消費者理論(1):選好と合理性
近代経済学、特にその主流である新古典派経済学の根幹となる仮定、「選好」をベースとした主体の選択行動、選好の「合理性」についてまとめた。連載はこちら。
選択行動と選好
社会における経済主体(個人や企業等)の振る舞いを、経済学ではどのように記述するか。その最も根幹にある重要な仮定は、以下の2点だろう:
主体がある行動をとるのは、その主体が数ある選択肢の中からその行動をとるという選択を行ったためである(選択行動)
主体が数ある選択肢の中からその選択を行ったのは、その主体にとって、その選択が他の選択肢に比べて好ましいためである
ここで各主体の意思決定において、選択肢に対する好み(=選好)の概念が登場し、「選好をベースに人々の選択行動を考える」のが消費者理論(さらに続く生産者理論や均衡理論も包含した価格理論)の基本的な考え方である。
選好関係
主体の選好関係は記号($${≿}$$など)を用いて、選択肢の集合上に定義される二項関係として以下のように記述される。
$${≻}$$を厳密な選好(強い選好)、$${∼}$$を無差別、$${≿}$$を弱い選好という。選好関係が不等号($${≧}$$など)で記述されないのは、$${a}$$と$${b}$$のどちらが好きか、という人々の好みの比較を量として比較と区別するためである。
ここで、選好関係の理解を深める例題として、以下の2種類のアンケートの選択肢を考えたい。
Q. そばとうどんのどちらが好きですか?該当する選択肢に〇をつけて下さい
【アンケートA】1. そば$${≻}$$うどん 2. うどん$${≻}$$そば 3. そば$${∼}$$うどん
【アンケートB】1. そば$${≿}$$うどん 2. うどん$${≿}$$そば
それぞれのアンケートA・Bにおいて、1と2の両方に〇をつけた回答者がいたとする。回答結果をどのように解釈すべきか。
アンケートAにおいて1と2の両方に〇をつけた回答者は矛盾している。「そばがうどんより厳密に好き」かつ「うどんがそばより厳密に好き」という状況は、論理的には成り立たず、従って基本的にこのような(非合理的な)回答者の存在は以下の分析では仮定しない。
アンケートBにおいて1と2の両方に〇をつけた回答者は、そばとうどんが無差別である。なぜなら「そばがうどんより同等かそれ以上に好き」かつ「うどんがそばより同等かそれ以上に好き」が成り立つのは、「そばとうどんが無差別である」場合でありかつその時に限るためである。また、1のみに〇をつけた回答者はそばがうどんより厳密に好きである。なぜなら「そばがうどんより同等かそれ以上に好き」かつ「うどんがそばより同等かそれ以上に好き、ではない(=うどんがそばより厳密に"好きでない")」ためである。
以上のことから、弱い選好、無差別、強い選好の間には次の関係が成り立ち、従って選好関係は弱い選好($${≿}$$)で記述すれば十分である。
選好の合理性
選好関係を記述する上で、上述の「アンケートAで1と2の両方に〇をつける回答者」は非合理的であり、以下の分析ではその存在を仮定しないと言及した。他にも同様に分析に不都合が生じる回答者は考え得るだろうか。
結論はYESで、それは「どれにも〇をつけずに空欄で提出する回答者」である。このような場合、そばとうどんの間の選好関係が定義できず、やはり非合理的な状況に陥る。この「空欄の回答者」を排除することで、全ての主体は、①取り得る選択対象を全て比較できるものとし、かつ「矛盾する選択をする回答者」を排除することで、②それらの選択対象が有限の時、それらを最も好ましいものから最も好ましくないものまで、無差別を許しつつ一列に並べることができるようになる。①の仮定を完備性、②の仮定を推移性と呼び、両者を合わせて合理性と呼ぶ。合理性は新古典派経済学において最も重要視される選好関係の性質であり、合理性を満たす選好関係$${≿}$$を持つ経済主体は合理的な経済主体と定義される。
現実には人間は論理的整合性を欠いた行動をとるが、合理的な個人を前提とした理論モデルは非合理な個人の行動モデルを構築する上でも有効である。このように、合理性モデルをベンチマークとして構築・活用するアプローチは一般に方法論的合理主義と呼ばれ、以降の価格理論の分析では基本的に主体の選好の合理性を仮定している。
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