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阪神淡路大震災と上皇后陛下の話。

阪神淡路大震災から30年。
私は岡山県倉敷市の自宅で揺れを経験した。当時小学5年生。
揺れに驚いた父親がこども部屋に駆け込んできたのを覚えている。

よほど強い記憶なのか、あの日の登校の様子も覚えている。
すごく寒い日で、登校の道すがら水たまりに氷が張っていた。男子小学生らしく、いちいち踏んで割りながら登校した。

しばらくすると、男の子がひとり、避難する形で一時転校してきた。名前は忘れてしまったが、大人しいけどコミュ力高めの子。なぜか僕らのグループが仲良くなって、一緒に遊んだ。
今頃どうしているだろうか。
もし早くに結婚していたら、もう当時の僕らくらいの年齢の子どもがいるかもしれない。

阪神淡路大震災のあった1995年は、その直後の地下鉄サリン事件とまぜこぜになって、とにかくしっちゃかめっちゃかな年だった。


私は幸いなことに、地震災害に遭わない人生を送ってこられた。
阪神淡路大震災のときの震度が確か3か4くらい。それ以上の揺れを経験したことがない。

だからなのか、東日本大震災を見た後のいまになっても、震災と言えば阪神淡路大震災だ。

阪神淡路大震災という言葉で連想するイメージは、まず、有名な倒れた高速道路。戦場みたいな街に迷彩服の自衛官がいる様子。

それから、イチロー選手。(当時オリックスブルーウェーブ所属)

そして、天皇皇后両陛下の避難所訪問の様子。
今日の日経新聞に良記事が載っていた。

天皇陛下が被災地を訪問してくださるのは本当にありがたい。
我が町倉敷も、平成30年西日本豪雨で真備という町が水没したが、その時も来てくださった。


皇室の方というのは、一目見るだけでパワーが出る、そういう不思議な存在なのだ。だてに国民統合の象徴と憲法に書いてない。

日本国憲法第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

日本国憲法

これは私がいろんなところで1000回くらい話していることなんだけど、noteにも書いておきたい。

高校を卒業して大学受験のために上京したとき、せっかくだから東京見物もしようと思って皇居に向かった。
岡山で生まれ育ってたから、皇居なんか見たことない。
こんなに東京駅から近いのかと驚いた気がする。

ウロウロしてたら、ちょっと待ってねと警備員に止められた。
皇居の門から一台の黒塗りの車が出てくるところだった。

車窓にはテレビでしか見たことがない方。
皇后陛下美智子様だった。(現・上皇后陛下)

美智子様はこちらを見て会釈をしてくださった。着物姿だったと思う。
私も慌てて頭を下げた…、かどうか記憶にない。

何しろ車の通過待ちをしているのは私ひとりしかいない。

「あぁ、なんでもいいけどこの国のためになる事がしたい」と思った。当時18歳。若いのである。

いまは結婚相談業をやっているけれど、ちょっとは国のためになっているかどうか。


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岡隆平(俺婚)
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