見出し画像

発達障害として生きる事

私は8年前に発達障害と診断された。
その時は、未来を絶望していたけれど、
今はとあるA型事業所できちんと
キーボードを叩きながら働いている。

8年前のあの日、思えば全てに負けたような気がしていた。

私を苛めてくる人が障害者って私に言ってきたことは、本当だったんだと。
お絵描きが好きだった私に、絵を描くのが苦手な方ですねと言ってきた心療内科のスタッフ。

思えばこの2つの出来事に、随分悩まされてたし、絶望していたと思う。

何度も死にたいと思った。自殺未遂もした。今でも死にたいと口にする。

だけど今こうして働いて、きちんと納税までしている。

それは積み重ねてきた自分の努力の成果でもあるけど、最終的に今の職場の方々が、自分という人間に向き合い、愛してくれた結果だと思っている。

人から愛される障害者になるためには
自分自身も可愛がられるように努力をしなければならないと私は思っている。

私がしてきた努力は、思い当たらないけれど
真として持っているのは、
・障害者だから出来ないと投げ出さない事

いや、出来ない事があって苦しんでるから、障害者なんだよと思うかもしれないけれど、

私はこれまで障害という名のハンデを抱えながら、働くために、生活していくために、色んな事を妥協しながら、乗り越えることが出来たのも事実であり、だからこそ、今の充実した職場にいる。
(具体的にどんな事を乗り越えたかは、今後の投稿で機会があったら記事にします。)

だからと言って全く配慮をしてもらってない訳では無いし、今も私自身配慮してもらってる部分はあると思う。本当に出来ないことは、配慮してもらうのはありだと思ってる。

ただね、課題とされた事を、最初から障害者だから出来ないと投げ出すのは嫌いだし、それは「甘え」だよね?と思います。(こんな事を言うから発達障害の当事者の中でも孤立するのだ。)
課題とされた事を、言われたことを、まずは改善に取り組んでみて、本当に出来ない場合に配慮としてお願いする、がプロセスだと思うんだよね。個人的には。

目の前の課題から逃げ出しているうちは、苦しい現状から変わらないんだよ。私は何度もそんな経験をしてきたような気がする。

その上で、自分が生まれてきた理由を考えた時に、思い浮かんだのが

発達障害だけど、色んな努力を見せて、色々出来るようになって、他の発達障害の人にとっての希望になる事。

これからの自分の未来が他の人の希望になれたら、私は満足だなあ。。。

という訳で、タイトル通りの文章になったかな??今回はこの辺で。