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大団円、ということに

ライナーノーツ6本目!
我ながらなかなか良いペースなのでは。

文章を書く、ということそのものに段々と慣れてきた気がする。公開後に気付く誤字脱字の多さは相変わらずですが…。
もし読んでて気付いたらDMなりなんなりでそっと優しく指摘してくださいな。

「わざとかな?」とか「敢えてそういう言い方してるのかな?」思ってくれる優しい人がもしかしたらいるかもしれませんが、ごめん!全然違う!
シンプルに誤字!シンプルに脱字!シンプルに文法ミス!
一応、バーって書いた後に自分なりにチェックしとるんやけどね!性格が出てる!ガハハ!

突拍子があるようで無いんやけど、文章を直近こんな感じで書くようになってから、結構良いことも沢山あるんですよ。
校正ついでに見返してみたりすると、自分の感性を俯瞰視するような感覚になれて、良い。もっと早く始めときゃ良かった。
この辺を話し出すと、またしてもめちゃくちゃ前置きが長くなってしまいそうなので、いつかまた別の話として書きたい。
歌詞の話をね、しましょう。

この歌詞、自分で言うのも何なのですがめちゃくちゃ良いものだと思うんです。

今回の音源は各種サブスクで配信されており、歌詞も公開設定にしてるので、時折「今日こそ反映されたか?!」と確認をするのですがぜーんぜんされない。待てど暮らせど反映されない。
もう2ヶ月半くらい経ったけど、幻?ってくらい反映されない。そんなもん?
配信設定周りはミスタニスタで1番諸々がしっかりしているジョーザキに対応してもらった。
しかしながら「もしや俺を喜ばせるためについた優しい嘘なのでは?」ってくらいに反映されてない。もしかして優しい嘘?
いやいや彼がそういうことするタイプではないってことは分かってるので、本気で思っては無いけどね。

ていうかさっき"時折"っていうたけど、嘘。実はほぼ毎日くらいのペースで確認している。

6/19(日)に名古屋 CLUB ROCK’N’ROLLという新栄町にある個人的に思い入れが強いライブハウスで、ガストバーナーというこれまたナイスなバンドに呼んでいただき、少なくとも俺はめちゃくちゃ楽しくライブをする予定がある

これです。来てほしい。マジで。


なので、それに向けてギターと歌を鋭意練習でして。
それ故に今回の音源もレコードなら擦り切れるくらい、カセットテープならピロピロがビロビロになるくらい、CDなら表面の印刷がボロボロ剥がれて"ほぼ透明な円盤"と呼んだ方が差し支え無くなるくらい、スニーカーなら踵がすり減って穴が開くくらい、シャーペンなら持ち手の塗装が剥げて内部構造が丸見えになるくらい、消しゴムならちっちゃくなりすぎてゴムで消してるのか指で擦り伸ばしてるのか分からなくなるくらい、ぼちぼちやめよう、まぁそんくらい自分で聴いている。
その度に確認している。けど反映されてない。そりゃないぜ。

まぁ我々よりも歌詞反映が急がれて然るべきなアーティストさんが沢山いることも重々承知している。
尚且つ掲載内容に問題ないかみたいな審査もサブスク側でやっているような気もするので首を長くして待つこととしています。
そしてミスタニスタのTwitterアカウントを遡れば、画像形式ではありますが、丹精真心込めて書いた歌詞たちがアップされていますので、是非読んでいただきたいです。読んでみてください。読んでみよう。読んでくだされ。どの俺が好き?(蛙亭のマッチングアプリというコントをみてくれ)

ミスタニスタ、曲が良いとコメントいただくことは結構多いのですが、あまり歌詞にズブっと踏み込んでいただくことが案外多くない。
これの理由は何なのか、色々と考える。
俺が褒められたい気持ち過剰なのか、シンプルに実は微妙なのか、歌詞に対しての言及って存外そんなものなのか、歌詞に対してどうこういうことの恥ずかしさ的な感情なのか、そもそも歌詞はあまり聴かれていないのか、言葉を捏ねくり倒し過ぎて「なんが言いたいのかよーわからんわ」となっているのか。

取り敢えず最後の不安を払拭するべく、今回初めてライナーノーツを書いている。
けど、あくまでこのライナーノーツは俺目線の話でしかない。歌詞の背景を知って欲しい気持ちの一方で聴いてくれる皆さんの視線を捻じ曲げることはしたくないとも思っている。
なので色々と自分事に置き換えて聴いてほし〜。解釈は色々と出来ると思うけど、多分全部正解です。

またやりました、ね。長い、長すぎる。
しれっと厚かましいライブ告知もした。
歌詞書くことについては次回にしようと思ってたのにそれも書いた。まぁ次回も書くけどさ。

話を戻す。この歌詞とても良いものだと思うんです、という話。

曲自体はシバガキ先生が「なんかやりたい感じのことある?」と言うてくれたことから始まる。
「エレカシとかサンボマスターみたいなんしてみたい!」という残り2人の無遠慮なリクエストに対して、先生なりにアンサーしてくれて生まれたのがこの曲。
シバガキ本人も「正統派最高傑作にするつもりで作った」言っていたけど、デモ聞いた瞬間に「コレはジョーザキとウエムラでガチンコの名曲にしなくてはいけない曲だな」と思った。

