グラウンドの片隅にいた子猫のこと
わたしは現在、猫好きの夫とふたりで暮らしています。
夫は、毎日欠かさず猫の動画をみていて「かわいいねえ」「どうちたの」赤ちゃんをあやすように、タブレットに話しかけています。
わたしはどちらかというと、猫はすこし苦手です。かわいいけれど、体やおでこをちょっと撫でるので精いっぱい。人懐こい猫に甘えられると、どうしていいかわからずに体が固まってしまいます。つんとしたりデレっとしたり、犬と違って距離感がつかめない、そんな存在です。
今は賃貸住宅に住んでいるので動物を飼うことができませんが、いつか猫を飼いたいね、と夫と話しています。もしそうなったら、忙しい夫の代わりに、わたしがお世話をすることになるのでしょうけれど。
そんな猫好きの夫と、猫との距離感がいまいちつかめないわたしが、迷子の子猫に出会った話をします。
子猫をみつける
晴れた秋の日。スポーツを観戦しに、ある競技場へ行ったときのことです。
スタンド席で応援をしていましたが、あまりに日差しが強かったので、日陰のある場所に移動することにしました。
競技場のまわりを半周して、やって来たのはスタンド席の反対側にあるゲートです。頑丈なフェンスがあるものの、木陰があり、試合もよく見えます。もともと観戦無料の大会ですので、持参したシートを芝生に広げて観戦していました。
しばらくすると、大きな歓声とともにどこからか「みゃー、みゃー」と鳴き声がしました。あたりを探すと、フェンスの先のベンチの下に、黒い色の子猫がいました。
遠目からでも、ちいさい猫だとわかりました。そして、近くには親猫や仲間がいる気配はありません。
子猫が選手たちのいるピッチに入ったら危険です。おーいとフェンス越しに声をかけると、子猫はゆっくり立ち上がり、手足をぶるるっと震わせて、すぐに伏せてしまいました。その後もわたしたちの声に反応しては鳴いて、立って、伏せての繰り返し。
子猫は元気がありませんでした。せめて水だけでもあげられたらいいのに。グラウンドでいきいきとプレーする選手たちと、弱った子猫のいる光景はずいぶん対照的で、違和感を覚えました。
こっちへおいで!
しばらくして、警備の方がパトロールのため近くを通りました。
わたしたちは警備員さんに、グラウンドに動けない子猫がいると大会の方に伝えてほしいとお願いしました。すると、子猫のことはすでに本部へ報告してあるとのことで「もう一度伝えておきます。ありがとうございます」とおっしゃいました。
まず子猫の安全を確保する必要があります。子猫が少し歩けそうなのを確認すると、夫がおもむろに動画(※1)を流し始めました。それは猫の鳴き声を編集したもので、なんでも「猫が絶対に寄ってくる」のだそうです。
そんな不思議なことが起こるのかしら。わたしは半信半疑でしたが、動画を流し始めてものの数秒で、子猫の様子が一変しました。
これまでにない、とても大きな声で「ぎゃーっ、ぎゃーっ」と叫んで立ち上がると、夫の方へトコトコ歩き始めたのです。
「おいで、おいで!」子猫は鳴きながらフェンスの隙間を通り、競技場の外にいるわたしたちのところへ出てきました。
きみはどこにいたの?
