生産者が出荷後も自分の麦を追える環境を目指して
2004年、硬質小麦「ミナミノカオリ」の誕生は、九州におけるパン用小麦粉の扉を開いた。
かつて国産小麦といえば、海外産小麦と比較してタンパク質が少ない=グルテンの形成が少ないことからパンづくりには不向きとされてきた。ところがこの20年ほどで品種改良が進み、その結果「ゆめちから(北海道)」をはじめ品質の高い国産小麦が続々と登場。需要は急増し、生産量も年々高まっている。
しかし一方で、パン用小麦の栽培は生産者の負担を増幅した。タンパク質含有量を増やすための窒素追肥など、パン用小麦は麺用や菓子用と比較するとどうしても手間がかかるのだ。
「作業負担は増える一方で、生産者に適切なフィードバックができていないという現実には長年やりきれない思いがありました」
福岡を拠点とする製粉メーカー・大陽製粉。地域に根ざした中小企業として、地元生産者と共に歩みたいという思いから、彼らは2013年に小ロットから大ロットまで幅広く対応できる多機能型ロール製粉プラントを増設。特に小ロットのオーダーメイド受注を強化することで、生産者が出荷後も自分の麦を追える環境づくりを目指した。
新プラントの導入で大陽製粉が目論んだのは、それまでのロール製粉や石臼製粉ではまかないきれなかった「小ロット×精製小麦粉」というニーズへの対応。
小ロットから柔軟に対応できる製粉プラントがあれば、これまで製造ロットが大きすぎるという理由で個別の加工製造を諦めていた小規模農家たちの可能性は大きく広がる。
ロットの大きさだけでいえば、従来の石臼製粉でも少量だけ挽くことはできた。しかし、石臼の場合は最終製品が全粒粉をはじめ灰分の高い小麦粉に限定されるというネックがあるため、現代日本の市場に適した精製された小麦粉をつくるにはやはりロール式製粉機の力が必要になったというわけだ。
プラント増設にあたり、大陽製粉は世界トップクラスのシェアを誇るスイスの製粉機器メーカー・ビューラーから技術者を招致。工場の製造責任者らと共に何度も繰り返し協議を重ね、思い描いた製粉プラントの実現に向け力を尽くした。構想から完成までには、実に5年の歳月を要したという。鹿野晋社長はこう語る。
「ビューラーの担当者にもかなり無理を言ったと思います。はじめは小麦だけを挽くつもりでしたが、全体の稼働を考えるとそこに特化するだけではうまくいかないだろうということになって。じゃあどうせなら当時筑後工場の古い機械で挽いてたライ麦もこっちで一緒に挽いたらどうか、それなら大麦も、デュラムも…と、あれこれ言ってるうちにものすごく複雑になってしまった。
うちには製粉の聖地と言われるスイスやドイツで技術者の資格を取った人間も複数在籍しているので、専門的な話ができて構想がどんどん膨らんだというのもあります。その上で、セオリーからするとまああり得ないことを色々やってもらいましたね」
その象徴とも言える光景が、製粉機の頭上に伸びる配管を辿った先にある。
スパウト(配管)室。製粉機が並ぶロール室の真上にあたる部屋の扉を開けると、そこには挽砕された粉を流す配管が無数に入り乱れた異様とも言える光景が広がっている。まるで一つの巨大な生命体かのようなその様相に、工場視察に訪れた製粉関係者たちも驚きの声をあげるという。「『狂ったことしてますね』とよく笑われるんですよ」