これは大変個人的な意見なのですが、打ち込み音源のデモには2つパターンがあると思っている。
デモの段階である程度録った後の完成形が見えているものとフィジカルで鳴らした音に歌が載ってみないとどうなるか分からんもの。
ここまで言ったら言わずもがなという感じですが、この曲は後者だと感じた。
そしてそういう曲には"ガチンコの名曲"になるか"普通のただの良い曲"になるかの分水嶺がある。どこの何でそうなるのかわからんけど。超個人的な意見ですよ。

故にめちゃくちゃ気負った。勝手に背負った気合いやけど、その気合いで肩の皮膚が剥けるのではないかというくらいに気負った。
しかしながらこの手の気概は往々にして上滑りするもので、書いても書いてもなんか微妙。困った。例えるならば雨の日のヘアセット、あんな感じ。
何をどうしてもちゃんと良いものになることが分かってはいるのですが、「コレ!」っていう切り口というかテーマ的なのが出てこず。曲としてのパワーを猛烈に感じるのに、歌詞としてそれを打ち返せる予兆が無くてウンウンと唸っておりました。

そして前回のライナーノーツで書いた通り、当時のウエムラはまさにメンタルドン底期であり、触れたら壊れる爆脆ガラスハート状態。そんな感じなので、こういうのにもやられっちゃってモーマンタイ。
とはいえ誰かに頼らず己で書き上げるということだけは決めていたので、心の中では「もうやだ〜!無理〜!」と駄々を捏ねながらもひたすらに書いては消してを繰り返していたわけです。

とはいえレコーディングというものは予め日時を決めて臨むものであり、「飲めたら飲も」みたいな学生の宅飲み的なファジーさは言語道断なのです。
あと周りに迷惑をかけちゃうことが当時の自分の自尊心を"こうかはばつぐんだ!"と言わんばかりに傷付けてしまうことが分かっていたので、「歌詞が書けないんです…」ということで後ろ倒しは絶対に無理だった。
まー当初のレコーディング日直前で外せない仕事とダブルブッキングしてしまって実は日程を一回変更してもらってるんですけどね!変更後ももう一個やらかしてるんですけどね!しばくぞ!(本当にすいませんでした。そして神対応、ありがとうございました。推します。)

という事情から歌詞についても「○日までに」という仕切りがあったのですが、本当にギリギリまで完成せず。これ系歌詞に限らずめちゃくちゃ多いので、何回こういうのを繰り返すのか…みたいなね。
けど完成させなきゃいけない、そして絶対に名曲にしたい。
となればやることは一つ。前の歌詞案をほじくりつつ、もう一回腰を据えて書くこととする。逃げなくて偉い。ま、好きでやっとる音楽でしょーにっちゅー話ですが。

とはいえアイデアはまとまらず。アッパーな歌詞なわけないし、ありきたりな泣かせる歌詞は絶対に嫌だし、辛いことをまんま書くのは"ベリーファニィデーズ"でやっちゃってるし。
したらば、またしても俺の中のリトルウエムラが駄々を捏ねる。
けど、駄々を捏ねてなんとかなるなら色々とっくに何とかなっていて、もうそういうのは辞めなきゃという感じになっていたので、思いっきり唸る。そしてここ最近で書くべきことは無かったか、と馬鹿みたいに辛かった直近を振り返る。

するとそういえば、となる。
絶対に書かなくちゃと思ってたけど、何にも出来ていなかった出来事を思い出す。
そこからは"これまでの苦しみは何だったんだ"、"あの日の悲しみさえ"、"その全てを愛していた"、"あなたとともに"、というくらい驚くほどスムーズに言葉が湧いてきて一気に書きあがっちゃったのです。
湧いているのが言葉じゃなくて水だったら、あの夜、俺は、確実に、紛うことなく、泉だった。地元の香川県はしばしば水不足になるので、その足で帰ればかなり重宝されていた。崇め、奉られ、そして香川の全てを手に入れていた。ゲーム条例なんてネットのオモチャにされるようなものは作らなかった。
まー実際湧いていたのは、俺の超個人的且つあるあるエピソードに基づいた言葉の羅列とインスピレーションだったので、何にも手に入れていません。安心してください。今日も今日とて小市民。

そんな感じで目処はたったわけやけど、それを歌詞にするにあたって「ただ単一のエピソードの歌」にはしないようにめちゃくちゃ注意した。前の曲でやっちゃったので。
絶対にそのことを歌うんやけど、誰かにとっての同じようなことに違和感なく置き換えられるようにしようと思った。ほぼ一気に書き上げたけど、今までで一番丁寧な言葉選びをするように心がけた。
結果として結構言葉としては平易というか、俺っぽい難しい言葉が案外少ない。と思う。
これを書いてから「あ、歌詞ってもしかしてこう書くのか…?」みたいな感覚があった。多分超良い経験やな、コレは。
要するに「自分のことを如何に一般化するか」を考えて書いていた。けど一般化した歌詞を見てると色々思い出してちょっと泣きそうになる。アレ、やっぱ泉…?ちゃうか。

ここまで引っ張ってしまうとテーマの話するのが逆に恥ずかしくなりますね。普通に後悔。逆にサラッと書けば良かった。
なんかもう
「生き別れの兄弟と自分探しの旅の道中で運命的な再会を果たしたのに、彼は某国の秘密組織で生体サンプルとして管理されており、せっかく逃げ出してきたのに、信用していた宿の親父さんの裏切りにより捕まってしまって、そっから会えていなくて消息がわからくなった。その兄弟のことを思いながら歌っている」
とかそんな感じの荒唐無稽な嘘を話したくなっている。せんけど。

