「おしりかじり虫」(昔のブログより引用)
「夢ばかり見ていたけれど、人生は実は地味なもので、一日一日をやっていくしかない」(恋するフェルメール 37作品の旅より抜粋)
おしりかじり虫という歌がある。
「おしりかじり虫~」とリフレインする印象が強い。しかし僕には「毎日に絶望すんなよ!」という熱いメッセージが込められている気がする。
おしりかじり虫は実はエリートだ。古代アッシリア王国から18 代続く由緒ある家の出身なのである。
彼は8歳のとき、「都会(恐らく東京)の人々を笑顔にしたい」と決意し、大阪の両親から独り立ちをする。
歌の冒頭での「かじってナンボの商売や!」というshoutからは彼の自身への自信が伺える。
だが、彼は理解してはいなかった。都会は残酷だ。大切に育んできたそれぞれの夢が、現実により潰されていく。
残酷な世界で「人のお尻をかじることで幸せをもたらす」彼は求められた。求められ過ぎてしまった。
「都会のお尻は苦かった~」と嘆き、
寝込んでしまうほどに。
以下はMVにて、彼が病床でうなされた場面での歌詞である。
おしりかじったら
おしりかじっても
おしりかじり虫
ララララかじってる
同じことを繰り返すだけの毎日。噛めども噛めども不幸な人間は次々とやってくる。
「俺のやっていることは意味がないんじゃないか?」との疑問を抱いてしまったのだろう。
このとき、多くの若者がそうしたように、彼にも現実を諦めるという選択肢は用意されていた。
だが彼は、この場面がハイライトだと僕は感じるのだが復活を果たす。
滝行に習字などの精進を重ねた後、富士山の頂上から街を眺め心を決める。
「かじり続けることは、たとえ微力でも幸せへの戦いなんだ。俺は戦い続ける」というように。多分。
そして再び、都会でたくさんのおしりをかみ、たくさんの人を幸せにしていく。
僕はこの歌をあらためて聞き「つまらない毎日をどう過ごすのか」について、おしりかじり虫は彼なりの答えを出していると感じた。そしてその回答はアリだ、とも。
サンキューかじり虫。
あともう1つ。
僕らは幸せにしてくれる何かを求める。求めすぎてしまう。
おしりかじり虫を求めるのではなく、おしりかじり虫になろう。
幸せはもたらされない。自分でそれ相応の行動をしなくてはならない。
そう思う。