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よつ葉乳業 | 乳と電力。酪農家と共に歩む道

「酪農家がつくる、酪農家のための会社」。北海道協同乳業(現在のよつ葉乳業)は、北海道十勝出身の太田寛一(士幌町農協組合長、のちのホクレン会長、全農会長)を中心に、十勝管内の8農協による総意で1967年に設立された。

過酷な自然環境のなかで苦労を強いられることの多かった農民の生活を改善し、農業で真に豊かな大地を築きたいとの思いから、太田寛一は「農村ユートピア」の創造を決意。十勝農業の柱であった酪農と畑作の改革に生涯を通じて没頭した。
こと酪農に関しては、欧州視察で目の当たりにした「酪農家が自ら加工・販売までを手がけ、豊かな社会をつくりあげている農村の姿」が手本になったという。そんな理想郷をふるさとにも、その一心で彼は走り続けた。

地域の永続には、つくり手の豊かな暮らしが肝要。今日のよつ葉乳業には、そんな創業者たちの思いを反映した「あるもの」が稼働している。

日本最大規模の集乳工場を動かす自家発電設備

よつ葉乳業 十勝主管工場

よつ葉乳業に自家発電設備が導入されたのは1990年のこと。帯広市のすぐ北隣、音更町(おとふけちょう)にある十勝主管工場にその第1号機が設置された。創業2年目に完成した十勝主管工場は長らく事業の軸として稼働し続け、現在では日本最大規模の集乳量を誇る工場へと成長している。

乳業メーカーの製造工程は、運ばれてきた生乳をより新鮮なうちに加工するのが鉄則。なぜなら生乳は日持ちがしないからで、このスピードが鍵となる。
工場には酪農家が搾った生乳が毎日届き、速やかに製造ラインへと送られる。特に牛乳の場合は加工後の賞味期限も短いため在庫しておくことが難しく、毎日その日のオーダーにあわせて加工、出荷するのが基本的な流れだ。そのため、工場が一日でも止まると各方面に大きな支障が出るのは誰しも容易に想像がつくだろう。
そんな事態は絶対に避けなければならない。多くの生乳が集まる「乳のインフラ」としての責任を背負い、よつ葉乳業は十勝主管工場の電力体制強化を計画。「いついかなる時でも稼働し続けられる工場」のための自家発電設備は、こうして実装された。

乳の需給調整役として

365日休みなく稼働する工場とすべての製品の原料となる生乳の受け入れ体制について、管理統括部総務広報グループ担当部長の小林正人さんはこう語る。

「生乳を出す牛は当然生き物ですから、人間側の都合でどうにかできるものではありません。たとえばお正月だから、ゴールデンウィークだからといって牛たちは休んだりしませんし、仮にお取引先や世の中の事情でオーダーの数が減っても、だからといって牛にその分乳量を抑えて調整してくれと言うわけにもいかない。ですから私たちはそれらをできる限り引き受け、製品へと加工するようにしています」

とはいえどれだけ加工しても、飲んでくれる人がいなければ意味がない。

昨今の社会事情は、乳業に携わる人々にとって強い向かい風に等しい。コロナ禍で休校が相次ぐ最中に牛乳の消費が減るのは目に見えているし、年々長くなる梅雨に伴う夏の気温低下も、牛乳の飲用需要を減らす一因になっているという。

そんな状況下にあっても、よつ葉乳業は生乳を受け入れ続ける。ただし必要に応じて牛乳からバターや脱脂粉乳、チーズなどの日持ちする製品に切り替え製造するなど、細やかに調整を行いながら。そう、つまりよつ葉乳業には乳の需給調整役という重要な使命があるのだ。

「私たちは創業から一貫して、『酪農家から託された生乳を全部引き受け加工する』という選択をし続けてきました。受け入れることにこだわるのは、やはり私たちが酪農家によって設立された会社だということが全てだと思います。
酪農家が搾った生乳を一滴も無駄にしないために必要なこととは何か、考え続けるなかでたどり着いたひとつの手段が自家発電設備でした。『酪農家と共に歩む』という、よつ葉乳業の思いを象徴する取り組みなんじゃないかと思います」

十勝主管工場の設備導入を皮切りに、よつ葉乳業では東京工場を含む他の4工場にも設備を導入すべく計画を推進。雷による瞬間的な停電や、台風などの天災によって万が一機械がダウンしてしまった場合にも自社でバックアップできる強力な体制づくりが進められていった。

