2024年11月15日~21日の日記
15日
5:10に起きて風呂に入る。湯冷めがしそうだったが思ったほど寒くなく、ヒーターを付けないでいられるくらいだった。
9時から10時まで実習、その後昼寝した。
13時は皆で集合してなんやかんや作業をした。とはいえ自分は隅っこの方にいて手持ち無沙汰だったので実質特に何もしていない。そういうわけで休憩を挟み挟みサクッと終了したため、普段の授業日・作業日より簡単な一日だった。
18時に解散してすぐさまバスに乗って駅の方へ行く。道中周年イベントガチャが開始したので、早速無料ガチャを引いたり、盛りだくさんのコンテンツを確認したりした。
19時から予約していた美容室に行く。銀座はいつもそうだが、店舗がどのビルに入っているのか分からず、上を見上げたり看板に目をこらしたりしてウロウロするはめになった。余裕を持って歩き出したはずが19時ぴったりに到着した。
めちゃくちゃ広いフロア。受付に行くと担当の者は上の階なのでそっちに行ってくださいと言われる。無機質お洒落店内で、人そこそこ、若者多し。髪を洗われて待っていると美容師さんがやってきた。前回の髪型の写真を見せると、手際よくその通りに切ってくれて、しかもスマホを見ていると会話もせず黙々とやってくれて有難かった。終了したらすぐさま駅へ。
テイクアウトの土産屋へ。とにかく時間がカツカツで、3組並んでいたのを待っている間にも気を揉む。それでも自分の後にすぐ5人くらい並んだので運が良かった。レジのお姉さんは非常に手慣れており、袋詰めも丁寧で手早いものだった。駅の店舗で働いてる店員さん、ましてや今日本で一番混んでいるかもしれない東京駅の土産屋の店員さんなんて熟練に決まっているのだ。しかも技術が熟してきた11月である。
商品を受け取りみどりの窓口へダッシュ。どこにあるか分からず改札で駅員さんに聞いたりしながらたどり着く。予想に反して誰も並んでおらずびっくりしたが、こちらもやはりすぐ自分の後に5組くらい並びだして「あぶねー」と思った。
その上こちらでも駅員さんは熟練している。学割の適用、内容の確認、発券、クレジットの会計までありえないくらい早い。ものの1,2分で完了した。
ちょうどやってきた新幹線に飛び乗る。運良く窓際に座ることもでき、完璧だった。(次の駅で通路側に1人、その次に真ん中にドッカとふんぞりかえった男がやってきてうわっと思ったが、そこまでうるさくも臭くもなかったので許した)
新幹線はいつ乗っても心が高鳴る。懐かしいメロディにどこかホッとする。
アッと言う間に降車駅だ。
金曜日なのもあってか、思っていたより多くの人が自分と一緒に降りていく。でもその人たちは車のようで(田舎はだいたいそうである)、乗り換えの電車に乗るとスカスカだった。扉脇の席に座り、隣に荷物を置いてゆったりと座った。
特に誰も乗ってこずに最寄り駅に着いた。コートを着ていないが全く寒くない。スーツで母親の車に乗り込むと「どこのサラリーマンかと思った」とひやかされた。
値段に日和って駅弁を買えなかったので夜食タイム。母が旨い牛肉を焼いてくれた。それと斜め切りキュウリ、トマト、大根の煮たの、ビール。どれも涙が出るほど旨かった。いつもの食事に不満はないが、素材の良さには叶わない。直売所で買ってきた、あるいは知り合いからもらった野菜達を食べて少し感動してしまった。食べると甘くみずみずしいキュウリと、「トマトの味がする」甘いトマトは脳天に突き刺さるようだった。上質な牛肉は大変柔らかく、肉汁が溢れてきて塩胡椒だけで素晴らしい旨味だった。ビールがこの上なく合う。食後は冷蔵庫に眠っていたディズニーランドの土産のチョコを食べた。
読んだもの→小川未明の童話をいくつか
16日
しっかり寝過ごした。11時過ぎに起床し、すぐさまばあちゃん家へ。11:30~14:30くらいまで過ごし、仕事終わりのママとお昼にシチューを御馳走になった。帰って今度は父方の祖父母宅へ。夕方までお邪魔した。
帰りはそのまま家族で寿司を食べた。回転ずしだけど結構うまい所で、こんな場所でどういう理屈で美味しいのか分からない。ちなみに1km行かないところに回転寿司屋が2件あった。寿司激戦区でワロタ。しかもそのどこも結構車が駐まっている。そのちょっと先のマックのドライブスルーは、20時過ぎにもかかわらず10台くらい車が並んでいて、田舎の娯楽ってこれなんだなと思った。
地元のスーパーへ。久しぶりの母との買い物が楽しくて1時間はいた。こんなに買い物することってなかなかない。母は2枚のポイントカードを駆使しお得に支払い切った。我々は大満足で帰宅した。日本酒を飲みきり、いちごミルクを飲んだ。風呂にもゆったりと浸かることができた。
17日
