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素人が20人の飲み会から個人主催イベントで独立起業するまでの話

こんにちは。

イベントづくり先生のオーガナイザーM(@organizermanual)です。

このnoteではこれから個人主催イベントを開催したい人や駆け出しのイベントオーガナイザーの助けになる知識やノウハウ、失敗談を含む経験などを発信しています。

イベント初心者にとって最大の疑問は「このイベントはこの先どうなっていくんだろう?」とか「あのイベントはどうやって大きくなったのだろう?」ということじゃないかと思います。

この記事では、私がただの飲み会幹事からイベンターとして起業した過程をなぞりながら、その間の成功や失敗の経緯なども踏まえてご紹介します。

もちろん、イベントの定着や拡大の道筋はこれだけではありませんが、1つの事例として、読者の皆さまの参考になると幸いです。

最初のきっかけ

私がイベントで起業するきっかけになったのは25歳の時に開催した20人だけのあるアニメファンの交流会(いわゆるオフ会)でした。今から20年近く前のことです。

当時はmixiというtwitterの前に流行っていたSNSで参加者を募ったのですが、ネタのチョイスが当たったせいで直ぐに定員がいっぱいになってキャンセル待ちの状態になりました。会自体もたいへん盛り上がりました。この100%幸運による成功が全ての始まりです。

そんな最初のオフ会で意気投合した5人が中心になってオフ会の運営を継続することになりました。

界隈ではちょっと名の知れたオフ会幹事さんへ

初開催の2ヶ月後、5人の幹事チームで、同じテーマのオフ会を50人のダイニングバーを貸し切って開催しました。

何の考えもなく、ノリで結成された「運営チーム」には幸運にも、言い出しっぺの私の他に、大手勤務の優秀なサラリーマンやデザイナー志望の学生、放送作家見習い等、イベントに必要な作業を分担してくれるやる気に溢れたメンバーが含まれていました。

こうした「私って超幸運だな!」と感じる予期せぬ成功は、駆け出しイベンターの多くが、事の大小はあれど経験しているのではないかと思います。

更にその半年後にはライブハウスを貸し切って、ただの飲み会ではない、ちょっと企画色の強いオフ会を企画してみたり、「運営チーム」の余暇の楽しみとして色々なことに挑戦していきました。

3年ほど経過する頃には「運営チーム」は10名程度に増え、イベントも毎月100人程度が集まる飲み会を中心に、複数の企画を並行して実施するような状態で、私は界隈ではちょっと名の知れたオフ会幹事さんというポジションになっていました。

オフ会から個人主催イベントへの脱皮

以前に別の記事でも触れたのですが、2000年代後半は2ちゃんねるやmixi、ニコニコ動画といった初期SNSの勃興期で、私のようなちょっと名の知れたオフ会幹事さんがあちこちにいる状態でした。

新しいオンラインのコミュニケーションツールが普及すると、そのツールをきっかけとしたオフラインでのイベントが盛り上がる傾向があります。但し、ツールが変わるとイベントの形態もガラッと変わることがあります。

私にとっては、twitterの登場がそれでした。

2009年に、企画したDJイベントを初めてtwitterを活用して告知したしたところ、今で言う「バズった」状態になり、用意した500人収容のライブハウスに収まり切らない参加者が殺到する事態になりました。

あらかじめ参加者の名前や簡単なプロフィールくらいは把握できていることが当然のオフ会しか知らなかった私は、このトラブルの初動対応を誤り、新宿歌舞伎町で深夜11時スタートの会場に入りきれなかったお客さんを1時間以上も路上で待たせた挙げ句、終電が終わってから「入場できません。解散してください」と告知するという最悪の決定を下しました。

これが最初の分岐点となりました。つまり…

1.これまで通り「余暇の楽しみ」で済む状態に戻す
2.この反省をチャンスと捉えて、イベンターとして前に進む

どちらが正解ということはないのですが、私は2つ目を選択しました。

当時、自分が「イベント主催者」や「オーガナイザー」などと大袈裟に名乗るのが気恥ずかしくて、あくまで「飲み会幹事さん」だと言い張っていた自分を改め、イベンターとして腹を括ることにしたのです。

その結果、「運営チーム」は一度解体。その後も残ってくれた人もいれば、流石に責任を負えないということで、いち参加者としてイベントを楽しむことにしたメンバーもいました。参加者も同様に、アットホームな飲み会の延長でいたかった人は離れていきました。

1000人規模のイベント主催と試行錯誤

少し時系列を戻します。

反省をチャンスと捉えるとはどういうことか?

深夜の大失敗を経て、それはもう凹みまくった私は、何がまずかったのかひたすら分析しました。いろんなことを振り返って、数字にして、積み上げて、崩して、積み上げ…すると、人は現金なもので「これは大チャンスじゃないのか?」という気持ちが湧いてきます。

何しろ、想定を超える人数が押し寄せているのですから、商売だけ考えたらこれは大変な好機です。それに、それだけ多くの人に求められているなら頑張ればもっと喜んでくれる人が増えるということでもあります。

今振り返ると、ここでイベントの動機が「余暇の楽しみ」から「私たちの楽しい場所をもっと多くの人に届ける」へと変化しています。

イベントだけで生計を立てることも考え始めたのもこの時期です。業後や週末だけでイベントづくりをするより、1日の全てを注ぎ込んだ方が、目的に早く近づけるのですから。

具体的には3000人くらいのイベントを定期的に主催できれば、その他の付随する仕事も含めて自立できるというのが、当時の私の試算でした。

規模を想定するとそれに合わせた行動ができる

今、このnoteで偉そうにイベントづくりのコツや考え方をお話している私が、真剣に企画やチームづくり、イベント運営の方法を学び始めたのは、この頃です。

3000人という目標ができたことで、それに向けた準備を始めることができるようになったのです。絶対に1人では達成できない目標だし、今いる仲間とどれだけ頑張っても、直ぐに実現できる規模ではありませんでした。

