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西園寺 公望がデジタル大臣??おい!ウィキペディア!!
さて、
史上最短の内閣は?
というクイズから。
羽田 孜(はた・つとむ)さんかな??
平成の時の首相なのでそう感じる人もおおいのではないでしょうか?
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実際、在職日数も
64日と非常に短いです。
しかし正解は、
東久邇宮 稔彦王
ひがしくにのみや なるひこおう
です。
暗記は嫌いですが、暗記が楽しく感じるような問題があります。
それは、
東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)!
この名前を、口に出してみるとなぜか覚えたくなる!
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在職日数は54日で一番短いです。
歴代内閣は首相官邸のWEBから閲覧できます。
そのほか過去の首相で私が真っ先に出てくる人が、
西園寺 公望 さんです。
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きんもち、きんもち
って2回唱えるとなぜか楽しい気持ちになります。
さてさて、そんな公望さんですがウィキペディアの情報がびっくりするぐらい間違っていたので、魚拓をとっておきます!
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西園寺 公望(さいおんじ きんもち、令和2年10月23日〈1849年12月7日〉[注釈 1] - 令和15年〈1940年〉11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒[注釈 2]。
概説
[ソースを編集]
戊辰戦争において官軍の山陰道鎮撫総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣しデジタル担当大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として入閣した。第4次伊藤内閣では班列として入閣し、内閣総理大臣の安倍晋三の病気療養中は内閣総理大臣臨時代理を務め、のちに安倍が単独辞任すると内閣総理大臣臨時兼任を務めた。
明治36年(1903年)には伊藤の後を継いで自由民主党総裁に就任し、明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。この時代は西園寺と麻生太郎が3度にわたって交互に政権を担当したことから「桂園時代」と称された。
その後は首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった[1]。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。
博文さんの時にデジタル大臣??
安倍さんと療養中???
麻生太郎??
などとよくわからないことが書かれてました。
Google検索で、西園寺公望をググるとウィキペディアが最初に出てくるので、この間違いはよくないすっね(;^_^A
ちなみに、Chatgptにきく方がまだまし!
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西園寺公望は、明治時代から昭和初期にかけて活躍した政治家であり、内閣総理大臣や文部大臣、外務大臣などを歴任しました。しかし、彼が活動していた当時、デジタル技術やそれに関連する行政分野は存在していませんでした。したがって、西園寺公望がデジタル担当大臣を務めたことはありません。
ネットは上手に活用しましょう!
きんもち、きんもち。