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青年よ、麺を湯切れ

1人で食べる外食において、その多様性が広がり続けることはないと思っている。

最初は「この辺の飲食店を開拓すっぞー!」と息巻いていても、なんだかんだで"いつものお店"に辿り着いてしまうことは俺だけじゃ無いはず。
今回はそうした"いつもの店"でのグッと来たっていう話です。

いきなりですが、俺はとにかくラーメン二郎、あるいはそれに類するお店が大好きである。
安心してほしい、脈絡のない話ではない。

引っ越し、お出かけ、バンド遠征、ひいては就職活動に至るまで何処かしらに行くに差し当たっては一先ず最初に
「目的地周辺か道中に二郎、二郎系はあるかどうか」
を全力で調べる。共感されることは稀やけど、楽しい。
とはいえ仕事終わりや休みの日に積極的に二郎開拓をしているのかというとそうでもない。
遠征計画を立てたとて、なんだかんだ「遠いな〜」だとか「寝過ぎて昼営業間に合わんな〜」だとかで計画は頓挫する。

すると俺の二郎ワークはどうなるのか、というと冒頭よろしく"いつもの店"に行くことになる。
通い詰めたろ、この店の味知り倒したろ的な前向きかつ背景を知った店主に望ましい文脈ではなく。
だからといって消去法的にしゃーないからいくかといった後ろ向き且つ背景を知った店主にとって物悲しい文脈でもなく。
極めてニュートラル且つ背景を知った店主にとって心象的にもアンニュイな動機で、"いつもの店"に足繁く通うことになる。

こういうのが結果としては一番強い、と思う。
店に限らず「なんとなく」くらいの温度感の人やモノってあるじゃないですか。
そういうのが結果としては一番濃くはないにしろ、一番長かったりしません?
漫然ど真ん中な感性なのは分かるのでみんながどう思うかはさておきとして、個人的には良いものだと考えている。えーやん、捨てるに捨てれんタオルとか、ボロボロやけどきちゃうシャツとか
ダラダラ話してしまったけど、無論、この話についてはマジで蛇足。いつもすまんね、ありがとね。そんな具合で自宅から殊更に近いわけでもないのに、徒歩15分強かけて度々いっている二郎系のお店があったのです。

その店はチェーン店故に店員の入れ替わりも激しいし、チェーン店の癖に豚の大きさもヤサイの盛りもスープの味も行くたびにバラバラ。
だけどなんだかんだ通っちゃう。そういう店だったわけです。
味は毎度違うけど、通っていると店そのものの空間や雰囲気に慣れてきてちょっとやそっとなことで感情は動かなくなる。変わり映えもなくなってくる。
味は行く度に変わるのに変なの。けどまぁそういうことなんよ。

そんなモチベーションで通うところであっても印象的な出来事というのはある。
"どエラく飲食店向いてない無いやろボーイ"の存在である。
こういうとボーイに対しては失敬な気がするが、バイトに限らず、服にしても立ち振る舞いにしても何にしても似合う似合わないってのはあると思っている。
俺が金髪グラサンタトゥーってのは似合わんでしょってのとおんなじ感じ。

かくいう小生は"絶賛飲食店のホール壊滅的に苦手ボーイ"だ。
おそらくあの店のバイトにも何となく己と似たものを感じてそういう印象を抱いていたのだろうと今となっては思う。
己のシンパシーをベースにして、他人を決めつけるのは俺の良くない癖なんやけど、どこかしらのシンパシーがないとそもそも相手を理解したいとも思えないので捨てるに捨てれない難儀な癖でもありますね。
ま、そーゆー話は今じゃなくて良いですね。

またしても話が逸れてしまったけど先ほどお伝えした通り、二郎的な店に目がない俺は後の"いつもの店"が開店する前から目をつけており、開店してからはちょこちょこ行っていた。
そして4〜5回目くらいのタイミングで件のボーイと邂逅した。