サラッと言うと、実家の犬、です。
バーっと書けたきっかけは実家の、犬、です。
記事頭の写真の犬、その子です。
よくある話で恐縮です。
俺が中2の期末テスト前に我が家へやってきた女の子で、名は"まる"という。
2021年の7月に天寿を全うしたメチャクチャイケてるヤツです。

信じられないかもしれないけど、今日の話ここからがウエムラ的には本番です。俺も信じられない。
悪意があってダラダラ書いてるわけでは無いです。
けどここまで来たら読み手と書き手の根比べだ!読め!いや、そのつもりもない。
書きたいので、書く。

前述の通り、実家で犬を飼っていた。
背中に丸い模様が雪だるまみたいに連なって並んでいるのが印象的な子だった。
我が家に来る前はその体の模様から"うし(仮)"という名前で呼ばれていたのだけど、ファミリーとして受け入れるに当たり、我が家で名前をつけよう、となる。
俺は"だるま"って名前ええやんとおもたけど、だるまっぽい見た目ではなかったのと、俺以外の家族の総意のもと、"まる"、と言う名前になった。

どんな名前で呼んでも「おいで!」ってすれば、シッポが千切れんじゃないかって勢いでブンブンさせながら走ってくるし、
成長するに連れて雪だるまみたいな模様は伸びてゆき、最終的には「まる…?」みたいな形になっていたのだけど、それでも最後の最後まで"まる"だった。「ほなだるまでも良かったやん」と今でも思う。
けど"だるま"を逆さから読むと"まる、だ"になるので、やっぱりアイツは"まる"だったんやね。

ヤツが我が家にやってきたときのことは今でも結構覚えている。
ヤツがやってくる少し前、お隣さん宅でも犬を飼っており、妹が相当可愛がっていた。一時期からほぼ毎日(これは言い過ぎかも)散歩に連れて行っており、そんな流れから「我が家でも犬を飼いたい!」と言い出す。
ただ当時、母が一番否定的だった。
理由は昔飼っていた子が亡くなったときのショックがえげつなさ過ぎたかららしい。当時の俺なりになるほどな、と思った。
お葬式に参列したことはあったけど、さほどその故人と関わりがあったわけでは無かった。だから、そういうえげつなさの真髄を理解出来てなかったのですが。
ただ、夏休みに取ってきたカブトムシが死んだときのほんのりとしたエグみや大事にしていた車のオモチャを隣の家に住んでいた子にマウンテンバイクで轢いてぶっ壊されたときのどうしようない感じは分かっていたので、それのどデカい版なのね、とか思った。
マウンテンバイクの件は思い出したら普通にムカツいてきた、もう四半世紀ほど前のことやけど。許せん。

とまぁ、色々と押し問答はあったのだけど、来るべくして来る流れっちゅうのはある。
奇しくもそのタイミングで母の知人が飼っている犬に子供が出来たと。5人兄弟なんだと。このタイミングで?マジ?これが運命ってやつですかい?
別に当時はそこまで運命めいたものを感じていたわけではないけど、そんな成り行きもあって犬を飼うことが決定。14歳の夏、新しい家族ができるのです。ビッグダディの子供も同じような気持ちだったんだろうか。
今思い出して「そーいえば」って感じやけど、飼いたくないなら言わなけりゃいいのにちゃんと妹に伝えた母、マジオカン。
結構面倒なところもある人やけど、そういう仁義に熱い感じ、マジオカンだなぁと思う。

で、後日、どの子を引き取るかってことで知人宅に行く。
割と田舎のベッドタウンに住んでいることもあり、一戸建て住まいの家族が多く、ヤンキーは多いけど治安もまぁまぁ良いので外飼いの犬ってのが当時は割と多く、その知人宅も同様であった。都会では信じられんかも知れませんが。
母と妹と一緒に車から降り、目的地に着くとかぁいらしい子たちがお出迎え。

子犬というのは好奇心の固まりである。
俺のような赤の他人が来てもちいかわよろしくホイホイと寄ってくる。可愛らしいね、本当に。
まるは5人兄弟のうちの1人という話をしたけど、俺たちが来た瞬間、みーんなピーチという親犬の元をふっと離れ俺たちの元にシッポブンブンでやってきてきた。ほんまに可愛い。
けど1人だけ挙動が異なるヤツがいた。
唯一、我々のところには寄って来ず、じーっと奥の方でこちらを訝しげに眺めているヤツが。警戒心マックス。こないだ出逢った猫みたい。それがまる、もとい、"うし(仮)"だったわけである。

当時中2で思春期真っ盛りだった俺は小学校時代のありふれたトラウマと中1の秋頃に経験したトラウマのおかげですっかり人間関係を拗らせていたのですが、そのときの"うし(仮)"の在り様がなんだか妙に気になった。なんとなく「似ているな」的な感覚になった。
愛玩犬としては絶対に愛嬌ある方が可愛いのですが、なんか意識しちゃうって時点でそのときから結構俺はゾッコンだったのかもしれん。
何が決め手となって、"うし(仮)"を我が家にお招きすることになったのかは覚えてないんやけど、どの子を招くかって話になったとき、家族に「あんくらい警戒心あるやつのほうが番犬としてもええんとちゃう?」みたいなこと言うたのはめちゃくちゃ覚えてる。それか? あんまり自信無いけど。

