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華金というには及ばず

ご無沙汰しております。

今年(2024年)も新曲のリリースを2曲行っておりまして、
その曲に触れたいのは山々ですが、その前に何とか書きたかったライナーノーツをやります。
ペースはさておきとしダラダラ文章書くのは好きなので今回もやるで。

土下座概論に続いてリリースしたのは"Oh When Cheaty"という曲。
2023年に出した2曲はどちらも"ミスタニスタらしさ"は割と薄めな曲じゃないかなと思うのですが、この曲についてはよりその薄さが強い曲ではないかなと思っている。
薄さが強いってわけわからん表現ではあるけど、ニュアンスは伝わるはず。伝われ!

なによりもまず伝えたいんですがこの曲めっっっっっちゃ良くないですか???
いや聴いてくれた人が微妙やと思うことは勿論あると思うのですが、俺がそう思うので押し付けがましくて恐縮ですがお伺いさせていただいた次第です。

そんなグッドでご機嫌なこの曲ですが、曲にしても歌詞にしてもテーマとしては"らしくなさ"なのかなと思う。シバガキ先生も言うておりましたが。
シバガキによる曲にまつわる話はXでも書いてるので、よろしければこちらもご覧くださいませ。


そしてあんまりごちゃごちゃ話すと脱線してしまうので、早々にしたい話に移ります。
この曲の歌詞はこんなです↓

まやかしなら足りてる
御託にはもう飽きている
まごつく人の群れが
今夜のこの街を揺らしている
それは唸り はたまた泡沫
バカラ的な割れ物紛いが居るせいで

策略というのなら
手の内は知れている
ないものねだりを
今拗らせ真実に飢えている
期待外れ はたまたハリボテ
燃料を求め己を道連れするレイデー

探してる匂いが
ありふれているから
分からなくなってんだ
"困らない"で"したい"は
見当たらない
だから焦ったい且つうざったい
プライドなど捨てて

これは blu blu bluff
さぁ気付いて
でも目は見ないで
まるで cra cra crack
さぁ砕いて
でも目は見ないで

いつか fla fla flash
暴かないで
また狂うシークエンス
まさに cra cra crap
止まらないね
また濁るウィークエンド

治らないその癖が
脳の奥を揺すっている
字面の裏を量るあまりに
文盲みたくなっている
勘違いかはたまた眉唾
外せばまた捏ねるはタラレバ
まやかしならとっくに足りてる
御託にはもう飽きている

探してた匂いが
売り切れているから
忘れなくなってんだ
"変わらない"で"痛い"が
無くならない
だから湿っぽい且つ野暮ったい
情緒などに酔って

これはblu blu  bluff
触らないで
でも離れないで
まるで cra cra crack
盛らないで
でも離れないで

いつか fla fla flash
暴かないで
また狂うシークエンス
まさに cra cra crap
止まらないね
また濁るウィークエンド

先に結論を言ってしまうと今回の歌詞は自分的には結構攻めた、というか「らしくないことをしてみた」という曲です。
"遭逢するトリロジー"という音源の歌詞たちを書いてから「もっと色んな歌詞書いてみたいな」などと思っていたこともあり、この歌詞についてもそんなマインドでやっております。

ご多分に漏れず、この曲もシバガキのデモから作品として転がり始めたのですが、聴いた瞬間から書きたいテーマは決まっておりました。
そのテーマは"湿っ気ある感じ"です。
デモを聴いたファーストインプレッションが
「うん、やたらとエロいなこの曲」
といったものだったので。
友人は勿論、職場の人や家族も容易にアクセスできるところでこれを表明することの是非は一旦置いときます。
そして実際その意図が上手く落とし込めたかということもさておきとします。
ただ、そんな感じをイメージして書き始めております。

とはいえ湿っ気とかよくわかんね〜!って感じで普通に難儀してました。
しかしながらそれを乗り越えなきゃ「らしくないこと」は出来ないしなと思い様々な試みを敢行。
書きたい雰囲気の曲の歌詞たちの共通項的なものを考えたり、意味もなく週末の飲屋街練り歩いたり、「あ〜こりゃもうアレですわ」的な二人組を観察するとかね。
最後のはかなりキショいな。自分で書いてて危うく警察に連絡するところだった。
ただそんなこんなをしている内に「あ、これは酒に逃げる時のあの感じだ」と謎のピースがハマり、そっからは楽しく言葉を編ませていただき仕上がりました。
今振り返ると2023年に出した曲どっちも難航してましたね。
とまぁそんな具合に"湿っ気"をテーマに走りだしたわけでしたが、書いている内に内容は"しんどさからの逃避"みたいな方向になってます。