この手のラーメン店には大概ルールがあり、その代表的な項目として"コールのタイミング"というものがある。
二郎に行かない人にとっては言葉を聞いてもピンとこないかもしれないが、平たく言うと"トッピングの内容を伝えること"である。
二郎系のラーメン屋の多くは、ニンニク、ヤサイ(ほぼモヤシ)、アブラ(背脂)、カラメ(ラーメンタレ)の量をある程度好きに増やすことができる。
これは
「今日はお腹減ってるからヤサイマシかな〜」
とか
「この店はニンニクスクナメヤサイアブラが一番美味い」
と言った感じで己のその日の最適解を見つけ出すという楽しみに繋がっている。
そしてそれを伝えるタイミング、つまり"コール"のタイミングは店舗によって決まっており、何故か店側も客も
「知ってて当然やろ」
というテンション感であり、間違えようものなら公開説教みたいな雰囲気になる店がないこともない。
この雰囲気については正直俺も意味不明だなと思っているのだけど、郷に入ればなんとやらともいうので初めてのお店では大人しく様子を伺うようにしている。
なんでそんな面倒臭い文化の店に好き好んで通っているのか自分でも訳がわからなくなるが、その緊張感も含めて俺は楽しくやっている。変やね。

毎度の如く、話が逸れ倒して恐縮なのだけど.
先述の通りコールのタイミングは店員から勿論、なんなら客も当たり前のように知っているものなのである。
チェーン店だとその雰囲気はだいぶ和らぐ傾向にあるが、やはりうっすらとある。
"二郎を食う"ということは、刹那というには長すぎる約30秒間、この緊張感を味わうということである。
お察しの通り、流石に言い過ぎである。
ただ、件のボーイは一味違った。
彼が一番知らないのである。

二郎好き、所謂ジロリアン特有の「今は食券渡すだけ」と理解している客に対して
「トッピングは?」
と聞き、
「え?間違えたか?変わったのか??」
と一旦客を不安にさせた後、調理場で作業する社員と思しき人に
「それは後だよ!」
と怒られて客を安堵させるという一抹のカオスが起こる。
そしてそのカオスのど真ん中にはボーイがいる。

"上げといて下げる"は往々にして起こりうる事象やけど、下げといて上げる"はなかなか無い。
いや、別に上がっては無いね。ニュートラルに戻っただけやな。ほんまにこの感情の動きはなんなんだ。

それだけじゃなくて麺揚げ、要するに麺を茹でている人のリズムと彼のリズムはことごとく噛み合っておらず「丼用意して!」「ヤサイもっと!」といった感じで控えめにいって大分怒られていた。
麺揚げ、という行為は提供するラーメンの味に直接関わるので店の中でもカースト高めの人の役割だったりする。
そんな人から怒られるのは客目線でもちょと辛い。
客の前で怒る店員ってなんだよ、と個人的には思うけどまー飲食店ならあるあるよね。

そんな様を見ているわけなので出会ったその日は「それは流石にわかるやろ」という嫌な常連客のようなスタンスで彼を認識していた。
ただダメな子ほど可愛いというのはよく言ったもので、何度目か以降はむしろ「今日も頑張ってるな、頑張れ!」というような気持ちになっていた。
多分あの店における彼のファン1号だろう。

飲食バイトが苦手そう、だとか勝手にこちらがつけた印象で人を語るのは甚だ失礼なことではあるが、おそらくこの印象は間違いではなかった。
彼に対する社員の当たりが、クソ、強い。
なんかもう、悲しいほどに強い。
俺が女子なら「ねー!もー!男子!やめなよ!」と声を荒げていたであろうってレベルで強い。
ただその当たられの強さこそがファン1号の理由でもある。
(勝手にファンがいないことにするの本当に失礼だな、届かんとは思うけどごめんね)

かくいう俺も飲食店でのバイト経験があるのだけど、言葉を選ばすにいうと2度としたく無いなと思っている。
理由ははっきりしている。
俺の場合はとにかく優先順位づけが苦手で一気に情報が舞い込んでくると脳味噌のパフォーマンスが著しく低下していまうからである。
物覚えは良い自負があり、そのおかげでメニューや座席番号や作業内容はすぐに覚えられるのだけど、飲食店バイト、特にホール業務のミソなとこはそこではない。
ミソなのは注文、提供、バッシングを如何にして店全体の流れを崩さずにこなすことが出来るかなのである。
覚えの良さや声のデカさは加点対象ではあるけど、ミソを押さえてないとあんまり意味がない。
正直メニューとか覚えてなくても、ミソを押さえておけば多少のミスはご愛嬌になる。
その点で当時の彼は結構辛かったんじゃなかろうかと思う。