なんかこれ言うと若干の自己否定にもなりそうやけど、誰にでも愛想良く振る舞うやつはね、結論よくわからんよ。おれが〇〇君や〇〇君にカマされたようにね。めっちゃ仲良くなれたと思ってたんやけどな〜。つれ〜。今でもちょっと思う。
そんなこんなを経て、"うし(仮)"は我が家にやってきて、"まる"になったわけです。
実はその前にもなんやかんやあったんやけど、まーここではいいでしょう。

まるはビーグルのピーチとどこの馬の骨かもわからん野良犬との間出来た子供らしかった。なんかこういう書き方するとえげつない出生な気もするけど、外飼いの犬やとまぁあるよね。あるんかな?俺はまるしか知らないのでわからんけど。

横道に逸れるけど、お隣さんで飼ってた犬でも類似した未遂があった。盛りがつく時期になると近所の犬が自宅を脱走して玄関の門の下を掻い潜り、お隣さんの犬と逢瀬を重ねようとしていた。そして俺は妹と近所の子とでそれを全力で阻止する、という任務を任されたことがある。
けどその犬、当時結構なおばあちゃんよ。12歳とかやったかな。それでも逢瀬を重ねようとするオスがいる。本能、強すぎる。
当時は「性欲ってすげー!」みたいないかにも思春期的な感想を抱いてたけど、今になって思えばお隣さんちの犬はとても良い女だったのであろう。人でもおるよね、男女問わず。「○歳とかマジ!?」みたいな人。落ち着きがない思想と言われると返す言葉もないけど、何歳になってもそういられる人、いいなと思う。世間から罵り嫌われることはあるんやろうけど、ヤケクソだったり驕り高ぶってることさえなければ別にいーと思うよ。俺は。

で、我が家にやってきたまる。新たな家族が爆誕である。
親元を離れた状態の子犬を外飼いひとりぼっち状態にすると、人間の赤ちゃんと同じく夜泣きする。
なので、一時期は玄関スペースの35%くらいの領域をまる専用に開拓し、俺と妹は玄関に布団や座布団をひき、色んな匂いを嗅ぎながら所在なさげにゲージの中をウロウロするまるを飽きるまで眺めつつ、一緒に寝ていた。
いかんせん生まれて3ヶ月も経っていない、純然たるベイビーだったので、全てが初めてで新鮮らしかった。
我が家の匂いもゲージに体がぶつかって響く音も自分をこれでもかと眺めてくる体毛が少ない肌色の二足歩行の動物も。俺たちが喋る声も彼女からすると恐らく奇々怪界なもので、我々が話かけるたびに首を傾けていた。それが猛烈に愛おしく全然眠れなかった記憶がある。変声期前後の14歳がキャッキャ言うてた。当時、クラスメイトにはそういう俺はあんまり見られたく無かった。恥ずかしいので。
しばらく経って、首を傾げる動きが犬の動きとしてはかなりありふれたものであることを知るのだけど、当時のまるのが1番可愛い。これはね、譲れんよ。ムーチョも可愛いけどね。けどね、ごめんよ。という気持ち。
というかあるくない?そういうの。
可愛い仕草は勿論のこと、多少アレな仕草や挙動でも「ええな」みたいになるやつ。「こりゃあ一生忘れんな」的なやつ。向井秀徳のMCとかアレとかコレとかさ。なんか色んな気持ちになってしまいますが。
まるの首を傾げる姿はその内の一つである。

で、まる。この子、いかんせん甘えん坊。
家族がいなくなることがとにかく寂しいらしい。そして帰ってくると心底嬉しいらしい。特に母と妹にお熱だった。
長期休暇中、母がパートに行くために車庫のゲートを開けるともうソワソワ。車のエンジンが入ったら寂しさを隠すそぶりも無い。車が出たらもう吠えちゃう。俺が家におるのにも関わらずだ。見てろ、今は、俺を。
けどそんなまるにみんなゾッコンだったわけです。

俺の親父もまるに夢中だった。
あまり感情を素面で全面に出す人ではないので、まるをわかりやすく可愛がる様子はあまり無かったのやけど、超覚えているエピソードがある。
ある日、リビングでぼんやり過ごしていたら、庭からボヤボヤ喋り声が聞こえる。多分何回も同じことを繰り返してる。
なんだか気持ち悪いので、コッソリ様子を伺うとまると遊んでいた。

①「取ってこーい」とちっちゃい声で言いながらおもちゃを投げる
②そのおもちゃを咥えて帰ってきたまるを撫でて「よーしよしよし」という

この①②をひたすら繰り返してた。
セリフも動きも全く同じ。
まるの挙動以外は博物館の展示ロボットですかってくらいに同じ。怖すぎる。そして面白すぎる。
けどその時の親父の顔が見たことないくらいに優しかったのが大変印象的。
俺の場合、割と諸々の記憶が鮮明になるのが3歳以降なのですが、お察しの通り結構どうしようもないガキだったので、当時の父については割と怒られた記憶が多く、先程言うた通り彼は普段そんなに感情を出すタイプでもない。
そんな親父なので、あのときの表情は強烈なギャップ萌えエピソードとして記憶に刻まれているわけよ。自分の親父で少女漫画の原体験みたいなのがあるの、普通に嫌すぎる。
けど、今振り返ってみると俺の記憶がボヤッとしている3歳ごろまで、或いはそれ以降についても俺が見ていなかっただけで、あの日まるを見ていた表情で俺を見ていたのかもしれないな、とも思う。
なんか最後の方は色々な感じだったぽいけど、まぁ全体を鑑みてドライに行かなきゃみたいなときもあるよね。わかるで。知らんけど。

