あの日のハイタッチ
人生において、全力で誰かとハイタッチした記憶はあればあるほど幸せだと感じている。
僕が最後にハイタッチした記憶があるのは、小学5年生の頃である。
随分とつまらない人生を送ってきたようだ。
その頃、よく遊んでいた友達がおり、帰る方向も同じだったため、時間が合う日は決まって一緒に下校していた。
彼はサッカーを習っていたが、小学5年生になったタイミングで退部していたため、余計に一緒に帰る日が増えた。
僕は、両親共働きで基本的に日中は家を空けており、おばあちゃんの家で過ごしていたためあまり家に友達を呼ぶことができず、彼の家によく遊びに行っていた。
ある日のことである。
その日も彼の家で遊ぶことになり、ランドセルをおろして、遊びに行く準備をしていると、たまたま休日であった母親が「いつも〇〇くんの家に行って申し訳ないから、今日はうちで遊びな。」と話した。滅多にないことなので、僕はウキウキで連絡網を探り、彼の家に電話をかけた。十数分後、小2の頃ぶりに、彼が家に来た。
流石に、僕の家でしかできないWiiのソフトを遊んだ。
Wiiは相当面白いゲームだったが、データが本体保存のため、友達の家で自分のソフトを遊ぶのは難しかった。
選んだソフトは、当時、世間からは遅ればせながらも熱中していた、ドラゴンクエストモンスターバトルロードビクトリーであった。
小学二年生の頃に購入したが、何かをきっかけに躓いて放置していたのだ。
僕は決まって、勇者とアームライオンにホイミスライム。彼は、合体モンスターの勇車スラリンガルを使っていた。
僕らの前に現れた魔王は、バラモスであった。僕は、ハッと思い出した。
そうだ、この先の真ゾーマを倒すことができず、僕はこのソフトを諦めたのだった。
バラモスをあっけなく倒し、現れるは、目が真っ赤に光った大魔王ゾーマ。
ドラクエ3世代の母も興奮を隠しきれていなかった。
ドラゴンクエストモンスターバトルロードには、鍔迫り合いというシステムがある。
早い話、連打対決を制すと、ほぼ勝ちが決まり、逆に負けると、状況がかなり厳しくなってしまう。
戦いが劣勢であったため、僕は意を決して、鍔迫り合いを仕掛けた。
強大な大魔王との激しい鍔迫り合い。友人は祈り、母は息を忘れ、僕は人生最大の連打をした。
結果は、僕が鍔迫り合いを制した。それが、勝機となり、あの頃一人で勝てなかった大魔王に友人との協力の末、勝利することができた。
僕達は、両手で全力のハイタッチをした。あれ以来、僕は運動部ではなかったし、思春期に入るとともに、大尖り期に差し掛かったため、斜に構え僕が激しいハイタッチをすることはなかった。
友人とは、中学を卒業する頃に、完全に疎遠になった。
半年ほど前、成人式があった。
同窓会には、参加しなかったが、式では多くの小中学校時代の友人と再開。
かなりの人数と話すのは、性格的に気疲れはしつつも、やはり久しぶりの再開に心を踊らせた。
田舎の成人式のため、少しガラの悪い集団もいた。
紋付袴に袖を通し、まるで焼きそばのようなパーマを当て、どでかい何を模したかも分からないような旗を持ち、爆竹を鳴らす。
煙たがりつつも、流石に面白いので、チラチラ見ていると、そこには、あの日ハイタッチをした彼の姿があった。
人それぞれの人生であり、その日が彼らにとって人生一番の花火である可能性は捨てきれないので、偏見の目を向けることはせずにおこうと心に誓ったが、もしよければ、あの日のハイタッチのことを少しでも覚えてくれていればいいなと、ふと感じた。