そしてどんなとこにでも悪魔の所業を平気でやる人間はいるものだ。
思い出したら未だにちょっと嫌な気持ちになるので詳細は省くが、単なる仕事の不出来の指摘では無くて絶妙にその人のプライベートを絡めてイジる店員がいた。

これは結構エグいもんであるなぁと思う。
事実の指摘なら同じミスをしない、で解決出来るのだけどプライベートを絡められると人間性ごと否定されたような気持ちになる。
そうなるとやることなすこと全て間違ってるような気がしてきて、金を稼ぐために働いているのか、金と引き換えに人のご機嫌をお伺いしているのかわからなくなる。
とはいえ向こうの悪意の有無はわからんし、根本原因は仕事が出来ない自分にあると言われたら否定はできない。
といった煮え切らない事情から、そうした自身への扱いを咎めるのは難しい。

こんな感じで色々考えちゃう程度には俺もおんなじような経験をしたことがあるので、件のボーイが怒られている日は悲しい。
めちゃくちゃ件のボーイに感情移入してしまい、金払ってなんとなくしょんぼりしながらラーメンを食べることがあった。
逆に怒られてない日は嬉しい。
なんとなくいつもより味が濃くてスープも神域な気がした。
長々と話してしまったけど、多くの人がアニメや映画で陥るあの感覚を俺はラーメン屋で味わっていた。

とはいえ人は慣れるもので、しばらく経てば俺は彼の処遇が気にならなくなり、彼も仕事を覚えていった。
"彼も仕事を覚えていった"
と一緒に働いていない俺が言うのは一見おかしなことのように思えるかもしれないが、これにはちゃんと根拠がある。

ある日ガラガラの"いつもの店"に行き、いつも通りラーメンの食券を件のボーイに渡す。
かつてのようにそのタイミングでトッピングの内容を切られることはなく、彼は注文内容を厨房に通し、うず高く積まれたラーメン鉢を一つ、麺上げ担当が居る調理台に置く。

席に付き、手持ち無沙汰になったのでなんとなくうず高く積まれたラーメン鉢たちをぼんやりと見ながらぼーっとしていたら、麺上げ担当とボーイが話し始めたのでなんとなく聞くことにした。

「明日も学校?」
「そうっすね!」
「何やってんの?」
「なんと言うか、研究です!」
「へ〜」

みたいなことを話していた気がする。
流石に詳細は覚えていない。

「もうここも割と長いよね?」
「そっすね」
「来月から時給上げといたから」
「ッス」

何故かめちゃくちゃ嬉しかった。
もっと喜べやとは思った。なんか、こう、あるやろ!もっと!
とはいえこういうときに何となく「普通っす」みたいな感じでスカした感じになりたくなりのはわからんでもない。本人にその気があるかどうかはわからんけど。
すっかりボーイのファンな俺はこんな感じで逐一シンパシーを探し出しては、何かしらポジティブなイベントに立ち会ってはヒッソリと喜んでいたりした。

ひとしきりのポジイベ(ポジティブなイベント)を経験した気になったころ、またしても俺は太っていた。
久しぶりにお客さんの前でライブする機会を頂いたり、巷の諸々も落ち着いて来て人と遊ぶ機会が増えたりなこともあり、それはもう奔放に飲み食いしていた。
その煽りを受ける形で全盛期とは言わないまでも、"本場所に向けて仕込みは順調"とは言える程度に太った。
こういうときにまず見直すべきはメシであり、その中でも見直すべきメシは二郎である。
そんな感じで"いつもの店"はもとより二郎そのものからも少し遠ざって生活していた。

YouTubeなどで動画を見るとそれ相応に猛烈な衝動が訪れるのだけど、モリモリと魚肉ソーセージと豆腐麺を食っておけば案外何とかなるものである。
むかーし禁煙に成功したバイト先の社員さんが
「タバコはね、吸いたいときにグッと我慢したら案外行けるで」
と言うてたが二郎も同じだな、と思った。
あの社員さんの禁煙が今も続いているかは知らないし、昼休憩から帰って来た時にフワッと紙巻タバコの臭いがしてたこともあったので色々と怪しいところもあるが、この言葉は良いので今後も良いとこだけ大事にしようと思っている。

