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暁光滔々と延長戦
先日GOODBYE GROWLYのお話をしたために順番が前後してしまったけど、2024年の年末は怒涛だったのでそれも書き残しておく。
GOODBYE GROWLYの話はこちらから↓
前置きはほどほどにして本題に入ります。
2024年12月25日はGROWLYでミスタニスタとして最後のライブをした。
イベントタイトルは"暁光滔々"。
僭越ながらウエムラが名付け親なのですが、このタイトルを非常に気に入っている。
前回の内容と被っちゃうのだけど、ミスタニスタのGROWLYラストライブは2024年9月1日の"ALCOHOL LAMP"という企画への出演が最後となるはずだった。
なのですが、その日の打ち上げで12/25の空きが判明し、その場でイベント開催が確定。
表現として正しいかわからんが、ウエムラは少し安堵に近い気持ちがあった。
生きてりゃ予想だにしない終わりが沢山ある中で、自分たちでその終わりに真っ向から臨めるからだ。
こうした意味合いで「悲しいことに変わりはないけど、多少の救いがあるなぁ」と9/2に乗り込んだ新幹線の中で思ったりした。
その後、イベントタイトルを色々と考えた。
「"これで終わり感"では無く継続的な印象、そして圧倒的感謝と希望を落とし込みたい」
といった思いを込めていくつか候補をメンバーに提示し、イベントタイトルは"暁光滔々"でいくことに。
このついでにイベントタイトルに込めた思いの話をする。
平たく言えば「GROWLYに関わる全てがこれからも最高であってくれ!」といったものである。
暁光には"明け方の光"という意味があり、
漢字違いの僥倖には"思いがけない幸せ"という意味がある。
悲しいのは確かでそれはちゃんと処理するけど、このことが次の誰も予想できない幸せのきっかけになれば良いなとか、どうなるか分からないけどこの閉店はデカくジャンプするために大きな屈みみたいなものであって欲しいなというややもすれば押し付けがましいほどの気持ちが背景にある。
あとちょっと"暁の彼方"という弊バンドの楽曲からもちょびっと印象を引っ張ってきた。
そしてそれらのギョウコウが煌めき的な細やかなもんではなく、まともに目を開けてられないくらい眩いもんであって欲しくて"滔々"を後ろにつけた。
読み方は"ぎょーこーとーとー"。
なんか口馴染みがよろしくないです?
そしてこのフレーズ、既に誰かが言ってるもんだと思ったら誰も言って無かった。これもちょっと嬉しい。
イベントがすることが決まってからは自分の生活を全うしていた。
閉店を知った日の夜は気が動転して500mlのレモンチューハイをほぼ一気飲みしたりなどしていたのだけど、9/1のライブからイベント当日まではGROWLYラストライブの実感があまり湧かず、自分でも不思議なほどに至って平常にギターと歌を練習していた。
が、今になってみれば無意識にしんどさをマスキングしていただけだったっぽい。
イベント当日の12/25は昼前に京都へ向けて出発した。
が、事前に入る予定のスタジオの時間を勘違いし、しっかりと遅刻してしまった。
前日にシバガキからスタジオ時刻のリマインドを受けていたにも関わらずだ。ここぞという日に手痛い駆け出し。
メンバーからは多少ボロカスに言われたが、その様は「あん時の自分」を思い出させるところがあり、そんなことを感じながら新幹線の指定席についたところ、猛烈に"最後感"が湧いてきた。
そこからGROWLYに纏わる思い出が一気にフラッシュバックし、鼻からンクゥゥゥゥみたいな音が鳴り始めたため慌ててトイレに行って深呼吸をし号泣を回避した。
思わぬ感情の激動があり、尚且つ行くべき時間からは遅れておりながらも無事京都に到着。
そこからはあっという間だった。
京都駅から二条駅で向かう電車で偶然about a ROOMの谷さんと会って現場入りし、リハの後には二日酔いのULTRA CUBカーミと久しぶりに話す。
前日12/24はハンブレッダーズの企画が行われており、GROWLY入口近くにはイベント内容立て看がそのまま残っていた。
カーミと話したのはその看板を見て「うわーあの日のGROWLYみたいだ!」となっていた矢先だったため会えてとにかく嬉しい気持ちになった。
「昨日はお疲れ様」といった旨を彼に伝えると、カーミは「昨日を終わらせたくなくて朝まで飲んでた」という話をしており、「カーミのこういうとこ好きだな」と思った。
それからはアバウトのまっつんさんの御子に挨拶し、近くに抑えた安宿のチェックインのために少しライブハウスを離れて散歩。
時間は誰にとっても等しいスピードで進むが、せめてもの抵抗としてゆっくりと京都の街を歩く。
昔のことを思い出しながらほっつき歩いると、なんとなく喉の調子が悪いような気がした。
そこでGROWLYの近所にあるドラッグストアに立ち寄り、"響声破笛丸"という漢方を買う。
それをすると今度はなんとなく格安の2リットル水が飲みたくなった。
そこで二条駅の高架下にあるサンディというスーパーに行った。
これはかつて幾度となく繰り返してたライブ前のルーティンである。
"なんとなく"とかいうてましたが、ゴリゴリに懐古厨してました。アンニュイな表情も浮かべていたかもしれん、すいません。
何だか過去に執着するようでダセェなと自分でも思うのだけど、「執着も出来る時にしなくちゃ出来ひんからな」とお得意のご都合主義を発動させて周辺テナントは変われど、空気はそのままの二条を少々謳歌した。
