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チョコレートの日本史 | しょくらあとからチョコレートへ
チョコレートが日本で初めて紹介されたのは1797年。長崎の有名な遊女町であった丸山町・寄合町の「寄合町諸事書上控帳」に、大和路という遊女が出島のオランダ人から“しょくらあと 六つ”を貰い受けたという記録が残っています。
その後日本でチョコレートが販売されるようになったのは1875年のこと。先陣を切ったのは、東京の両国若松町にあった「風月堂」です。当時のチョコレートは「猪口令糖」や「貯古齢糖」「千代古齢糖」「知古辣」など、一見すると和菓子や漢方薬のような漢字で表記されていました。
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しかし当時の多くの日本人にとって、海の向こうからもたらされたチョコレートは畏怖の対象でしかなかったようです。「猪口令糖には牛の血が入っていて、食べると角が生える」など市民の間で囁かれた悪評からは、彼らがチョコレートに抱いていた強い不信感が伺えます。
一般に普及するようになったのはそこからさらに40年後の1918年。森永製菓がカカオ豆からチョコレートまでの一貫製造を実現し、その後複数のメーカーの市場参入によって国内の生産量は急速に高まりました。また品質も大きく改善したことで、チョコレートは一気に市民権を得ます。
その後戦乱の時代に突入すると輸入制限などにより製造が一時中断されますが、カカオ豆とカカオバターの輸入が自由化された1960年以降はバラエティに富んだチョコレート製品が次々と発売されるようになり、チョコレートは日本人にとってすっかりお馴染みのお菓子となりました。