2ヶ月間、人の悪口を言い続けて気づいた…。自分が成長するための打開策は自分へのコンサルティング。
こんばんは。株式会社俺 中北です。
※表紙の写真は当時お笑い時代にユニットのトークライブをしたときのポスターですね。エレファントカシマシみたいにしましょうというコンセプトでめっちゃカッコつけています。
今では、笑いのメカニズム「コメディケーション」を伝えたり、お笑い芸人からの転職支援「芸人ネクスト」を運用していますが、僕が初めてお笑い芸人から転職した時、驚くほど成果が出ませんでした。そして、成果が出ないが故に、しっかり人並みに腐っていました。
お笑い芸人時代の宣材写真(右が中北ですね。)
全然成果が出ず人並みに腐った27歳
初めてお笑い芸人から転職した会社は人事系のコンサルティングを専門とする会社でした。具体的な仕事は、各企業の社員をどのように育成するのか?を提案したり、離職率を減らすための取り組みを提供したりする会社です。専門知識もいる領域の中で僕が戦えることといえば唯一、誰よりも働くという行動量だけでした。
とくかく働きました。27歳から就職しているため人から遅れをとりたくない一心で、そして何としてもはやく成果を出したくて、9:00~2:00までほぼ毎日働きました。※自己判断で働いています。
2012年2月にお笑い芸人の夢を諦めて毎日泣いていた1ヶ月間。
やっと転職した会社で何もできない自分が不安で仕方なかったんだと思います。死ぬ気で働きました。でも、思うように営業成績が出ませんでした。
しっかりと腐ってしまった僕は、1週間に2回ほど定期的に後輩と喫茶店に行き、先輩・上司の悪口や不平・不満を徹底的に言いまくっていました。毎回、3時間ほど言っていたと思います。
・あの先輩の言い方が腹がたつ
・あの上司は何をいうてるか分からない
・あの先輩に〇〇と言われた。性格がねじ曲がっている
などなど、本当にずっと言っていました。でも、2ヶ月くらい徹底的に悪口を言い続けて気づいたのですが悪口の質が変わっていることに気づきました。
それは、事実から仮説に変わっていることでした。最初は、
・〇〇先輩に〇〇と言われた。あいつは腹が立つ。
・〇〇上司に〇〇と注意を受けた。理不尽だと思う。
など事実ベースで話が進んで行きます。ただ、悪口を言う会を重ねるごとに互いにネタがなくなるため、
・〇〇先輩は、おそらくこんなところがある。
・〇〇上司は、どうせこんな性格だろう。
など、もはや想像をもとに仮説で悪口を言っていることに気づき、意味ないからやめようと目が覚めました。徹底的にやることも重要ですね。
無駄な時間を過ごした僕はどうやったら今の状況が打開できるかを考え出しました。随分遅いですが…。
打ち出した打開策は自分へのコンサル
僕が行った打開策が、自社で各企業に提案しているように、自分の現状・課題・問題を分析して、自分の育成プランを自分に提案することでした。そもそも他社のコンサルをしている人間が、自分のコンサルできないっておかしくないか?と思ったのが始まりです。
早速、企業に提案している提案書をベースに、①〜⑥のステップを実行しました。
①自分の現状・課題を整理(自分で洗い出す、周囲からヒアリングを行う)
②自分のありたい姿・あるべき姿を考える
③周囲の先輩との比較をし(競合分析)
④①と②のギャップを踏まえて解決策を描く
⑤④で洗い出した解決策(知識・能力)を持っている上司・先輩を洗い出す
⑥⑤で洗い出した上司・先輩に提案書を配り巻き込む
⑦自分の描いた通りに上司・先輩に育成してもらう
もちろん、最初にこの提案書を上司・先輩に持っていった時には、「どう言うこと?」という話になりましたが、成長したい!成果を出したい!と主体的に動く部下・後輩をほっておくわけはありません。しっかり自分の描いた通りの育成が始まります。自分で自分の育成PJを回していきます。すると数ヶ月後になかなか出なかった営業で成果が出始めました。
今思うと一番の効果は、自分で書いた提案というのもあってか、誰かのせいにして、悪口をいうこともなくなり自分から進んで自分の育成に励ました。自分で逃場をたったのが良かったんだと思います。
ここで学んだことは今でも非常に大きく心に残っています。
・自分の人生を誰かに託さない自分で切り開く
・みんな意外と助けてくれる
・ビジネスは頑張れば報われる
こんなことを学びました。ありがたい話ですね。勝手に当時のいろいろを振り返り、なぜだかこんな時間に少しジーンときています。ありがたいです。
そして、僕をお笑い芸人から27歳の時に採用してくれた会社は本当にチャレンジングだったと思います。今でも感謝でございます。採用してくれた命の恩人でもある犬尾さんに僕を採用した理由をインタビューしました。僕が株式会社俺を創業したときにインタビューしたものです。感謝を込めて掲載しておきます。
犬尾さんに採用していただいた会社を辞めたいことを相談しに行った時に少しだけ止められましたが、犬尾さんは背中を押してくれました。その時に犬尾さんが僕に言ってくれた言葉を今でも大切にしています。
「ほら、やっぱり俺は見る目があっただろ?」
と犬尾さんに言ってもらえた時に肩の力が抜けて33歳のいい年でしたが僕は涙してしまいました。
なんだか、犬尾さんと話がしたくなってきたのであした電話でもしようかな。
本人は、なんのこっちゃわからないだろうと思いますが。
株式会社俺 代表取締役 中北朋宏