お母さんの国で
子供を産む前と後では、生活も価値観も何もかもが180度変わってしまった、というのは大げさだけれど、近いものがある。
生活の中心は子供であり、最優先の課題は「子供の命と健康」であり、自ずと己のことは二の次三の次になり、時々「ひとり時間」など与えられても、子供の服やおもちゃを選びに行ってしまい、自分が何を好きだったのかまるで思い出せなくなるような頃もある。
仕事に復帰してからは、社会にいる自分と子育てをする自分を完全に切り離すことができ、確かに時間に追われてバタバタではあるけれど、自分には働きながら育児をする方が合っている。
だけど「社会にいる私」も「子育てをする私」も、「私」ではないという感じがしていて、この感じは、母親なら、分かり合えるものなのだろうか。私にはママ友と呼べる人が、1人しかいない。その1人もあまり会う機会がない。働いているとママ友を作る時間も会う機会もない。
平日はお互いバタバタで、約束した日に限って子供が熱を出したり、お互い忙しいだろうと遠慮して連絡も取り合わない。保育園の保護者同士は桃園と降園の時に一瞬会うだけで、それ以上の関係にならない。子供が成長すればまた違うのかもしれないけれど。
わかり合いたい、という気持ちがずっとある。
音楽を聴いても本を読んでも、満ち足りない気持ち。夫や家族は、そんなのは贅沢な悩みだとか、何がどうなったら満足なのかとか、子供が可愛いだけで十分じゃないかとか、ステレオタイプな意見を豪速球で投げてくる。所詮、男や引退した人間にはわからないのかもしれない。
子供は可愛く、面白い。昨日できなかったことが今日はできるようになっていたり、親の口癖をさらっと真似したり、気持ちを表現したり、毎日変化があり、飽きない。でも育児を面白いと感じ始めたのは、1歳を過ぎた頃だった。それまではとにかく死なせてはいけない、怪我をさせたらいけない、病気をさせないように、ミスは許されない、というような緊張状態で、育児が楽しいとか、思う余裕は1ミリもなかった。
今は子供が産まれて私の生活は豊かになったと心から思える。
自分が好きな電車を子供も好きになってくれたり、同じものを見て、気持ちを共有したり、今までなら行かなかった場所へ、子供が連れて行ってくれる。
だけど時々、砂漠のようだと思う時がある。
ぽつん、としていて、誰もいない。
ここは「お母さんの国」だなと思う。
「お母さんなんだから、育児=幸福でなくちゃ」
「お母さんなんだから、いつも優しくいなくちゃ」
「お母さんなんだから、眠くても頑張らなきゃ」
「お母さんなんだから、いつも子供の要求に応えてあげなきゃ」
「みんなやってることなんだから」
「こんな時代なのにどうして子供を産んだの?」
「じゃあ産まなきゃよかったじゃん」
「お母さんの国」は、そんな言葉によって、砂漠になった。
私は、私を豊かにするために、一方的に綴るだけのこの場所を作った。
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