マイストーリー 1
ちょっと前までのわたしは、人生悩みや不安や、足りないことばかりの「穴」がたくさんあって、常にその穴を埋めなきゃいけないんだと思ってた。
穴がある、っていうのが人生の前提だったから、どんどん心の穴が増えて最後はとうとう頭の中にも穴ができた 笑 ( 側頭骨にできたデキモノを取り除いて、頭の中に3センチの空洞ができた)
それが、実は穴なんて一つもない。必要なものは全て用意されているってことに気付いた。自己信頼を取り戻し、自分にとっての大きなシフトチェンジを体験するまでのストーリー。
やっと結婚千葉から山形へ
高校、大学、就職と、そこまでとにかく順調すぎたと思う。
高校は進学校、大学は指定校推薦。
文系より理系が好きで選んだ大学は、母の押しで、国家資格を取れるコースを選択して、それが臨床検査技師だった。
病院実習が面白すぎたのと、その当時は就職氷河期で、企業面接は足がすくんで面接なんてガラスのハートすぎたわたしにはとても無理だと思った。
そんな時に調子良く大学の推薦で就職先も決まる。
ほんとに順調すぎた、、。もちろん、人並みに悩んだりはしたけど。
不穏な感じになったのは、周りが結婚適齢期になった頃。
就職してから全く出会いがない!順調な人生だったから、思い通りにいかないことがあるとは思ってもいなかった。
周りが結婚したらわたしもそのうち、、、。でもなかなか出会いはない。もう、、ほんと婚活しまくってたな、、。
あの勢いだったら、就活ではほとんど体験しなかった面接もなんなくクリアしてたかも!
そんなこんながあったけど、出張で山形から来てた今の主人と出会って、半年くらいであっという間に31で結婚した。
「今日UFO見た」とさらっという面白いヤツで、水と油くらい違うところが多いけど、どこか本質は繋がってたんだと今も思う。
夫婦でまさかの失業
主人は家族経営の自営業。小さい会社なのでなかなか不安定さもある。わたしは、父は普通のサラリーマンだったし、母はパートだったり専業主婦要素が多い普通の家庭だったから、自営業の不安定さが怖かった。
頭でわかっていたつもりだったけど、結婚したい気持ちが強すぎて、よく現実を見てなかった。見ないようにしていた。
千葉から山形まで来て、よっぽど旦那さんのこと好きだったんだね!とよく言われるけど、、、違います!( 今は好きだしかなり信頼している)
結婚したかった。周りと足並み揃えた人生を送りたかっただけ、、、。
そして結婚して一年経たないうちに東日本大震災が起こる。
多くの人がシフトを余儀なくされたあのことで、主人は仕事を辞めた。自営業で会社が倒産したわけではなかったけど、いろいろあった。
わたしは、結婚してすぐ検査技師のパートで働いていたけど、彼の失業で本格的に働かないと食べていけない状況になってしまった。
とにかく稼がなきゃ!みたいな変なアドレナリンが出ていたと思う。
そして、そこから普通の人だったらすぐ離婚していたかもしれないことが続く。
主人は割とすぐに次の仕事が決まったけど、水道管工事の仕事で、収入は大学生のバイト代くらい。それをその後何年も続けた。
主人の仕事が決まるまで、わたしもパートの仕事を辞めてたから、まさかの夫婦で失業状態を体験するとは!
スピリチュアルとの出会い
根が好奇心旺盛で人に興味があったので、独身の頃からいろいろな人の話を聞くのが好きだった。講演会にもよく行った。
そして、今住んでいる町では、町の教育委員会主催の数々のイベントがあった。
お寺を使ったライブや、普通ではなかなか出会えない人の講演会。
小さい町なのに、ものすごくポテンシャルが高い。
ボランティアスタッフ募集、のお知らせを見て、引っ越してきたばかりで友達が1人もいなかったのですぐ応募した。
山形の生活が楽しすぎてしょうがない理由の一つは、この場で出会った仲間のおかげだと心から思う。
私生活では夫婦で失業を経験してから、2人とも次の職へはついていたけど、そのことをきっかけに見て見ぬふりしてた相手の部分が見えてしまい、話し合いもできないままでいた。
苦しくてしょうがない。できてしまった穴をどうにか埋めたい。
そんな時、友達の紹介でレイキヒーリングと出会う。
山形で出会った友人のほぼ全ての人がとてもスピリチュアルな感覚を持ち、ないなら自分達で作ってしまおう精神がある。
これは土地の持つ雰囲気もあるのかもしれない。
レイキヒーリングは一つのきっかけに過ぎないけれど、ここからわたしの本格的な人生がスタートしたと思う。
次へつづく