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カナダ渡航記:41時間の12月2日

既にあの日から3週間が経過した。

着いてから2、3日は諸々の手続きと学校のオリエンテーション。その後は週2ペースの学校に数回行き現在ホリデーバケーションをお楽しみ中と言うこの状況。
一部界隈では留学生が謎に襲われると言う噂の2週間程度の原因不明の体調不良からも回復し、ようやくこちらでの生活も慣れてきた。

そんな日々の中、投稿しようと思って疎かになっていたあの日の心情をそろそろ世に出しておこうかなと思い至った所存である。

今後はまたカナダ生活の事も挙げていこうかと思いつつ、その一本目としては渡航初日の心情をただただ語ることにした。以下、私が渡航初日に書いた日記である。


2024/12/02

実感のないままこの日が来てしまった。
私はこれから1年間、カナダのバンクーバーにて再び学生という肩書きを手にする。
2年前、私は留学がした過ぎて就職活動を投げ打って大学3年の3月に香港、タイ、ラオスの3カ国でバックパッカーをしていた。その結果、本日海外渡航の日を迎えている。正直な所カナダを選んだのはたまたまで、良いカリキュラムがそこにあったからである。チャンスがあれば何処にでも行きたい人なので未踏の地カナダでも嬉しいのだが、選べていたらヨーロッパに行ってしまっていたかもしれない。

大学卒業後に留学というと院進であると思われてしまいがちなのだが、今回は専攻を変えての学士取得、即ちダブルデグリーを目指す予定。現在持っているのは比較芸術学の学士。これからはビジネスを学ぶ予定だ。1年間カナダのコミュニティカレッジに通ってから、もう一年は提携先の4年生大学の4年次に編入できるシステム。2年目の選択肢はカナダでも良いし、スイス、ニュージーランド、イギリス等の他の選択肢を選ぶことも可能とのこと。今はまだ決め切ってはいないのだが、私の心情的に次の1年間はまた別の国へと行く可能性が高いだろう。即ち、カナダではおよそ1年間、生活を送る事になる。

日本の大学を卒業してから8ヶ月間、特に何をしたということもないが、なんだかんだ怒涛の日々だった。国内旅行やイベントの運営、登山や最後は挨拶回りなど。何をしてたか聞かれても多岐に渡っていて体型立てては答えられないのだが、このタイミングにこの何者でもない期間が持てたことはとても良かったと思う。しかし、いつまでもそんな状態では居られない。遂に再び肩書を手にするフェーズがやってくる。もちろんこの環境が特別である事は理解している。それに、特に日本社会でこうした人間があまり迎合されないことも知っている。なんなら親には結構反対された。世間においても一定数の人からは大学を卒業したのに就職もせずによくもまだ遊んでいられるよねと思われていたとしても仕方がないと思う。でも私も自認的にはあくまで一般ピーポー。普段は意識下にも上がらないくらい他人と比べることをしないのだが、たまに普通に就職して働いている人生もあったのかなと思う事があった。それに博士課程でもなくまた学士、まだ世にも出ていないでビジネスって、しかもコミカレってと思ってしまうのが正直な心情。
それでもいずれはこうなっていたのだろうとは思っている。こうなる事が私にとっては自然な事で、多分他の人にはこの何者でもない期間を取る選択が出来なかったり、就職するのが普通だったりするのだろう。私もこれまた幸運な事であるが、大学進学まで本当に当たり前の様に進んできた。大学生になってから世の中には高校卒業後、なんなら中学卒業後に就職する選択をしている人がそれなりにいるということを知った程だ。
世の中、と言っても私の知っているそれはまだまだ狭いのかもしれない。しかし、これからの私の生き方はその私の思う特に日本の世の中からは逸脱していく事になるだろう。それでもそれに対する恐怖はなくて、寧ろ自分にとって本当に自然過ぎるこの選択をさせて貰えた環境に感謝している。そして、良いんじゃないと声をかけてくれたり、自分の好きを貫く生き方が羨ましいと言ってくれる人の存在も大事にしていきたいと思っている。

渡航の1,2週間前は最後に会いたいと言ってくれた子達との予定でみっちり埋まっていた。大々的な告知はしていない。ただ、バイト先での挨拶時の事情説明やたまたま誕生日が渡航の1週間くらい前にあったのもあって久々に連絡をくれた子への近況報告等で渡航を知ってくれた友達や先輩、後輩、色んな方が激励の言葉と共に会う約束をしてくれた。告知が直前過ぎて殆ど昼も夜も外食、なんならその間の隙間時間にも友達と会っていた。それでもまだまだ会いたかったけど会えなかった人がいっぱい居て、あぁ、自分愛されてるんだなと実感する。

もう本当、物心着いた頃から持っていた海外に住みたいという夢がもうすぐに叶う。私にとってはそんなかねてより念願だった渡航のはずだ。しかし、色んな友達と会って話してみるとあぁ、彼らと少なくとも1年は気軽に会えないのだな、日本でのイベントやら何やらの会期に参加出来ないのだなという類いの寂しさを感じてしまった。数年前の私だったら嬉しい100でその部分はあまり惜しくなら無さそうだったのに。