ライブハウスに戻ってからは、久しぶりのノンフィクションのみなさんに挨拶を。
振り返ると9年ぶりの再会だったわけですが、イイジさんはあまりにもイイジさんのままでこれも嬉しかった。
今も年に一度フルアルバムを作っているという話きいたが、並大抵の胆力じゃ無理だなと思うので本当にすごい。我々もフルアルバムとは言わずともポツポツと新しいものは作り続けたい。
ノンフィクション御一行は未明に北九州を車で出て京都に来たらしく、今回新幹線で京都までやって来たabout a ROOMのメンバーに対し、冗談めかして憤っていた。
俺はそれを聞きつつ笑っていたが、同じく新幹線で来た手前、何処となく気まずさを覚えていたのことをここで開示しておく。
そうこうしているうちにオープン。
ほどなくして、かつて働いていたスタッフの方やお客さんが訪れる。
久しぶりに会う人が沢山でまたしても「なんかあの日みたいやなぁ」となった。
この日は何遍も「なんかあの日みたいっすわ」というてたな。
久しぶりに会った人たちと思い出話やら近況話をしているとイベントがスタート。
ここからは自分の出番に緊張しながらも単純にライブを観る側として大層楽しんだ。
トップバッターはIt will be rainy(but I go.)。優しくて綺麗で力強い音楽だった。
バンドとしての対バンは初めてなのだけど、ボーカル藤村さんは学生時代に楽器屋の店員さんと顧客として出会っており、今使ってるギターや足元の機材もその時に買ったものだったりする。
ライブを見ている際にその頃のことが一気に脳内に流れ出してきてイベント冒頭なのに涙腺が震えた。
2番手のノンフィクションは鋭利な鈍器のようで圧巻。
すごく久しぶりにだったのけど、とにかく俺はこのバンドの音像が昔から好きである。
最後に対バンした日に喰らった衝動のコアはそのままに大迫力だった。
先ほど泣きそうになっていたが、ライブをしに来たことを思い出して己を奮い立たせる。
トリ前のabout a ROOMは超絶に暖かくてハピネス&パワフル。
会う度に思うけど、リョウジさんの話す言葉は前向きで優しい。
その日話したいなと思っていたことをあの茶目っ気ムンムンで全部言ってしまうので、めちゃくちゃ心を打たれる一方でバンバン話すネタが削られてしまう。
けどやっぱりその通りなのでしっかり同意100%、最高や。
そうこうしている内に我々ミスタニスタの出番が来る。
ライブ中は気持ちと思考が濁流みたく頭のなかで乱舞していたために克明に覚えていないのだけどミスタニスタは三者三様に思いの丈を発散したと思う。
MCで全く上手く話せなず、自分でもビビったが話したいことが多すぎたからってことでね、なんしか。
アンコールではイベントタイトルにも紐づいている"暁の彼方"という曲と"問題作(仮)"を歌った。
暁の彼方には
"思い出に変わる前に景色を迎えに来た"
というフレーズがあるが
歌っているときにフロアの皆々様を見て
「あぁこれが今日目に焼き付けたかった景色なんやな」となり、鼻の奥がツーンとなった。
油断するとングゥみたいな嗚咽が出そうだったけどなんとかやりきれて良かった。
問題作(作)についてはとにかく何にも考えずに全部壇上に置いてくるつもりでやりました。めーちゃくちゃ楽しかった。
その後はいつもの如く酒をカパカパ飲み、二条駅近くの天一で爆食いをした。
しこたま飲んでいるときには何故かまっつんさんから緑色のPloom Tech用カバーを貰った。本当に何故?
けど好きな色なので今日も着けてます。
天一を出た後はアルコールと血糖値スパイクでフラフラになりながらホテルに帰った。
体力的にはかなり追い込んだ1日だったため、部屋に着くや否や安い割にはかなり綺麗なベッドでとりあえず横になる。
が、興奮しっぱなしで、ほぼ眠れなかった。
そのまま翌日7時ごろに京都駅発のバスに乗って香川へ帰省。
機材をガチャガチャ乗って高速バスに乗り込む際に夜行バスでツアーを巡ったことを思い出し、今回の京都で最後の「あの日みたいやなぁ」を心の中でひっそり呟いた。
こんな具合でウエムラにとってタフネスかつメモリアル1日はクリスマスで浮かれる京都にて人知れず終了したわけです。
これを書いててもやっぱり寂しいなぁと思ってしまう。
楽しいことも嬉しいことも悲しいことも悔しいことも全てが詰まったあの場所が無くなることが今も悲しい。
けどやっぱり無いもんは無いし、やらなあかんことはやらなあかん。
その上で出来ることは日常をせっせと編む傍らで何度もこの感情を反芻して、己の中に落とし込むくらいなんだろうなと思っている。
落とし込むのにどれくらい時間がかかるのかはわからんけれども。
なにはともあれ2024年最後のライブをGROWLYでの自主企画で終えられて心底良かった。
帰省後はライブの余韻に浸ったり、突発的に京都へ向かったり、甥っ子に自身のイメージアップを計ったりして実家で年明けを迎えたわけですが、1月1日の香川はアホみたいに晴れていた。
"暁光滔々"なんていうイベントの後だったからか、なんとなくおみくじの大吉よりも幸先が良い気がした次第。
あのカラッとした大青天のように京都?関西?いや至るとこでGROWLYに関わる全てに何かしらの暁光が在らんことを祈りつつ、この文章を締めさせていただきます。
P.S.
2024年12月25日を以て、GROWLYに立ち入るのはウエムラ史上最後になる予定だったのですが
12月29日の最終営業日当日、居ても立っても居られなくなり夕飯を作るオカンの機嫌を損ねながら京都に馳せ参じました。
恐ろしいほど酔いましたが行って良かったなぁ。マジで。