まーダラダラと話してしまったけど、今まで見たことが無いような家族の一面をいとも簡単に引き出してしまっていたわけです、まるという女は。
あの日の親父をみて「こりゃ恐ろしいやつが我が家にやってきたぜ」みたいなことを思ったりしていた。

かくいう俺も例外ではなく。
犬を飼うことに対しても、その後についても他の家族と同じような温度感でゲロ甘だったかと言われると怪しいけど、めちゃくちゃに夢中だったと思う。俺的に。

当時、陸上部に所属していたのですが、長期休暇も普通に部活がある。大体朝の9時ぐらいから昼の12時くらいまで週3〜4といった頻度。熱中症やら諸々の観点から気温が上がり切ってしまう午後ではなく午前中に部活を実施する。
とはいえ夏である。当然、運動するとしんどい。
そしてその時期とその前後の香川県はとにかく雨が降らなかった。プールの授業は中学で経験する3回の夏の内の1回だけ。水無さすぎて給食の米が炊けねぇってことで、一時期の給食が毎日パンになってた時期がある。ヤバすぎ。BBQするための県と言っても過言では無かった。流石にこれは過言やけど、マジで降らなかった。ここまで言っておいてアレやけど、香川県の水は高知県由来なので香川に雨が降らないこととは実は関係ない。高知も香川も雨が降らなかったというだけ。

ガンガンの日差しと連日の太陽でカラッカラに乾いたグラウンド。そのお陰でみんなで走ったらブワッと舞い上がる砂埃。俺の種目は走り幅跳びと110mHで、連日砂埃を上げて全力疾走をしており、それ相応に毎日疲労困憊。
ある日、午前中の部活を終え、帰り道に部活仲間とローソンでガリガリ君を食べ、「じゃね〜」と解散し、ヘトヘトで帰る。
父は仕事、母はパート、妹は確か友だちと遊んでいるか何かで、俺が帰ってきたことにより我が家のノーゲスト状態が終了したってな具合だった。とにかく甘えん坊なまるは寂しさマックスだったみたい。
小屋の中に入れている布やらぬいぐるみやらを全てヒステリーライクに引っ張り出し、車庫に車がいない時だけ使える夏でも少しひんやりとしているコンクリートで固めたエリアで不貞寝していた。

そこに俺が帰って来たわけですが、気付くや否やシッポブンブン。それまでの不貞寝は何ってくらい元気。元気100倍、シッポブンブンマン。否、シッポブンブンウーマン。基本俺にはあんまり興味ない感じだったまるがそんな感じだったのが、その日はなんか嬉しくて遊んだろうみたいになる。最初は適当におもちゃ投げて取らせるみたいなことをしていたのだが、途中から俺の方に熱が入ってきて、決して広いとは言えない庭を走ったり、布切れで綱引きをしたり、と"部活の疲れはどこへやら"状態で大はしゃぎしていた。ここまでは覚えている。
その次の記憶は母の「あんた何しとん!?」という驚きと心配が丁度半々の声。

なんか本当にびっくりなんやけど、庭で寝落ちしてた。
家の鍵も持ってたので入れないと言うわけでは無かったのに。
けどカバンも置かずにまると大はしゃぎしてそのまま庭で寝てた。夏の部活終わりぶっ倒れてたら熱中症かなんかやと思うよね。残念、遊び疲れて寝落ちです。完全にちびっこ。
帰宅と呼んで良いのかどうかもよくわからない。
"帰宅してたはずなのに、帰宅し切れてない"という言葉遊びの域を超えた意味不明概念の帰宅。
元々ツメが甘いタイプではあるけど、あの日の俺は帰宅のツメが甘かった。本当に意味不明。帰宅のツメが甘いって何。
件の経緯を経て、俺が本物の帰宅を達成するためノソノソの動き始めた時、まるはお熱な母が帰ってきたことにすっかり夢中。俺と遊んでたことは無かったことになってた。え?夢?みたいな。
布切れとぬいぐるみは散らかったまま。足元には最後に投げた虹色の輪っかのオモチャがポツン。ま、ええねん。楽しかったし。

何はともあれ「我が家はみんなお前に夢中だったぜ!」ということですね。

ただ中高と年を重ねるにつれて、俺が俺で忙しくなってくる。
学校行事とか部活とかそういう類は勿論なんやけど、一人間としてのイベントが増えてくる。友達と遊びに行く、とかそういう系ね。小学校時代はあんまり友達が居なかったのだけど、中学になってようやく居場所といっても差支えなさそうな環境が出来るようになり、みんなが幼稚園や保育園のときに始めていた社会参加を俺はその年になってようやく上手くできるようになり始めた、と認識している。これは考えすぎなのかもしれんけど。
加えて多少の反抗期的な時期であったこと、かつルール縛りみたいなのが元来苦手であること、かつ朝起きれないこともあり、「〇〇日の朝(或いは夕方)
、散歩行ってよ」とか言われても"なんかヤダ"的になっていたのである。どうしようもないときは勿論行ってたし、まるに対してどうこう、ってわけでも毛頭無いんやけど何というかそういう時期だったのである。家ではちょこちょこ遊んでたけどね。