まずは、自分が成長すること。そして、規模に見合ったスタッフを揃えること。長く手伝ってくれる仲間の活躍の場を用意することが、私のミッションになりました。

順を追って、2010年の年末にまずは来場者1000人を目標にイベントを開催して、800人の動員となりました。その翌年には1200人を集めて目標達成…次は1500人だ!その次は2000人だ!という具合に、少しずつ経験を積みながら、イベントの内容充実と規模拡大を図りました。

当時の自分を褒めてあげても良いなと思うのは、一足飛びに3000人に向かわなかったことです。一応、仕事が安定していたこともあって、焦らず、条件が揃えば独立すれば良いくらいの気持ちで取り組んでいたのは、結果的に良かったと思います。

そして、2013年に、勤め先をやめてイベンターとして独立しました。

後日談と大失敗談

ここまでだとただの自慢話なのですが、現在の私はそうやって独立した会社を畳んで、別の職業に付いている訳でして、その後に苦い経験や大失敗をやらかしていないはずがありません。

数え上げたらきりがないのですが、今回は特に読者の皆さんの教訓になりそうなエピソードだけいくつかご紹介しておきます。

イベントの規模と仲間とお客さんの入れ替わり

あなたは「応援していたアイドルやバンドが売れてしまったら興味がなくなってしまった」という経験はありませんか?

私は、Bump of Chikenが「天体観測」という曲でブレイクした時に「あ〜バンプおわったわ〜」等とドヤ顔で嘯くダサい学生でした。御存知の通り、Bump of Chikenは今でも偉大なバンドとして輝いています。

これと同じことが、イベントの規模拡大によって起こります。

私のエピソードで言えば、イベントの規模が500人を越えたときに起きたメンバーやお客さんの入れ替わりが最初のそれに当たります。その後も、1000人、3000人、1万人を境に、同じことが何度かありました。

これは、イベントは同じ内容で単に規模だけ大きくなるということができず、来場者数に合わせて企画も変質せざるを得ないからです。当然、大勢集まるほど安全に配慮しなければいけないですし、より多くの人が等しく楽しむために企画は大衆化していきます。

今の状態をキープするか、それでも規模を拡大するかは主催者の選択です。

私は規模の拡大を選びましたが、それが正解とは限りません。

どちらを選んでもそれなりの苦労をし、非難も浴びることになります。また、どちらを選んでもそれ以上の称賛や感謝を受けることでしょう。

決められるのはあなただけです。

1万人を目指した最後の選択

私が会社を畳んだ理由は「コロナ禍を受けて」ということになっています。もちろん、嘘ではないし、表向きの理由以上に影響は受けているのですが、それが全てとは言えません。

実は、コロナウイルスがやってくる前から、色んな面で行き詰まりや葛藤を抱えていました。その理由は、まさに規模と企画です。

結局、イベンターである以上この葛藤はずっと付きまといます。

私の場合は、「自分たちが楽しいと考えるこの場所を多くの人と共有したい」という気持ちを柱に、一貫して規模拡大を目指すスタンスを取りました。それ自体には後悔もなければ、間違っていたとは今でも思っていません。

ただ、そこに至るやり方は後悔と反省に塗れています。

先ほども述べたように、規模を大きくするということはそれに見合った企画を用意する必要があります。また、より高いスキルを持ったスタッフを必要とし、高価な設備も必要になり、そして何よりお金が掛かります

お金を得るために、更に企画内容が変容することも珍しくありません。

3000人を越え、独立した後にしばらくの停滞を経験した私は、1万人を目指して、ある大きな決断をしました。独立前と対比するならば「焦った」とも言える決断だったと今では思います。

イベント開催の動機には、どこまで行っても変えてはならない「本質」というものがあって、当時の私はその大決断を経ても「本質」は変わらないと思っていましたが、今ではその気持をちょっとだけ疑っています。自分に嘘をついていたとは言わずとも、少し易きに流されたのは否定できません。

或いは、本当に「本質」は変わっていなかったけれど、周囲の人たちに対して(側近的に手伝ってくれていた仲間に対してさえ)、そのことを説明しきれていなかったのは確かです。

その結果、大決断を境に規模拡大による表向きの評価の裏で、イベント運営は各所でこれまで抱えていた葛藤とは別種の壁にぶち当たることが増えていました。

イベント全体がコロナ自粛に見舞われていなくても、もしかしたらその壁を越えられずに終わっていたかもしれず、また簡単なきっかけで解決できていたかもしれず、今となっては何とも言えません。

ただ言えるのは、イベントの「本質」というのは、3つの基本構成要素である「どこで」「誰と」「何のために」集まるのかという中に必ず含まれていて、この3つを同時に変革しようとすると大きな躓きに繋がるリスクが極端に高まるということです。

やや抽象的な話はあるのですが、このnoteを追って頂いている方なら、何となく理解していただけるのではないかと思って、最後に触れてみました。

まとめ

以上、私の経歴の振り返りとなる身の上話でした。

10年(助走期間を含むと15年くらい)のイベンター人生の紆余曲折の中で、本当にいろんな人と出会って、いろんなことを学びました。

副業や余暇の楽しみはイベントづくり以外にも無数にありますが、信じられないくらい多くの人に出会って、膨大な学びを得られるのはイベントの最大の魅力だと思います。

あなたのイベンター人生が私のそれよりも輝かしいものとなること祈っています。

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