子猫はやせて、かなり汚れていました。体中の毛はポマードをつけたようにぺたりと固まり、おでこは丸く毛が抜け、からだには細かい枝や、なぜか鳥の羽根がついていました。もしかすると粘着力の強い、ねずみ取りか何かにかかってしまったのかもしれません。
「ずいぶんきったないなあ。どこにいたんだ。」夫はためらうことなく子猫を抱え、近くの水飲み場まで連れて行きましたが、子猫はひと口も水を飲みませんでした。
こまったな。
ふと、車の中に猫のおやつがあるのを思い出しました。以前、地域猫が暮らす神社で、寄付を兼ねてチューブのおやつをいくつか購入したのです。夫はそれを取りに行ってくると言い、慌てて駐車場へ向かいました。
途方にくれる
猫との距離感がつかめないわたしにとって、弱った子猫とふたりの時間はとても長く感じました。「もう大丈夫だよ」「みゃー」お互いに途方に暮れながら、会話らしきものをしていたように思います。
子猫の目には瞳の色がわからないほど、目やにがびっしり付いていて、立ち上がるたびに手足をぶるぶる震わせます。タオルでからだを撫でてみましたが、ベタベタは取れません。(この場合、米ぬかや小麦粉などを揉みこませてから、食用油やベビーオイルなどで溶かし、せっけんと水で洗うのだと、あとで知りました)
子猫がうろうろしながらフェンスの方へ戻ろうとしたので、お腹を掬うように抱えました。手のひらに乗った子猫のお腹は軽くべたりとして、ごつごつとしていました。
15分ほどして夫が戻ってきたときには、全身の力が抜けました。
おやつを小皿に入れると、子猫はあっという間に平らげ、おかわりを2回もしました。そして水も数口飲みました。
動物愛護センターへ
同じころ、先ほどの警備員さんと大会のスタッフの方がやってきました。子猫の様子を伝えると、怪我をしたり弱った子猫は管轄の動物愛護センターへ届けることになるとおっしゃいました。
そして「食べ物まで用意してくださりありがとうございました。あとはこちらでしっかり対応させていただきます。」子猫を箱に入れて、帰っていきました。
数日後、動物愛護センターの迷子情報に、あの子猫が掲載されていました。写真はありませんでしたが、収容場所や毛色、大きさが一致していて、備考欄には「衰弱」とありました。そして、雌猫だったのをはじめて知りました。
大会の方が手続きをしてくださったことに感謝するとともに、子猫がなんとかその後も生きていてよかったと、心からほっとしました。
つないだいのちと、残るしこり
たくさんの人の手を伝って、つなぎとめた命。けれどわたしには、しこりのようなものが残りました。
夫のもとへ向かう子猫の姿を見たとき「助けることができる」と安心したと同時に「大変なことになった」とも思いました。我が家は賃貸住宅で、動物を飼うことができません。助けたはいいけれど、子猫をどうしたらいいの。情けないけれど、現実問題が頭をよぎりました。
それに、動物愛護センターのホームページには、迷子の犬猫の収容期間は9日間とありました。もし、飼い主のもとに戻れずに9日経ってしまったら、あの子猫は、動物たちはどうなるの。
これでよかったのかな。
勇気には、勇気を
毎日、子猫の情報を確認して「今日も生きてる」「今日も生きてる」と自分に言い聞かせていました。
ああ、どうしてこんなに気になるんだろう。
思い出すのは、よろよろと走ってきた子猫の姿。
わたしたちを警戒することなく、力を振り絞ってまっすぐ向かってくる姿は「生きたいよ」と訴えているようでした。きっと、すごく勇気がいっただろうな。
それと、子猫を手のひらに乗せたときに感じた、つよい気持ち。
とても軽かったけれど、たしかに生きていて、いのちの重みをずしりと感じたこと。勇気には、勇気をもって応えなきゃいけない、と思ったこと。
やがて子猫の掲載期間は終了を迎え、何度も開いたページは無くなってしまいました。
もう、子猫のゆくえを知ることはできません。
できることならご飯をいっぱい食べて元気を取り戻してほしい。そして優しい飼い主のもとで幸せな生活を送ってほしいと願っています。
気づいたこと
わたしの住む県では、令和2年に1,109頭の迷子の犬猫を保護し、そのうち683頭が新しい飼い主へと譲渡されたそうです。また譲渡率(引取数から返還数を引いたもののうち、譲渡となった頭数の割合)は81.4%です。殺処分は年々減少していて、ゼロを目指す計画が掲げられていました。(※2)
そして、県内には多くの動物福祉団体があることを知りました。たくさんの方々が、地域との共生をはかるために「さくらねこ」「地域猫」の地道な活動をされていること。動物たちを受け入れる環境を整えるためクラウドファンディングが行われていること。そして去勢避妊手術やワクチン接種には、たくさんのお金がかかること。
どれも知っているようで、知らなかったことです。というより、知ろうとしなかったこと、見て見ぬふりをしていたこと、かもしれません。
子猫と出会ってから、街のポスターやSNSで流れてくる動物たちの迷子情報や譲渡情報をチェックするようになりました。
「この辺りでいなくなっちゃったんだ。顔を覚えておこう。」
「あの子犬には新しい飼い主さんが見つかったんだ。よかったね。」
小さなことかもしれないけれど、わたしにとっては大きな変化です。これからも出来ることを、探していきます。
【参考文献・資料】
※1【メス猫用BGM】猫が絶対に寄ってくる音・鳴き声 集【全15種】ロングver・猫用・ASMR・反応する・音フェチ・作業用 動画 リラックス
https://m.youtube.com/watch?v=vtKTV7LXvfA
※2栃木県動物愛護管理推進計画(第3次)
https://www.tochigi-douai.net/suisin.html
記事を読んで頂きありがとうございます(*´꒳`*)サポートをいただきましたら、ほかの方へのサポートや有料記事購入に充てさせて頂きます。