わたしを忘れてもいいよ #私が見たゆめのせかい
深い深い青。まるで海のなかにいるみたい。
透明で、澄んでいて、でもどこか強い光を放っている。
画家ゆめのさんの作品を何度か目にして、わたしが抱いていた彼女のイメージだ。
今回、ゆめのさんの作品をモチーフとしたコンテスト「私が見たゆめのせかい」へ参加するため、あらためて作品をひとつずつ拝見した。どれも宝石のようにキラキラと輝いている。きれいだな。
眺めているうちに、ひとつの作品から目が離せなくなった。
それは「わたしを忘れてもいいよ」。
タイトルだけ見れば、なんとなく寂しくて、永遠の別れを現しているのかなあ、と思う。
けれど、キャンバス一面に広がるのは、鮮やかなピンクだ。叩いたような筆跡と、あぶくのような白、そして奥に見え隠れするオレンジ。優しいけれど、どこか燃えているようにも見える。
別れを連想させる言葉なのに、なぜか熱のようなものを感じた。
きっと、深い、深い意味があるのだろうなあ。じっと作品を見つめているうちに、わたしはその意味を知りたくなった。
◇
わたしを忘れてもいいよ
どんなときに口にするのか考えてみる。
たとえば、ひとつの恋愛が終わって、相手の幸せを願うとき
どうか、あたらしい人を見つけてほしいと願うとき
こう捉えるのが普通かもしれない。そういえば、最近観た海外ドラマでも、主人公がもう二度と会うことのない愛する人に「わたしを思い出さないで」と言ってたっけ。
でも。
なんだかいかにもという感じで、どこかもの足りない気もする。
それに忘れてもいいだなんて、わたしなら言わない。寂しすぎるもの。恋愛経験も数えるほどしかないし、きっと「忘れないで」と言ってしまいそうだ。
絵を思い浮かべて何度も何度も考える。けれど、いつになっても答えは出ない。
わからない。なのに、どうしてこの作品に心が揺さぶられるのだろう。ただ、時間だけが過ぎていた。
先日、noteを彷徨っていたとき、あるひとつの詩を見つけた。
思い出さないでほしいのです
思い出されるためには
忘れられなければならないのが
いやなのです
『思いださないで』寺山修司
何度も読み返して、その意味を考える。
「思い出す」ということは「忘れられる」から起こるものであって、つまりわたしには気持ちがもうないということ。
「忘れていた」から「思い出す」のだ。
好きだから、愛しているから、あなたに忘れられたくない。
今まで忘れられていたという事実が耐えられない。だから、わたしを思い出さないで。
忘れたのなら、いっそ忘れたままでいて。
複雑な心理だけど、それほどまで、相手を想っているんだなあ。
何かが、つながりそうな気がした。わたしは眠りに落ちるそのときまで、思いを巡らしていた。
◇
記憶や思い出と忘却は、常に行ったり来たりするものだ。
ひとは常に誰かと出会ったり、なにかを経験しながら生きている。そして、現在が過ぎたその瞬間から過去になる。今起こっていた出来事が、過去のものとなり、記憶とか思い出に変わってゆく。
そして、過ぎ去った記憶を忘れては思い出し、また忘れる。その繰り返しだ。
小さい頃に友だちと日が暮れるまで遊んで楽しかったことも、仕事で認められて嬉しかった出来事も、挫折して悔しかったことも全部、ある時に思い出し、また忘れる。
恋も、愛もそう。終わった瞬間に、思い出や記憶に変わってゆく。
「思い出す」ということは「忘れる」ということ。そして「忘れる」ということは、また「思い出す」こと。どのくらいの周期かわからないけれど、ぐるぐるとまわるのだ。
◇
わたしを忘れてもいいよ
忘れてもいい、か。
じゃあ忘れたらどうなるの?
ゆめのさんの作品を眺めながら、見えない糸をたぐり寄せる。
ひとは物事を思い出しては忘れ、忘れては思い出す。
ということは、わたしを「忘れる」ということは、わたしを「思い出す」ことにつながる…
はっとした。
「忘れる」と「思い出す」の繰り返しをつらいと捉えるか、前向きに捉えるかは違うけれど、根っこにあるのは、あの詩とおんなじだ。
見つけた気がした。
わたしを忘れてもいいよ
それは
忘れてもいいよ だから、いつかまたわたしを思い出して
ことばの奥深い、深いところにあるのは、とても強い愛。
いつまでも消えることのない、相手を想う気持ちがそこにある。
そうか。だから、今もなおパチパチとはじけながら燃えているんだ。
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