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書きたいテーマはあるものの、完成に至らない話

近頃noteに新作を投下できていないのだが、別に文章書きに飽きてしまったわけではなく、書いては消し、消しては書いているテーマが複数ある。

恐らくは、まだそのネタを世に問う機が熟していないのだろう。
そして、noteに書きたいテーマと、普段暮らしているX(Twitter)での自分の立ち位置との乖離が大きい、というのもある。
生々しい話だと、これを読んだらフォロワーさんドン引きするだろうなあ、と書くのを躊躇ってしまうこともある。

ただ、noteを始めたのは、誰かに読んで欲しいとか内なる承認欲求モンスターが暴れたからではなく、心に抱えている事を文章にして成仏させたいというか、前に進むために区切りをつけたいというか、とにかく自分のための文章を置く場所を確保したかったのだ。

もやもやした感情や思い出を、文章の形で切り出せればよくて、究極的には誰にも読んでもらえなくても構わない。
そういう意味ではこれからもマイペースで取り組めばいいのかな?

でも、せっかくだから「他人に読んで貰える文章」「他人が読んで楽しいと思って貰える文章」も書けるようになりたい。
それにはきっと修行が必要なんだろうなあ。

修行と聞くとカンフー映画を思い浮かべる著者近影

(2024.8.2追記)

私小説のように事実を細かく積み上げていけば、感情の起伏が説得的に描けるけれど、もし知り合いに見られたら、アカウントの特定+秘密の暴露につながってしまう。
それもあっていまだに書いては消しをくりかえしているが、いっそのこと、事実関係は変えてしまい、感情の起伏のみを正しく描く、という手法をとるのが良いのではないか?と思い始めた。
「あの時僕たちはこんな気持ちだった」ことが記録できれば十分だ。
そうなると、文章よりマンガで表現する方がいいかもしれないなあ。描けるかはともかく。

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