本日もしっかり寝過ごした。11時過ぎに目を覚まし、ゲームをやって、母親に促されてのこのこ起き上がる。昨日ボンゴレが食べたいとリクエストしていたのでお昼はそれだった。14時頃出来上がってばあちゃん家に持っていきみんなで食べる。食べ終わるともう16時近くになっていた。
まずは大好きなケーキ屋へ。ケーキは全部枯れてて定番のカシス&サワークリームマフィンとソフトクリームを購入した。変わらない味、世界一好きな味。でも値段はどんどん値上がりしている。世知辛いが仕方ない。
次はちょっと遠出して、100均やドラッグストアやガソリンスタンドに行った。店出たら暗くなっててワロタ。
夕飯は再びボンゴレ。サラダと刺身。
帰宅してこの段階から荷造を始める。遅すぎる。結局寝たのは2時過ぎだった。寝る前にゲームのガチャを引いて推しを天井した。その他のSSRは同じのが3枚来た。偏りがすごい。
18日
なんとか目覚めた。これを寝過ごすと本当に取り返しが付かない。
父に送ってもらい余裕を持って新幹線駅に到着した。たった2日の滞在は矢の如しだった。パパを何度も振り返って手を振ってしまった。私はなんだかんだ言ってもパパが大好きなのだ。私に甘甘の甘ちゃんだもんな……私はパパに激甘えている。この土日はずっと家事をやってくれた。そしてパパはいつも7時には仕事に行って日付を超えないぎりぎりで帰ってくる。全く他人事ではない「ホンモノの」ブラック企業だ。でも、もうすぐ定年だからだと思って頑張っているんだと思う。本当は早くそんな会社辞めてほしい。こんなの早死にしてしまう。しかも管理職だから残業代も出ないらしい。パパは仕事の愚痴さえ言わない。母親も一度も聞いたことがないという。信じられない。私だったら壊れてしまう。
昨日と比較してぐっと冷え込み、外に出るのが身に堪える気がする。自分が今同じくらいの睡眠時間で、同じ時間に家を出てみて、父のすごさを身に染みて感じ、感謝を覚え、ただ実家を離れるだけではない色んな複雑な感情になって、ぐったりして新幹線に乗り込んだ。
次の停車駅では結構多くの人が乗り込んで来て(地方から東京へ向かう朝の列車は案外混んでいるのだ)、車内はガヤガヤするようになった。すると、物憂げな薄暗い街並みが再び清新な朝焼けに塗り立てられる劇的な場面も、どことなく興醒めて見えるものである。
興醒めついでに、周りに倣って朝食を摂ることにした。母が早起きして持たせてくれた弁当を開けた。これでもかと肉が敷き詰められていた。明らかに小さい弁当箱に詰める量ではない。思わず吹き出してしまった。
昨夜夕食後2人でスーパーに行き、めっちゃ安くて良い牛肉があったので買ったのだが、いかんせん鱈腹食べてしまいお腹パンパンで食べられなかった。それを残念がっていたのを見かねて詰めてくれたのだと思う。柔らかく、甘い脂のタップリのった、でもクドくない理想的な焼き肉だった。モモはちょっと硬いと言っていたので、多分柔らかい部位だけ入れてくれたんだと思う。シンプルな塩胡椒の味つけだ。ご飯には白ごまがまぶされ、葉葱が散らされ、さらに醤油とわさびが添えてあった。ああ、こういう全てにもなんか色んな母の愛を感じてしまって、私はそれを享受するばかりで、それを全て親孝行として返すこともできておらず、望むような素晴らしい娘になれなかったことや何も成せていない自分を顧み、その全てに絶望を感じ、虚無感の中で黙々と弁当を平らげた。とても美味しかった。ほんとうにとても美味しかった。
あっという間に東京だ。慌ただしく降車の準備をし、混雑しているホームへとまろびでる。次のに乗り遅れないよう小走りでバス乗り場を目指す。
まだ朝日の眩しさを受けているビル群の間をゆるりと走り、予想していた遅延もなく時間通りに到着することができた。体感短い大移動であった。
読んだもの→島崎藤村「家」
19日
午前中はあんなに寒かったが、午後は日向はポカポカとして気持よかった。終わったら夕飯まで即寝た。
読んだもの→島崎藤村「家」
20日
さすがに外に出たくない気温になってきた。この時間に起きても美しい朝焼けにお目にかかれるのは嬉しいが、それにしても寒い。
今日は朝から作業だ。明日には腕が筋肉痛になっていることだろう。しかも小雨が降ったり止んだりで寒かった。うだうだしてたらもう夕食。
各方面への手紙を書いていたが、あまりに疲れて20時近くまで寝てしまった。今日こそは寝ない!って決めてたのに!
読んだもの→島崎藤村「家」
21日
午後はフルで講義だった。眠いし疲れすぎてやばい、と皆口々に言っていた。夕食後はレポートについて調べたり、資料をまとめたりしていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。
久々にあんスタを読む会ができたものの、連日の疲れで1時には寝てしまった。
読んだもの→今日は読めなかった