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チョコレートの世界史 | チョコレートを"食べる"までの長い長い道のり
2018年10月、科学誌「Nature Ecology & Evolution」に掲載された一本の論文が、それまで長い間常識とされてきたチョコレート原料であるカカオの起源ーー約4000年前のメソアメリカ(メキシコ、ホンジュラス、ベリーズ、グアテマラ)で世界初のカカオ栽培が行われたーーを覆し、業界に強い衝撃を与えました。
カナダとアメリカを中心とする国際研究チームが、南米エクアドルにある最古の遺跡、サンタ・アナ・ラ・フロリダで、カカオの存在を裏付ける土器を発掘したのです。割れた土器の内側からは、カカオのでんぷん粒子やカカオ特有の苦味成分であるテオブロミンが検出されました。これらの土器が葬祭場から発掘されたことを受け、専門家らはカカオが儀式のなかで重要な役割を果たしていたとの見解を示しています。
この発見により、人類史上初めてのカカオ栽培は今からおよそ5300年前のエクアドルとの見方が強まりました。
紀元前の遥か昔から、人々を魅了し続けるカカオ。その道筋にはどんな人々が関わり、どのようにして歩みを進めてきたのでしょうか?
上層階級の贅沢品として
エクアドルで発祥したカカオは人々の交易を通じて大陸を移動し、メソアメリカ(古代文明が栄えたメキシコから中米にかけての地域)へ。マヤ、アステカといった古代メソアメリカ文明においても重宝され、宗教上の儀式や通貨、薬として利用されました。一部の上層階級の宴では、カカオをすり潰して水に溶かしたものが現代のシャンパンのような役割をしていたとも推測されています。
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スペイン国王も認めた「苦い水」
1521年にはスペインの探検家、エルナン・コルテスが遠征軍とともにアステカに上陸し、征服の過程でカカオに出会います。すり潰したカカオを水で溶き、とうもろこしの粉やトウガラシ、アチョテ(食紅)を加えて泡立てた飲み物を知ったコルテスはその価値をいち早く認め、 スペイン国王カルロス一世にカカオについて記した書簡を送付。この書簡は、ヨーロッパに初めてカカオの存在を知らせるものとなりました。
コルテスを魅了したこの飲み物は「ショコラトル」という名で、チョコレートの語源にもなりました。「ショコラトル」は、メキシコ先住民の言葉で「苦い水」を意味します。
その後長きにわたりカカオはスペインの独占下にありましたが、1606年にイタリアの商人アントニオ・カルレティが栽培方法と飲料の製造手順を持ち帰ったことによって、ヨーロッパ全土へと伝わっていきます。
フランス貴族を魅了した甘い香り
1615年には、スペイン国王の娘アンヌがフランスのルイ13世と結婚する際にチョコレート調合士を同伴させたことから、フランス貴族の間でチョコレート文化が急速に広がりました。カカオの苦味を嫌ったフランス人はショコラトルに砂糖やはちみつを加えたといい、この頃からチョコレートは甘い飲み物として人々に親しまれるようになります。
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"食べるチョコレート"の誕生
チョコレートが飲み物から食べ物へと変化したのはそこからさらに200年後。1847年にイギリス人のジョセフ・フライによってもたらされました。曽祖父が「フライ&サンズチョコレート製造会社」の創業者、祖父がジェームズ・ワットの蒸気機関を導入してカカオ豆の磨砕工程の機械化に成功した職人というパイオニア家系に育ったフライは、ある時、ココアパウダーと砂糖にカカオバターを混ぜるとチョコレートが固まることに気がつきます。
それまでの「チョコレート=飲み物」という常識を覆すこの新しいチョコレートは”Eating Chocolate(食べるチョコレート)”と呼ばれ、徐々にその存在を知られるようになっていきました。こうしてようやくーーカカオ誕生から3000年以上の時を経てーー今日の私たちがよく知る「チョコレート」が生まれたのです。