レ・リボ。研究者のハートに火がついた瞬間。
1999年夏。乳製品専業メーカー・中沢乳業で現在研究開発担当執行役員副本部長を務める行方美晴(なめかた・みはる)さんは、フランス・ブルターニュ地方のレストランに居た。
行方さんはこの場所から、新たな食文化を日本に伝える長い旅に出ることになる。研究に没頭する傍ら、日本人が未だ知らない乳製品を求めて海外へ足を運ぶことも多かったという行方さんの足跡から、中沢乳業のパイオニア精神を解き明かしていこう。
過去に自社で商品化されたクロテッドクリームへの興味関心が尽きなかった行方さんは、現地ではどのように食されているかをよりリアルに知るためイギリスそしてフランスへと向かった。発祥の地でどう活用されているかを知ることは、より多くの人々に親しんでもらうものづくりのヒントになると考えての行動だった。
クロテッドクリームのさらなる可能性を求め、ヨーロッパ各地をめぐる日々。そのなかで、行方さんは偶然新たな光を見つけ出す。それが「レ・リボ」だ。
「海外へ行くとその土地に根づいた乳製品を探し回るのが癖なんですが、その時は市場やスーパーなど足を運んだ先々で“Lait Ribot”と書かれた乳製品が目に留まって、ずっと気になっていたんです。同じ旅の何日目かに、今度はブルターニュのレストランにお邪魔する機会がありました。そこでベリーソースとソルベのデザートをいただいたのですが…このソルベが、なんと言うか、それまでまったく経験したことのない風味と食感だったんです。驚いて店の方に尋ねたところ、わかったのはこのデザートにも“Lait Ribot”が使われていたということ。それから日本に戻って、早速研究を始めました」
行方さんが訪れたのは、地産地消をコンセプトのひとつとして掲げるブルターニュ屈指のオーベルジュ。店で出される発酵バターは、店内の小さなバターチャーンで手づくりされていた。そしてその発酵バターをつくる際にできる発酵バターミルク=レ・リボを使ってつくられたのが、行方さんが食べたソルベだったというわけだ。
「ヨーグルトじゃないのに発酵風味があって、チーズほどねっとりしていない。まさに初めての感覚でした」
レ・リボとは、発酵クリームを分離させた後に残るバターミルクのこと。1950年代のブルターニュでは、農家が自ら搾乳し加工した飲料乳、バター、クリームを町場の商人に直接売買していた。彼らはバターをつくった際に生じるバターミルクを、家庭内でガレットの生地やパンづくり、そして飲料としても活用していたそうだ。
日本で一般的に知られるバターミルクといえば、非発酵のクリームをチャーニング(*1)して生じたバター粒以外の液体部分を指すのに対し、レ・リボの場合は乳酸菌によって半日以上発酵させた後にチャーニングを行う。発酵の一手間(*2)を加えることによって生じる深いコクと、乳酸菌特有のほのかな風味が特徴だ。
食文化と共に届ける
行方さんは翌年再び渡仏し、レ・リボ生産を行う酪農家を訪れ生産工程を視察。また、本国で育まれたそのままの味を再現するため、使用する菌の選定にも力を注いだ。
「日本の主流は昔も今も非発酵バターなので、ほとんどの人が発酵バターに使われる乳酸菌の味にそもそも馴染みがない。今振り返れば、私がはじめに衝撃を受けた理由もそこでした。あの時の驚きを、そのまま届けたかったんです」
試行錯誤の結果、理想とするレ・リボの味わいには、フランス定番の発酵クリームを再現した「クレームラフィネ(現クレームフレーシュ)」製造の際に使用していた乳酸菌が適していると結論づけた開発部。味わいの要となる菌が決まったことで、製品としての形も徐々に見えてきた。
一方で、海外の乳製品を日本に紹介する上で大きな壁となるのが乳価だ。
「日本は乳が生活に密着し発達してきた国ではないので、原料の価格がどうしてもヨーロッパより高くついてしまうんです(*)。価格が違うということは、使う人、食べる人にとっての価値も変わりますよね。シンプルに言えば、ヨーロッパでは気軽に使えるものでも、日本だと高級品になってしまうということです。
本来バターミルクは「バターをつくる時に出る余り物」です。余ったバターミルクでパンを焼きましょう、じゃがいもにかけて食べましょう、って、本来はそういう立ち位置だったんですね。それを乳価の高い日本の文化のなかで同じようにやってうまくいくかと言ったら、やっぱり受け入れてもらえない。
だからこそ、本国の文化や価値観を理解した上で、それを私たちが紹介した後日本でどういう立ち位置になっていくのかを、開発の段階から必ずセットで考えていかないといけないんです」
開発部では本場の味わいをそのままに、製菓製パン材料としての用途開発に重点を置くことで、日本のシェフたちの新たな材料としてのレ・リボの在り方を模索した。
製品の美味しさを知ってもらうためには、まずシェフたちに使ってもらい、適切な調理法で消費者の口に届けること。そのスタンスは、創業者・中澤惣次郎の時代から変わることのなく中沢乳業のDNAとして今に受け継がれている。
機を待ち続けた10年
そうして完成したレ・リボだが、なんと発売が開始されたのはそれから約10年後の2012年。東京で活躍するブルターニュ出身のあるシェフから「故郷のクリームを日本で再現したい」と相談を受けたことに端を発し、一気に製品化が進んだ。
以来今日に至るまで、レ・リボは日本のパティシエ、ブーランジェの表現の可能性を広げ続けている。今年7月には中沢乳業全面協力のもと、東京・日本橋兜町「ease」の大山恵介シェフによるブランド「レリボ」が渋谷に出店。シェフたちの感性を刺激するレ・リボの注目度は高まる一方だ。
しかし、なぜ10年も待ったのだろう?納得できる形が出来たのであれば、すぐにでも販売したって良かったのではないか?
「海外の乳製品をその国の食文化とともに届けることは、中沢乳業の開発者の使命だと考えています。使う人、食べる人に喜ばれないものは、いくらつくっても意味がないんです。ブルターニュの食文化にどれだけ欠かせないものであっても、残念ながら日本には馴染まないことだってあり得る。だからこそ、伝えるタイミングは慎重に見計いたいと思っていました。レ・リボは、お客様からの要望があったからこそ世に出すことができた製品です。
それに、ただ出して終わりというのではなく、出してから20年経ったときに日本の文化に馴染んでいるかどうかまでを一区切りとして考えようというのが社全体の方針。私たち開発者も、つくってから世に出して、さらにそれを日本の文化のなかで育んでいくところまでが使命であり、この仕事の醍醐味だと思っています」
受け入れられる土壌の醸成を見定め、世に放ち、長期的な視点でじっくりと育てていく。中沢乳業のものづくりは、乳製品の未来を信じこの手で拓く開発者たちの誇りと希望に満ちていた。
中沢乳業
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