「バリュー」、出さなくていいよ
バリュー、きついよ。
私が世界で一番嫌いな言葉の一つ、「バリュー」。よく外資系コンサル企業とかベンチャー企業とかが使うヤツ。死ぬほど働いて、その時間当たりの生産性、貢献性をバリューという言葉で評価されて、そんなことやってたら、死ぬよ。
人生の大半を費やす労働でその人材の「価値」という単語を安易に使うのやばいよ。パワハラと何が違うの?
金なんていくらでも稼げると思う。手段を選ばなければ。昨日とか、岡江久美子さんの息子を名乗るyoutuberが無限に湧いてたけど、彼らの存在なんかいい例で、社会性なんて無視して再生数稼げる人ってたくさんいるよね。そこに学力とか知性とか必要ないもん。金を稼ぐのに必要なのはタダの行動力だったりする。それもその行動に善悪の方向性は影響しないの。むしろ悪い方が良かったりするまである。
これって「バリュー」なの?人材として、労働に大半の時間を費やす人間として。
「バリュー」を連呼してる人からしてみたら、この人たちってめっちゃバリュー高いんだよね。シバターとかバリュー鬼高いでしょ。売上=「バリュー」なら、シバターが他人の煽り動画アップロードしてもそれはバリューなワケ。情報商材売って金稼いでもそれはバリューなんだよ。
「労働」や「生きる」価値に新たな尺度を追加しよう。
ぐだぐだ言ってたけど、つまるところいちいち人の仕事に対して、売上すなわちバリューで評価なんて、やめませんか。「バリュー」って単語を再定義して、労働の価値に新たな尺度を追加しませんか。
「しょうもないギャグ言ってみんな和んだで賞」とか、そんなんでいいから。売上以外の価値を追求してみよう。みんなでハッピーになろうよ。例えば社会性のあるお仕事、最高だね。これこそ「真のバリュー」なんじゃないの。
いわゆる今一般的に使われている「バリュー」ってほんと視野が狭すぎんの。なんでたかがお金稼ぎに自分の生活を最適化してんの?もっと丁寧に単語使っていこうよ。「バリュー」の定義を改めて、人が人として生きるための、「バリュー」にしていかなきゃ。
もし、意味の分からない「バリュー」「貢献」「価値」などの言葉に押しつぶされそうになっている人がいたら言ってください。あなたにしかないバリューを再定義してほめまくります。お礼にししゃも買ってください。