けど犬という動物はめちゃくちゃ良いやつで、そんな感じの俺に対しても変わらずそれなりの愛情を見せつけてくれるものである。ありがたい。
たまに行く散歩は満面の笑みでグイグイ引っ張る。そんなに体がデカいわけでは無いけど思春期男子の肩がギリギリ抜けないくらいの強さでグイグイ引っ張る。飲み会のコールの「グイグイよしこい」の"グイグイ"なんぞ可愛いものよ、こちとら肘肩ぶっ壊れるじゃねぇかっていうグイグイをね、経験してんのよ。

陸上の練習の一環として、ランニングついで、と思っても引っ張られまくるからダッシュしたり、逆に急に止まったりになって部活よりしんどいし、草の匂いを嗅ぎ始めたらマジで動かなくなる、そんなに踏ん張るな。うんちするかなと思ったら意外と出ないし、なら粘るな。もう散々小便したでしょってなってるのにわけわからんところで止まってしようとするし、案の定出ないし。けど、俺による気まぐれな散歩でもまるはめちゃくちゃ笑ってて嬉しそうだったり、俺がどうにもしんどいときに行く散歩にも付き合ってくれたし、そういう時はこっちの事情お構い無し、Mrs.傍若無人を体現したような振る舞いが逆に有難かったりした。

けどやっぱりまるを思い出す時に浮かんでくるのは、この手のエピソード付きの思い出ではなく、より生活に食い込んだ光景だったりする。
例えば"外出時"とか。
繰り返しになっちゃうけど、まるは甘えん坊で寂しん坊であるので、誰かの外出が嫌っぽい。
とはいえ人間には人間の生活があるので当たり前やけど、毎朝家を出る。平日は学校、休日は部活だったり遊びにいったり、する。
我が家から最寄りの駅までは自転車で10〜15分とかそれくらいの距離で、尚且つ高校に上がってからは毎朝電車通学。なので平日の朝は遅くても7: 30ごろには自転車に跨り走り出す必要がある。高一のときは何故か6:45に家出てた、あの俺が。凄すぎる。
で、自転車は勿論自宅の敷地内に置いてあるので、家を出るとき時は車庫のゲートを空けて、そこから自転車に乗って出発する。一応門もあるんやけど、何故か車だろうが、自転車だろうが、徒歩だろうが移動手段を問わず、外に出るときはカーゲートからだった。ルールではなかったけど、不思議。なので、カーゲートを開くという行為は我が家でいう"外出の合図"みたいな感じで、まるにとっては"寂しくなる合図"だったわけです。

そんな感じなので俺が玄関から出てきたら「散歩!?」みたいにテンションぶち上げになるのに、その足でカーゲートを開くといつも「え、散歩ちゃうの?行くの?」みたいに露骨にションボリしていくのが常だった。
そんなのをほぼ毎日みていたので、俺の中でまるといえばあの耳キーンなりそうなテンションの急上昇と急降下で、いよいよご機嫌斜めなときはこちらに背を向けて「知らん!」と言わんばかりに身体を丸めて、背中の模様を見せつけるようにして寝てたあの光景なのです。
やっぱり思い出せば思い出すほどまるは俺に似ている。あの日の直感は間違ってなかったのかも知れん。

で、高校を卒業したら大学進学。
これを読んでいる人であれば多分知ってる人がほとんどやと思うけど、地元を離れて関西に出た。
そうなるといよいよ会う機会が減る。平均年2回、夏と冬とで帰ったときくらいしか会えない。
家族と数ヶ月会わない、みたいな生活自体始めてだったので一人暮らし直後は「なんか変な感じ!」って思ったけど色々な期待とエンタの神様における犬井ヒロシくらいに何もかもが自由なあの感じが新鮮で驚くほどに生活には順応していく。何もかもフリーダム。
けど2回目の帰省が近付いたときちょっと不安になる。「まる、俺のこと忘れるのでは?」

動物の記憶力っていうのが如何ほどのものなのかはわからんけど、「ネコについては結構すぐ忘れる」という旨の話を大学の新歓コンパで聞いていたこともあったので、普通に心配になった。
けど結論、これについては全くの杞憂だった。
まるは警戒心が強い子なので、赤の他人が家にいる近付くと普通に吠える。よくわからん諸々の勧誘とかセールスに対しては勿論のこと、ガス交換とか排水周りの工事の人とか、ただただ健気に頑張るオッチャンにも容赦なく吠える。「こいつはセーフ」みたいなラインが彼女なりにあるらしく、そうなったらもう大丈夫。ただ結構ラインが厳しいようで、排水のオッチャンについては俺の記憶の範囲ではずっと吠えられてた。可哀想すぎる。
で、俺もそうなっちゃうのかしらと思ったけど、無事吠えられることはなく。敷地に入った瞬間は、「?」みたいな感じで色々と匂われたけど、気付いたときに「なんや!ワレかいな!」みたいな感じでシッポブンブンになってくれて、こりゃめでたし。アレはなんか嬉しいものだった。

