に「なでろ」とばかりに小突くクロとシロ。すると祖母がクロとシロの毛をブラシでとかす。そのすきに私たちは祖母の横に座り、おそるおそる猫の背中を撫でたものだった。本当は頭を触ると実に気持ちよさそうに目をつぶるのを知っていたのだが、ぶしつけに頭を触るのがなんだか少し怖かったので、いつも背中を撫でていた。そんな猫の体温を恐る恐る感じていると、さすが猫、気まぐれなのか、「もういいわ」とでもいいたげに急に立ち上がり、体じゅうの毛を振り払い、颯爽とリビングを駆け回る。
だいたいいつも、そんな感じでクロとシロとは付き合っていたのだが、たまにクロとシロから自発的に近寄ってくることもある。例えば、大人たちが作ってくれる夕飯の給仕のために台所で立っていると、クロが私の足をめがけて頭突きした。かと思えばその勢いで股を通り抜け、再び先ほど小突いた足とは逆足にも突進してきた。それを何度か繰り返す。猫の八の字ダンスである。また、例えばシロは祖母と間違えてなのか、私が胡坐をかいてテレビを見ていると、足に頭をのせてきて、なでろと催促してくる。
こんな風に本当にたまに、なのだが、体じゅうを撫でまわしたのが、祖母だけではなく、私たち子供だということをたまに覚えていて、あちらからじゃれついてくれることがある。いつもはつれないあの子が今日は優しい。そんな日がとても嬉しかったのを覚えている。
こうして飴と鞭を使い分けられた、というか、そんな風に小悪魔的に魅了してきたという原体験があるんだもん、それはいつ爆発しても仕方ないよな、とも思いながら今日も猫を愛でてしまうのである。