見守ってくれた母に感謝

おはようございます。今日はあいにくな曇り空。
何も変わらずに日々の時間が流れている中、わかりづらいけど19日からは新しいサイクルが流れ始めました。

私は、日常の家事の中で、朝にワイシャツやナプキンにアイロンをかけたりすることがあります。

すると、よくこのノートに書きたい言葉が浮かび自分の頭の中ですらすらと語っています。
でもそれをそのままに今!書きたい!書かないとその思いはまた別のものに変わってしまうのです。
それから、食器の洗い物をしている時も同じようなことがあります。

共通することは、その時、私は「無心」になっているということです。

「無心」って皆さんも、日々の中でやっていますよね?気づいていないだけ...

私は「瞑想」を時間がある時にやったりもしていますが、最初の頃は雑念ばかりが出て気がつくと何か常に考えている。だから最初は5分だけやって、雑念が出たらフーった息を吐き出し無心になるということをできる時にやっていました。
今では、瞑想が心地よい状態ですが、一日5分でも頭の中を「無」にすることを試してみてください。

さてさて、余談が長すぎました💦
今日の話したい話は...
今になって気づく「見守ってくれた母に感謝」というお話です。

日頃、私の子供達を見て感じたこと。
丁度子供達と同じ高校生だった頃の私が、日頃ガミガミ言う母に、ある日珍しくブチ切れて

「うるさぁい😫自分の感情で子供を怒らないでよ!!😡」

と言って睨めつけたことが一度ありました。
言った瞬間、その場の空気がシーンと静まり返り重い空間が流れました。

子育てでの記憶が、忙しすぎて必死すぎてあまりない母でもその記憶は今でもあるようですが、その頃から母はあまり私にガミガミ言わなくなってたことに、あとになって気がつきました。
その場面をフッと思い出すと思うことは、あれをきっかけにしたかわからないけど、ガミガミ言わずにいてくれたことをあとで感謝した私がいました。

子育ての中で、親も必死になるからこそガミガミ言ってしまう。
でも黙ってくれるのも「愛」なんだよなぁと感じるところです。

高校生の途中から怒られた記憶がないのは、多分その頃から母も変わってくれたのかなぁと思うのです。母にも「気づき」があったのでしょうか。

子供からすると、外で頑張ってきて心も身体も休みたいのに帰ってもガミガミ言う親がいたら、どこで休息するのでしょうか。

私は、その母に育てられたから、そこに気づき私流のほぼ真逆な子育てができました。逆に夫はおとなしい両親に育てられ、今はわりと子供にガミガミ言う派の父親をやっています。

黙って放任にしろと言うことではなく、黙って見守ることも大事で、子供なりに考える頭の体操にもなりそれもいいのではないかな?と思うのです。

日々お子さんに朝から晩までの間、つい気づいたことをお子さんに常に口に出してはいませんか?たまに意識して口を塞ぐこともやってみてください。逆に何も言われないことから、いつもよりわりと自分のやらなくてはいけないことをやってるお子さんが見られるかもですね。

いつも以上にやらなかった(笑)ってこともあるかと思いますが、「生きてるだけで丸儲け」と思えば、笑みに変わるかもです。

お互いに、眉間の皺を深く刻むより、笑った時の表情筋を鍛えましょう(^o^)

今日は、その私の母が黙って見守っていてくれたことに感謝した日のことを思い出したのでここに書いてみました。

また家事仕事のアイロンをして頭に浮かんだことがあったら、そのままにせず、すぐに書きたいと思います。(笑)

ここまで、読んで頂きありがとうございました。^_^

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