友人からタケノコをもらった
こんばんは。
突然だが、私の山には山椒が多く生る。最初に入山したときから山椒が自生していることはわかっていたが、冬になってからはあまり香ることもなく、どれが山椒だったかよくわからなくなってしまった。要するによく知らなんだ。
5月になって初の山は、これまた4月に訪れたときとも異なっていて、青々とした若い草木がめきめきと成長している。私はこの時期の緑が一番好きだ。大学のキャンパスのあったJR御茶ノ水駅のホームから神田川沿いに見える鮮やかな木々の緑色を思い出す。見ているだけでエネルギーを貰えそうな緑色だ。しかし山はこの元気な緑色の草木のせいで迷子になりそうなくらい、覚えている風景とのギャップがある。山椒も様子が変わっていた。
実をつけた山椒にテンションが上がり、思わずツイッターへ投稿すると、数少ない大学の友人がツイートをみて山椒とタケノコの交換を申し出てきた。まさか山椒がタケノコに化けるとは思っていなかった。山椒は実をつけたものがまだ少ない様子だったので今回は採取を見送ったのだが、友人はタケノコをすぐに送ってくれた。それが、これだ。
大小(小さいものはないので大中?)様々なタケノコを100サイズの箱にみっちり入れて送ってくれた。調理方法を書いた紙と糠まで同梱されていて、ホスピタリティのなんたるやと感心してしまった。昔ヤフオクで落札者から「梱包のノーべリスト」と評価された私も思わず脱帽。(ありがとうございます。)しかし正直一人でこの量は消費が追いつくかギリギリな感じだ。心のなかで嬉しい悲鳴をあげる。
早速調理をしていくのだが、ここでタケノコの下処理にまつわるツイートを以前観測したのを思い出した。その出典はねぎ姉さんで知られる小林銅蟲センセのめしにしましょう6巻に記されているらしいが、ねぎ姉さんはドグマ出版で買って読んでいてもこれは買ってないし読んでいないのでブログのリンクを貼っておく。
ここで書かれているのは、一般的に糠や唐辛子を使うのがタケノコのアク抜きの基本とされるが、糠を洗浄したりする必要があり手間だし、実は不要だという主張だ。下処理をする理由はエグミを取り除くことにあるが、ホモゲンチジン酸とシュウ酸がエグミの主たる成分なのでこれらを湯に溶け出させることができれば良いという理屈のようだ。皮を残したまま茹でるのもこの理屈では良くないとのことだ。
とはいえ調理方法と糠まで手元にあるので正規の方法ももちろん試す。せっかく大量にタケノコをいただいたので両方やってみて比較しよう。
まずは楽な方から試みた。茹で上がったものをあまり時間のたたないうちに齧ってみたが特にエグミを感じるようなことはなかった。そもそも新鮮なのでエグくないということもあるかもしれない。生で少し食べておくべきだったことに気づく。さあ第二弾は糠あり唐辛子ありで、と続いて下処理をしていこうとも思ったがストックしておくための冷蔵庫がいっぱいになりそうだったので下処理を終えたタケノコを調理していくことに切り替えた。
まず一品目は土佐煮。タケノコといったらこれのイメージがある。タケノコの先の方の柔らかい部分を使ってみた。調理中ややアクがでるが許容範囲か。またかつお節ではなくいわし節をまぶしてみた。これは味がおちついてから食べる。
続いて根本の方をメンマ風にすることにした。ごま油を絡めた時点で、価値が確定していた。これは中期保存用だが、つまんで味をみる。タケノコを調理したことで部屋中に立ち込めていた春の匂いを凝縮して口の中に放り込んだようだ。素晴らしい。無限に食えるが、これも味が落ち着くまで我慢する。
最後は準備までに留まる。筍飯は明日仕事から帰って来る頃にちょうど炊きあがるようにセットした。明日からの仕事はタケノコで乗り切っていく。