ただやっぱり帰省も時間が限られていて、行きたいところと行かなくちゃいけないところ、やりたいこととやらなくちゃいけないことで割といっぱいいっぱい。
まぁ帰省と言えばってことで家族で飯を食いに行ったり、祖父母の家行って挨拶したり。あとは久しぶりに地元の友達と会って飲んだり食べたり。そうなると連日2日酔いみたいになり動けなかったり。
大学の途中からはバンド活動のギアが上がってゆくので、帰るは帰るけど期間が短かったり、変に尖ってしまっていてなんか妙な気持ちになってしまったり、留年してからはそのせいで当たり前のようにとやかく言われて、当たり前のように居場所が無いなぁとか思って極力実家にいないようにしたり。
そんな感じなのでまると遊ぶのもちょくちょくって感じで散歩とかそういうのはほぼ出来ず。
帰省前は「あと何年生きれるかわかんないんだから」「LINEでみると老けたなぁ」とか思うので存分に甘やかしたくなるんやけど、色々と諸々なので想定通りには行かず。
そんなこんなで就職、そしてやってくる新型ウイルス蔓延によるSF映画みたいな停滞、いよいよ散歩なんて厳しく。
こんなことなら一回の昼食で4軒7玉とか食ってる場合ではなかった。ていうかなんでそんなに食べれんねん、アホか。そんなに食うならもっとしっかりデブになれ。バカタレ!

割とこの辺の後悔が結構デカい、かもしれません。

そして俺は骨折、そしてそんなタイミングに限ってまるの体調が急激に悪化。ちょうど1年前の6月、骨折した2週間後、退院の1週間後、本当にこっそり、万全の感染対策をして、めちゃくちゃ息切れで歩いては立ち止まるのを繰り返しながら、「もうアカンかも」っていう家族に会うために「今ヤバいです」な俺は二日間だけ帰省したのです。
そこから1ヶ月たって7月21日、まるは無事、無事?天寿を全うする。書いててなんかキツいのでちょけたいけど、何にも出てこん、こういうのはそういうもんなのね。

家族からまるの人生編、完結、の知らせを関東で受け取ったときは「そか、よく頑張ったな」みたいな穏やかな気持ちで。
恐らく家族も辛いだろうけどそんな気持ちで。
俺も骨折のことやら何やらで色々と大変な時期ではあったので、とりあえず前向こうってことで色々と踏ん張ってはいたのですが、その辺の時期から俺のベリーファニィデーズが始まり、その辺の時期からまるが居なくなったことの喪失感がジワジワと輪郭としてハッキリしてくる。
この手のしんどさは本当に不思議なもんでビックリするほどどうしようも無い。
衝撃的な辛さとかじゃなく、鈍痛。自分の人生に於いてそれなりの割合を占めていたものがいよいよ無くなるってこういうことなのか、みたいな。
そりゃオカンも「もう犬は飼いたない」って言うわ。みたいな。
街行く犬を見るのもちょっとキツいわ、みなとみらいとかめっちゃ犬が散歩してるけど、住宅エリアは辞めよ、出来るだけ幹線道路の方あるこ、あの辺は車とカップルとライブ帰りの客ばっかやし、みたいなね。
実家の犬でこのレベルであるなら、それこそ人間の家族とか他人でも大事な人とか、もし仮に自分の子供が先に、とか、そうなったらどうなってしまうんやろう、とかその辺は未だにたまに考える。俺、大丈夫そ?

ただ人間も結構気丈というか薄情というか、良くも悪くも強い生き物である。あんなにショックだったのに、ビックリするほど普通に生活できている。
ただふと散歩中の犬を見た時、それがまるに似た子だったりすると思い出す。
もうちょっと出来たこと、色々あったのではなかろうか、と思う。
そういう時はいつも決まって「今度もし会えることがあれば極力のことは叶えてやろう」的なことを思う。全部肯定!○!みたいなね。まー叶わないわけですが。

カリカリのご飯じゃなくて湿ったうめー奴沢山食わせてやりたかったな、とか。
どっちかが音を上げるまで散歩してみたかったな、とか。
昔幼馴染のとこの子と近所の里山に登ったな、とか。最近山登りするけど、たまにその時のこと思い出すな、とか。
最後に会ったとき、入院中の割にはなんかヘラヘラしてたけど、後日俺たちが来るまでずっと元気無かったことを知ったとき結構食らったな、とか。
そーいや、初めてライブハウスでライブすることをカミングアウトしたのはまるだったな、とか。

みたいなことをこの文章を書きながらも考えたりする。おかげでこのライナーノーツも情緒不安定を煮詰めた散文詩に他ならんものになっている。
この曲を酒飲んだ時に聴くと、やっぱりちょっと色々と考えちゃってウッと鼻の奥をぶん殴られたような感覚になる。そんで、コレ書いててもやっぱりそんな感じになる。

大事なものは無くしてから気付く、
みたいな月並な言葉があんまり好きになれないという嫌な感性があるのですが、これは色んなことをめちゃくちゃ一般化した結果なのかもと思うと存外悪い言葉では無い気がする。最近してきた。マジでそう。
いつまでもあると思うな親と金、
なんて奴も「なーに当たり前のことを」みたいな感じになってたけど、今となっちゃあ俺はこの言葉を笑えんよ。金については昔から笑ってないけどね。冬にガスが止まった時はマジで絶望感すごかった。銭湯行ったらええやんって言うかもやけど、銭湯いけるならガス代払っとるわいと言う話。そう考えると色々と今は生きやすくなっている。色々と考えることは間違いなく増えたけど。
やり過ぎてるので、ぼちぼち締めていくぞ。

