☕【雑文】センスってなんだろう?
こんにちは。
絵とか描いてる浅野と申します。
先日、タロットの絵を描く記事を編集していて、ふと浪人時代のことを思い出しました。
僕は幸か不幸か、美大に行くために多浪をしてしまいました。
その中で、講師が言った言葉が思い出されましたので、書いてみます。
◇
センスとはなんだろう?
ふと思った。
この文ののちに書く、予備校の時の講師の言葉が今でも思い出される。
日本画の受験を何度か受けた。今は知らないけど、当時は水彩絵の具での実技試験が当たり前であった。
アナログでいろいろ作業しているから、はみ出しや絵の具の混ぜ具合の失敗、紙の上でのにじみすぎ、にぶい混色、などなど予想していなかった不足の事態が多く起こる。
経験と知識によって技術を得て、その失敗をできるだけなくす手法を体得し、失敗が無くなる。
あ、無くなることは無いかな。
限りなく少なくなる。
そうして、絵が出来てくる。
完成はする。ようになる。
すると、不思議に絵の上達はそこで止まる。
良いものは出来るかもしれないが、同じようなものの量産になり、挑戦をしなくなる。間違いを恐れて「失敗」をしなくなるから。
その上を目指したり、他のチャレンジや、違う切り口(方法)を試したりすると、また失敗したりする。
でも、前の物とは違うものが出来てきたり、上達したりしている。
そうして絵の修行(受験のための絵の修行)をしていたときに、うまくいったとき、うまくいかなかったときに、その講師が言った。
「浅野くん、その表現を残すか消すかが、センスだよ。」
む、
そうなのか、、
今でも覚えている。
覚えているという事は、何かが自分の心に刺さったのだろうと思う。
その、試すための失敗をしてもいいんだろうと思う。
それをどうするかがセンスだと言われた。
ふーん、そうか。
あれからずっと考えているけれど、
自分はとくにセンスが良いとも思っていない。
いわゆる「天才」といわれる年下のひとや、会社でのトップレベルのアーティストの作品に触れあって、そう思う。
まあ、だからといって絵を描くことをやめるわけではないんだけれど。
(打ちのめされたことはあったけれど、やめよう…ということはありませんでした)
描くこと自体は楽しいのです。
完成に近づくのが楽しいのです。
完成できると嬉しいよね。
でも、思ったよりももっと良くできると、もっと嬉しいよね。
(喜んでもらえる人がいると、もっといいけれど)
その時に、知ってか知らずかやっているのが「選択」かなと思う。
何を描くのかを選択している。
何を、どうやって描くのかを選択している。
そのうまくいったものを残すのか、描き直すのか、
その失敗したものを残すのか、描き直すのか、
それがセンスだとしたら、知識としてもその選択肢を増やすことは
センスの幅を広げることになるのではないか、
と思う。
センスないよねーとか、センスあるよねーとか、主観的な意見もあるけれど、純粋にその選択をするかどうかは自分で決めてゆく。
センスあるないなんて、自分でも考えたり感じたりするけれど、他の人も考えて感じて、感想を述べる。
だから、そこには無限の幅が出来てくるのではと思う。
そのために、知識を増やしてゆくのは悪くないのではないかと思う。
センスの方向性は、その知識を増やすための方向性かと思う。
良いものを見るというのは、そのためにとても大事なことなんだと思う。
良いものって何だよと、無限回廊にはまってゆく。
自分が良いと思っても他の人は良いとも思わないかもしれないし、
自分が良いと思っても、自分では再現できないかもしれないし、
そのために技術を磨いたり、自分のできることを探したり、
そして、休んだり。
あっという間に時間が過ぎてしまうよね。
ふと思い出して調べてみる。
北斎が言ったという、言葉があるそうです。
「天がわしをもう五年間だけ生かしておいてくれたら、
私は真の画家になれただろうに。」
北斎がいってるんだから、
そんな言葉をきくと、
100年という歳月をかけても自分には難しいと感じてしまう。
だからさ、ひとつひとつ感じて
選択して、
描いてゆくしかないのでは?
と、思います。
「絵を描く」ことを「行動する」という意味に変換すると、もしかするとあなたにも当てはまるかもしれません。
何かの心のサポートになればよいな。と思います。
◇
本日も充実した良い日だったと思います。
読んでいただき有難うございました。
では、おやすみなさい。(夜に書きました。
またご訪問いただければ幸いです。