道内を襲ったブラックアウト、その時彼らは

2018 Hokkaido Eastern Iburi Earthquake Map1 (Licensed under CC BY 4.0)

道内すべての工場へ自家発電設備導入を進めていた最中、2018年9月6日。北海道胆振(いぶり)地方中東部を震源とする「北海道胆振東部地震」が発生。道内外に大きな衝撃を与えた。

この地震により震源地では震度7を観測したほか、札幌市内でも強い揺れを観測。液状化現象による多くの住宅被害や、市内各地で道路の隆起や陥没、断水などが発生した。さらには道内全域の約295万戸が地震起因によるブラックアウト(停電)に見舞われたという。

「ブラックアウトしたのは当然民家だけではありません。牧場も、工場も、ほとんど全てが停止してしまいました。明け方まだ暗いうちに揺れて、そこから復旧まで約2日間。
その間にはたとえば、酪農家の牛舎では搾乳機が動かせず生乳を搾れない、搾ってあった生乳を冷やすバルククーラー(冷蔵設備)を動かせず生乳を冷却できないーーそんな状況があったと聞きます。一部の方は個人用の自家発電機を持っていたそうですが、そうでない方は農協の工面で凌がれたり、それでもどうにも手段がつかない方もいたりと多くの生産者が大変な苦労をされたそうです。
一方で乳業メーカーも、停止した工場では生乳を引き受けることができません。本当に大変な状況でしたね」

スピーディな保管と加工が必須の牛乳・乳製品にとって、工場停止による被害はあまりにも大きかった。

自家発電設備が救ったもの、救えなかったもの

「ですが、まさにこの時に自家発電設備の活躍の場がありました。道内に39ある乳業メーカーの工場のうち、当時自家発電設備を持っていたのは当社の十勝主管工場とオホーツク北見工場のふたつ。この2工場だけは、ブラックアウトの渦中でも操業を続けることができたんです」

不幸中の幸いか、地震前日に台風による雷注意報が発令されていたことから、十勝主管工場では地震が起きた時既に警戒態勢にあったという。だからこそ、被災後すぐに対応することができたのだ。また震源地からおよそ300kmと距離があり、揺れによる被害が比較的少なかったことにも助けられ、製造ラインを動かし続けることができた。
道内唯一の光となったふたつの工場は、夜中まで製造ラインを稼働。受け入れられる限りの生乳を受け入れ、そのすべてを加工し続けた。「酪農家たちが搾った生乳を一滴たりとも無駄にしない」、よつ葉乳業の信念によって多くの生乳が救われた。


それでも、と小林さんは続ける。

「救えたとは言っても、現実はそう甘くないものです。道内全域で行き場を失くした原料乳を、たった2工場でどれほど引き受けられるかというと…やっぱり限界がありました。私たちにできたのは、ほんの少しのことだったんですよ」

ブラックアウトした2日間を通じて、全道でおよそ20,000トンもの生乳がやむなく廃棄の道筋を辿ったという。

この経験を教訓に、よつ葉乳業は全工場への自家発電設備導入を急いだ。2018年10月の根釧工場、2020年3月の宗谷工場に続き、2021年3月の東京工場でついに全工場への設備導入が完了。

酪農家たちが搾った生乳をいついかなる時でも受け入れ続けられるように、工場を動かし続ける。よつ葉乳業の自家発電設備には、そんな彼らの切実な思いが込められていた。

「酪農家と共に歩む」とはどういうことか

「酪農家がつくった生乳は一滴たりとも無駄にしない。すべてを引き受けて、そのままの価値をお客様にお届けする。それが、酪農家を出自にするメーカー、そして日本で一番生乳がとれる地域に工場を有する乳業メーカーの責任だと思っています。だからこそ、今ここにいる社員誰もが、酪農家の立場に立ち日々当事者意識を持って今日まで取り組んできました。
しかし一方で、事実として私たち自身はあくまで乳業メーカーであり、酪農家そのものではありません。でも、だからこそ、どうすることが酪農家の幸せなのか、そのためにはどんな方法があり得るのか、既存の手法も疑って、アップデートして。「酪農家と共に歩む」という言葉の意味を、私たちは常に問い直していかなければならないんだと思います」

■よつ葉乳業
〒060-0004 北海道札幌市中央区北4条西1丁目1番地
https://www.yotsuba.co.jp/