おそらくもう会わないだろう、とか何をどうしてもどうしようもないなという人や物事がある。
まるの件しかりですが、未だにふと思い出してウワー!となるようなことは多分みんなある。無いなら無いでそれはメチャクチャ幸せなことなので、そのまんまが良いと思う。けど俺はある。
こういう物事に対してとの向き合い方はかなり難しい。ましてや今は超次元的電脳社会(インターネットが使える社会、カッコよく無いか、この言い方)。
なので思い出そうと思えば簡単に思い出せちゃうし、向こうがほじくろうとすれば割と簡単にほじくられる。便利やけど辛すぎる。

なので「綺麗な思い出に」とか「脳裏の片隅に」といったことで済ますことが非常に難しい。手紙は燃やせば灰になるけど、スマホは燃やせば不便やし、返事は止めればそれで終わるけど、ブロックすればすぐバレる。色んなことにちゃんと跡が付くようになっている。
そうなると今の時代においては、「〇〇という行為をする」といった手段的なアプローチではなくて、「〇〇という解釈とする」といった内面的なアプローチがめちゃくちゃキモになるんじゃないか、的なことを今は思っている。
デジタルでめちゃくちゃ便利になったのに、アナログがめちゃくちゃ大事に思えるのはなんかちょっと面白い。平たくいうとエモい。

もしこの考えが妥当なものだとすると、さっき言った二度と起こり得ないことに対しての向き合い方は俄然難しい。決め手を自分で作らなくちゃいけないので。作れ無さそうやけん、あの手この手の手段を探すのに、作らなきゃいけないので。
けど己を棚上げ上等で大層なことをいえば、やるべきことは結構シンプルで、独りよがりでも忘れないようにすることとこれで良かったのだという踏ん張りなのではと思う。で、そういう内面的なアプローチが完了してから、色々する。これが出来たら素敵やな、と思う。

まぁ偉そうに書いたけど、俺がこの通り出来るわけでは勿論ないし、手段的に色々とやっている内に内面的な整理がつくってのはマジでそうなので、全然正しく無いかもって思い始めた。
こういうのは答えが無いので考えてもしゃーない、けど考えないのも何だかなぁって感じなので、その時その時で都合が良い考えを採用するってので良い。どっちつかずで恐縮ですが。
この曲の歌詞も内面的に整理がついた上で書いたわけではなく、書いたことで整理が出来始めて、その整理の一過程として今こうして文章書いている気がする。もう既に大矛盾してる気もする。
けど整理しようっていう内面的なものが無いと、手が動かなかったってことを思えば何となく合ってる気もする。難しー!

こんな感じでクソだるいことを色々考えてみたりしながら
自分の身に起こった何かしらを歌詞にしてみたり、こうやって文章にしてみたりってことを最近改めてやっている。
そんな中で「一生物になる」みたいなことが自分の人生においてはかなり重要なのかも、と改めて思っている。
それは人だったり事象だったりから感銘を受ける"向こうから来る"ものと、俺が人だったり事象だったりに対して仕掛ける"こちらから行く"ものとベクトル違いの2つがあるんやけど、そのどちらもがどうやらかなり重要っぽい。
ミスタニスタのテーマでもある"グッドミュージックをする"というかなり曖昧やけど力強い信念も、根っこを辿るとそういうことなんやと思っている。

それにぼんやり気付いてから、「大事なものは大事に出来るうちに大事にしよう」とか「食わず嫌いは一旦辞めてみよう」とかそういう行動の取捨選択が前よりも随分と楽になった気がする。

歌詞作りもまさに"言葉の取捨選択"と言えるものですが、「一生物になる」ということが俺にとって恐らくめちゃくちゃ大事なことで、それに対しての再発見があったからこそ、この曲みたいな歌詞が書けたような気がしている。書いてるときはそんな余裕無かったけど。
"アルタイル"って言葉がウエムラの人生の中で歌詞として出てくるとは思ってもなかったけど、ポンと出てきたのは恐らくその証左なのかも。
無くしてしまってからそれを思い出すために色んなことを探すことが結構あるけど、先程の"アルタイル"もそういった類いの内の一つです。

こないだのベリーファニィデーズの件も絡んでくるけど、しんどいことは忘れてしまった方が楽。
ただそういうときにほんまに忘れちゃうような人間に俺はなりたく無いなと思う。そのせいで必要以上に世の中が嫌なものになってしまうのは必至なのだろう、という確信めいたものがある。けど、この感性でここまで来ちゃったのだから、腹を括って向き合うしかないんです。何事も全部自分事にしてやりたいな思うんです。じゃないと色々と浮かばれない気がするので。半分本音で半分虚勢ですが。

そんな感じで色んな取捨選択を重ねて、それでも残ったものが"俺の人生"とかいう特大スケールの見せ物になる。お恥ずかしい限りだぜ!
この曲についてもそんな感じで、聴いても歌ってもウッとならなくなったら、そん時こそ本当の意味で大団円なのでしょう。まるだけに。

ありえない長さにはなったけど、そんなことを考えがら書いたのが大団円という曲の歌詞です。
俄然良くない?この曲。
ここまで読んでくれた酔狂な貴方にとって大事な曲になってくれれば、もうそれで良い。です!

P.S.
歌のレコーディングはシバガキとウエムラの2名体制+エンジニアさんで実施したのですが、
この曲を録る時、もーどーにもこーにも思い出しちゃって泣いてしまうので全然レコーディングが進まなくなってしまった。
シバガキは「情緒よ。」と言い、エンジニアさんは「まま、ね。」と言っていた。やべー奴と優しさによって構成されたピースフルがそこにはあった。

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