僕がやりたいこと
みなさん、こんばんは。
堅揚げポテトです。
今日は少しだけ、真面目な話になってしまいますが、是非最後まで読んでいただきたいです。
みなさんは、「社会福祉」と聞いて何を思い浮かべますか?
介護、高齢者、障害者とかでしょうか。
もちろん、これらも立派な社会福祉のキーワードです。
ただ、これだけではないのです。
今回は、みなさんに「社会福祉」というものを自分なりに紹介しながら、僕が将来やりたいことについて、話していきたいと思います。
質問続きになりますが、
みなさんは、虐待のニュースを見た時に、どう思いますか??
「ありえない」
「被害者がかわいそう」
「人の心がないのか」
「親、家族として失格」
と、そんな風に思うでしょう。
実際僕もそうでした、というか、今でも悲惨なニュースを見るとそう感じるかもしれません。
では、ここで虐待の「加害者」に目を向けてみましょう。
みなさんが想像する虐待の加害者はどんな人ですか?
怒りっぽくて、すぐに手を出す人ですか?
相手が嫌がったり痛がったりする気持ちが理解できない、相手の気持ちが考えられない人ですか?
今あげた人物像について、僕は、生まれた時からそのような性格である人はいないと考えています。
性善説か??と思われそうですが、少し違います。
僕が今大学で専攻している社会福祉学では、
「社会モデル」
という考え方を用います。
おそらくみなさんが持っている考え方は、これとは別の
「医学モデル」
というものです。
医学モデルは、
「課題や障害は個人の心身機能の問題であるため、その個人から原因を突き止め解決する」
という考え方です。
例えば、先ほどあげた、想像される虐待加害者の人物像に対して、解決法を医学モデルで考えると、
・怒りっぽい性格を治して、すぐに手が出ないようにすればいい。
・相手が嫌がることをしてはならないと教えればいい。
・相手の気持ちを考えることができるようになればいい。
というふうになります。
対して社会モデルでは、
・怒りっぽくてすぐに手が出てしまう性格になってしまったのは、昔家庭で「指導」として暴力を受けていたからではないか。
・育児や介護の悩みを誰にも相談できずにストレスが溜まってしまって、自分で精一杯になり、相手の気持ちを考える余裕がなかったのではないか。
というふうに、個人的要因と併せて、育ってきた環境や、暮らしの状況に目を向けます。
このように、社会モデルは、
「課題や障害は、人・モノ・環境が複雑に絡み合って現れているものであるため、社会全体としてその課題や障害を解決することが望ましい」
とする考え方です。
例えがくどいようですが、
「車椅子の人」であれば、
その人の下半身が動かないから障害である
ということではなく、
車いすでは移動しづらい場所や構造が社会の中に存在しているから、それが障害として現れている
という考え方になります。
実際、僕は右耳が聞こえません。
ですがこれは大きな障害として捉えられていません。
これは僕がその状態でいても、特に不自由なく暮らせる社会があるからこそ、そこまで表立って障害として現れていないのです。
もし「他人には右側から話しかけるのが礼儀正しい」という謎のマナーが存在していたなら、絶対に会話が難しくなるので、僕の右耳難聴も障害として社会に現れることになります。
では、話を戻しますが、ここで言っておきたいのは、決して虐待を擁護している訳ではありません。
もちろん、虐待は絶対にしてはならないことですし、身近で起きてしまった場合には、ここで書き連ねたように冷静に考えることもできないと思います。
ただ、その「虐待が起きた」という事実だけではなく、その背景にも関心を寄せなければ、本当の解決には至らないということを言いたいのです。
課題や障害を作り上げた社会の構造そのものにアプローチし、より根本の問題解決を目指す
この考え方が必要なのです。
このような社会モデルの考え方は、これから先の時代でさらに必要性が増すと考えています。
グローバル化、少子高齢化、都市部の発展とそれに伴う地方の過疎化に加えて、現在のコロナ禍など、社会の形はこの短い間でもどんどん変化し続け、どんどん複雑になっています。
そんな社会で活躍するのが「社会福祉」なのです。
私が考える社会福祉とは、
先ほど紹介した「社会モデル」という考え方を中心に、資本主義社会の構造から漏れ出てしまった、つまり、社会の助けがなければ生活に困ってしまう「社会的弱者」が、なぜ「社会的弱者」となってしまったのか、その原因を社会の中で探り、拾い上げていきながら、適切な制度やサービス、施設を提供することだけでなく、それらを提供する機関との連携・調整、支援全体の計画作成、または制度・サービス・施設を新しく作り出す「ソーシャルアクション」などを通して、社会の中で生きづらさを感じている人達の味方として働くこと
だと考えています。
もちろん、まだまだ大学で学んでいる真っ最中なので、至らない部分はあると思います。
何か気になる、疑問に思う点があれば、僕の学びとしたいと思いますので、どんどん指摘していただきたいです。
言い訳はこのくらいにしまして、とにかくこの社会福祉というものを学んでいく中で常に感じているのが、その普遍性です。
社会モデルの他にも、「相談援助技術」というものもたくさんあったり、「他機関・他職種連携」という考え方も、様々な分野で活用できるものだと考えています。
故に、僕はもっと「社会福祉」を広めていきたいと思っています。
ここまで読んでいただいただけでも、社会福祉に対するイメージが少しだけ変わったという人もいると思います。
何かに困ったとき、それは全てがあなたの責任ではありません。
自分の性格や行動だけが問題ではありません。
あなたが困った時、自分の性格や行動が問題として現れる構造が社会の中に存在しているだけで、周りの環境にも何か必ず要因があり、それがあなたの困りごととして現れているだけなのです。
そう考えるだけで、何か楽に感じませんか?
困った時に助けてくれる仕組みがあるのに、それに頼ることを良しとしない「自己責任論」によって、福祉サービスに対する偏見のようなものも実際存在します。
ですが、これも社会福祉について知らないが故のものであるため、社会福祉の根本的な部分への理解は広めていく必要があると強く感じています。
これから、僕はたくさん社会福祉について勉強して、何か社会に対して、自分の好きなことと合わせたアクションを起こしたいと思っています。
例えば、スポーツです、
まだざっくりとした考えですが、スポーツを使って、不適切な環境で過ごしてきた子どもたちに、人と関わる機会や経験を提供できる場を作れたらいいなと考えています。
他にも、地域の関係性が希薄化してしまっている都市部のモデルとして、沖縄の強みである地域性を活かせないか、というのもちらっと考えいたりします。
社会福祉は、これからの社会の中で大きな可能性を秘めています。
もし、社会福祉に興味を持ったという人がいたら、とても喜ぶので教えてくださいね。
少し長くなってしまいましたが、今回はこの辺で失礼したいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。