そんな感じの食生活をしていたが、「そろそろえーやろ」って具合になってきたのでまたしても二郎に行く雰囲気が出て来た。
この「そろそろえーやろ」ってのは"目標体重が〜"とか"痩せたって言われたから〜"とかそんな根拠付きのものではなく、めちゃくちゃ主観的な
判断である。
なんとなくシュッとした気がして、なんとなく「俺、頑張っとんな」という気がするのでご褒美的な意味合いで己に二郎を許可した。
外から見れば自分への甘さが際立ちまくってるかもしれないが、この甘さのおかげでギリギリヘコたれずにいられる節もあるのでね、勘弁してくださいな。

そんな感じでちょろちょろとまた爆盛りラーメン店に通い始め、いつぶりかもわからないほど(俺目線では)久しぶりに"いつもの店"にくる日が来た。
冬が終わった予感がしたり、やっぱり冬真っ只中だったりそんな時期だった。
久しぶりに行くこともあり、若干の緊張していたような気もする。
数年ぶりに実家に帰るような、そんな経験はないが、わからんけどそんな気持ちで店に入る。
間はあけど、そこはジロリアン。
至ってスムーズに食券を購入し、空いている席に座る。
時間が遅いこともあり、店内は落ち着いており俺以外には2〜3人くらいしかいない。

少しすると件のボーイがやってくる。
俺が置いた食券に何か恐らく席番を記入しながら、購入した食券に誤りが無いかの確認が行われる。
その店は暇になる時間になると1人が皿洗いを行い、もう1人が麺上げとホール業務をこなすといったフローになっているっぽいのだが、その日はまさにそんなフローだった。
もう1人の店員は食洗機の前でガチャガチャと作業をしており、ボーイは生麺を手に取って熱湯の中に入れた。
俺は厨房を思わず二度見した。

おい!!!麺揚げするようになっとるやんけ!!
時給上がったとおもたら麺揚げもするようになっとるやんけ!
野菜盛るだけちゃうんかい!ニンニク盛るだけちゃうんかい!汁無しに入れる卵の黄身が割れてしまってあたふたせんのかい!!

これはド偉いカタルシスである。
数年かけたストーリーが図らずして今この瞬間を以ってして完成した、そんな感覚である。
自分でも辟易するほど上から目線な気がするが、ワシが育てたと言いたい。勿論育ててない、紛れもなく彼の愚直な努力の賜物だ。けどそんくらいどデカい感情だった。
俺があと2〜3合の日本酒を飲んでいればでかい声を出して拍手していただろう、更に焼酎ロックを2杯ほど飲んでいれば立ち上がって何かしら言っていただろう。おそらくベロベロに酔っているので何を言ってるかは伝わらないだろう。

その日のラーメンはこれまでで一番美味しかった、気がする。
豚もいつもの5倍くらいの大きさのものだった気がするし、ヤサイも俺が好きなややクタなものだった気もするし、スープもカエシがキリリとしたグビグビいけるものだった気がする。
勝手に感じたシンパシーと勝手に話してるストーリーだがこのイカれた感受性も悪くはないなと思えた瞬間だった。

自分でも何でこんなに"いつもの店"のボーイに思い入れがあるのかはわからない。
飲食店で特定の店員の動向をウォッチしてるのは普通に気持ちが悪いと思う。やめた方がええ。
けどこの手の思い入れのおかげでなんとなく毎日がちょびっと起伏あるものになるのも事実なような気がしている。

その点で"変わり映えのない日常"というのは割と生活者側の感性に由来しているものであると思う。
勿論、変わり映えを見繕う程度の心の余裕がないという状況や時期ってのはあるのですが。
ただ、今回の一件でどうやら一つ確か臭くなったのですが、どうやら想定しているよりも着実に世界はグルグルと変わっているらしい。
ちょっとゆるやかに、だいぶ柔らかに、かなり確実に違ってゆくだろうってどっかの誰かの言うてましたね。
大学のコピバンで何回も歌ってたときには全く気付いて無かったのですが。

およそ6000文字強の長話を要約すると、
怒られまくってた店員がなんか良い感じに働いていたり、気がついたら前よりも眉毛がキリッとした感じになってたりを見て、「変わっていっとるなぁ」と感じるのも大事にしたいし
やっぱり朝が苦手だったり、カラオケで延長しちゃって喉ガラガラになったりして「変わらんもんやなぁ」という反省するのも大事にしたいもんやねって話です。

本筋以外の話をし倒しているとこ凝縮ながら余談ですが、最近アブラマシにすると翌日までお腹いっぱいになってしまいます。変わるねぇ。

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