先ほど「酒に逃げる時のあの感じ」って言いましたが、
あんまり何も考えたくなくてどうでもいいや〜ってなるときあるじゃないですか。自暴自棄的なね。
そういうときって踏ん張る元気がなくて、良し悪しとはまた別に楽な方へシンプルで手っ取り早い方へ行きたくなるじゃないですか。
湿っ気ある感じの曲を聴き漁る中で、それら歌詞にもそういう共通項があるなと感じたんです。
確からしい答えや求めている答えは明確なのに、どうにもならなくて色んなことがカイジのオノマトペよろしく"ぐにゃあ"となる感じ。
もしその時とっている行動が己の選択なら逃避ではないと思う。
が、後ろめたさや自信のなさ故に人様に言えないことなら多分逃避行動に他ならないんじゃないですかね。

【参考画像】カイジのぐにゃあ


そうなっちゃう理由や過程は様々でしょうが、
逃避行動に走っているときって、主観的なワガママと客観的なあるべき論のバランスが崩れている状態なのではなかろうか、と思う。
「こうするべき!」ってわかっていてもそうする気力が湧かない、だったり
理解して欲しいが、わかった気にはなってほしくなあ、だったり。
そういうみみっちさとエゲツないエゴに苛まれることって生きてりゃ度々あるじゃないですか。
だからこそ着地点がなく、とはいえ苦しく、それ故に逃げ出したくなる。
これはよく言えば人間らしいいじらしさであり、悪くいえば自分で自分の制御が出来てないビーストモードである。

いつものノリの自分なら「いやそれでもなんかこう、あるやろ!」って駆け抜けるんですけど、そうした逃避は自分にもある。
もっともらしい理由をつけて酒を飲んだり、一旦考えるのを辞めてひたすら玉ねぎのみじん切りを量産したりする、などをします。
こういう時に欲しているのは理屈による正しい行動選択じゃなくて、今この現状の解消なんですわ、多分。
まやかしなら足りてますし御託にゃもう飽きているなんです。
そんなことを考えていると、よくわからなかった湿り気の根源がどことなく掴めるような気がする。

そしてそんな気分をもってして繁華街に赴いてみると、ちょっと街の見え方も変わるなと思ったわけです。
もしこの手の感覚がウエムラ固有のものでなく誰もが近しいものを抱えているのだとすれば、
尚且つ一見華やかに見える繁華街での醜態や痴情たちに逃避行動によるものが含まれているのかもしれない。
そう思うと週末の街々でたまに感じる煩わしさも多少は受け入れられそうである。
というか、酒に逃げちゃうことがあるならそれを非難するのって筋違いかもと自戒しなくちゃとなる。
湿り気ライクなものに対して理解の解像度が低い故の忌避感がほんのりとあったのですが、この曲の歌詞を書いているうちに「なるほどなぁ」と勝手に思ったりした次第です。
あくまでウエムラの自分なり解釈でしかないし、それを以てして良し!と出来るかというとそうでもないのですけど。

敢えて同年にリリースした"土下座概論"の歌詞と照らし合わせて考えてみると
"土下座概論"の詞には自分が降り重ねてきたモヤモヤとの対峙といった文脈があって
"Oh When Cheaty"には他者に見せられてきたモヤモヤとの対峙という文脈がある気がする。
書いてるときはそんなん考えてないけどね。
ただ、そう捉えてみると、この2曲の歌詞を書いたことはこれからの自分にとって割と大きい意味を持つんじゃないかな〜と考えている次第です。
価値観のアップデートというと言い過ぎやけど、心の守備範囲が広がる、みたいな感覚。

少し別曲の話に逸れてしまいましたが、本筋に戻らせていただく。
この曲の歌詞を書いていた最初の方は逃避行動をそれだけで終わらせたくはなくて、
なんとかこの手の気持ちの消化の仕方はなかろうかと考えておりました。
自身の逃避にも関わるのでなんとかしてそれっぽい理由や筋道をつけたいなと。
けど結局しっかりとはわからず。
歌詞を書いている時は言わずもがな、今もそう。
故に本作のメッセージや着地点も現状不満やあり様の話に留まっている。
まやかしや御託でどうにもならない、という前提なので答えを出すのが難しいし、そもそも絶対解はないですし。
とはいえ綺麗事ではあるが、こ逃避するより向き合う方がよっぽど有意義ではあるのは確からしい。
ということで、せめて自分なりの答えが出るまでは引き続き考え続けてみることとします。

そんな袋小路の思考と浮ついてみえる事象への理解と偏見と妄想とを混ぜ込んで落とし込んだのが"Oh When Cheaty"の歌詞です。どないでしょ?
もし聴いてくれる貴方が何もかもがしんどくなってヤケクソになっちゃいそうになったとき、この曲がジェネリック逃避として機能すれば幸いです。

それでは皆さま良い週末を!!!!!


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