そう思うのは去年の旅で50日間中40日間、一人旅をしていたからかもしれない。良い出会いが沢山ある一方、旅先では別れも繰り返す。また、旅が後半になるにつれて学生時代はあんなに苦手としていた組織への帰属意識を欲している自分にも気がついた。ホームシックにはならないし旅は楽しいので帰りたいとは思わない。ただ、友達が恋しいな、日本で集まってる皆んなが楽しそうだな、そんな感情を抱いたことは覚えている。
今回の渡航は一応留学という形。滞在も同じ所に一年だ。もちろん別れはあるだろうけれど、地域とも人々との繋がりは旅先での一瞬の関係ともまた変わってくるだろう。補足しておくと、旅先で出会った子ともまだ続いてる子は沢山いるのだが、物理的な距離の関係においてという話で。

因みに、この文章は成田からカルガリーへ向かう飛行機の中で書いている。この先はカルガリーで乗り換えてバンクーバーへ向かう予定。この渡航当日になって私は何を思うのだろうかと留学が決まってから考えていた。しかし、当日を迎えて思うのは、大した事は考えていないということだった。多分実感が無いからではあるのだが、これが自然な事だからなのかもしれない。もちろんこれから始まる海外での新生活を思うとドギマギ、楽しみではある。しかし、普通なのだ。旅には慣れてしまっているのと、直前が怒涛過ぎた事もあるだろう。また、留学すると言っていた期間が長過ぎて、将来行くけどまだ先の事として捉えていた気持ちが強くなり過ぎてしまって実感が得られなくなってしまっていたのかもしれない。

準備も必需品の買い出しは前日。パッキングは直前の真夜中に始めて家を出るギリギリ、午後12時過ぎになんとかまとめる事ができた。本当は部屋をもっとちゃんと綺麗にして行きたかったのだが、時間切れ。まるで泥棒が入ってきたのではないかと思ってしまうほどに物が散乱した部屋を思うと1年間この状態で放置する事は部屋と物に申し訳ないと思ってしまう。でも仕方がない。パッキングが間に合っただけでも良かったと思うしかないのである。

航空券も安さ重視の取得、ど平日の夜に飛ぶフライトを選んだ。カルガリーでトランジット、変更可能オプションをつけて6万円程だった。結構良い値段だと思う。
フルタイムの母がお昼時の休憩時に最寄りまで送ってくれた。元々は徒歩20分の道のりを歩く予定だったのだが、最後にちゃんとお別れも言えたのでありがたかった。しかし、実感もないのでたまに雨の時に車で送迎してもらう時の様な感覚だったので、正直これから先の母が渡航してこない限りは会えないという点にピンとは来ていない。

もうすぐカルガリーに着陸する。続きはバンクーバーに向かうフライトで書こうかな。

そんな呑気な気持ちでいたら割とトランジットの洗礼を受けてしまった。カルガリーに到着して案内通りに進んだ先でビザの審査を受ける。ビザ申請の書類を提出し、30分程で名前が呼ばれた。元々成田の出発が20分ほど遅れていたのだが、次のフライト時刻が迫っていて焦ってしまう。30分以上経過した後、名前が呼ばれて追加で学校側からの入学許可証の提示を求められた。その際フライトの時刻が迫っている旨を伝え、手続きにどのくらいかかるのかと尋ねたら、許可、即ちビザを得ずに飛行機に乗る選択をしても良いという。許可は得られないけど行っても良いしそれは自分次第。また手続きの時間も場合によるとのこと。この適当さというか、自分次第の洗礼に対して、「いや、そんなことあるかい!」と思わず突っ込みたくなってしまう。バンクーバーで手続きが出来るわけでもない様なので、仕方なく待つことにした。チケットに記載されているボーディング時間は既に過ぎている。最悪飛行機は逃したとしても今後1年間不法滞在、というかそもそもビザがないと学校にも入れてもらえないので流石に待つことを選ぶ。また、自分に急がせたい?皆たいな調子で聞かれたからそれも結構びっくりだが、急いでくれたのかそのやりとりの後は程なくして無事就学兼就労ビザを得ることができた。
急いでトランジット先へ向かう。書類受付の担当者が変わっていて初対面だったのだが、容陽気にバイバーイと送り出してくれた。ゲートが自動で開き、出口へと誘われる。

誘導された先でトランジットの通路が閉鎖されていたので焦ってしまったが、普通にチェックインする必要があることを理解し、出発ロビーへと急ぐ。乗る予定のウェストジェットエアのグランドスタッフに急いで声をかけた。2時発だからまだあと30分ある。電話してあげるからトライしてみなさいとAゲートまで急ぐ様に促された。

特に優先搭乗というか、ぎりぎりの人向けの対応はなく列に並んで荷物検査に入る。小さな女の子が私のレーンに入ろうとしていた妹を制止してここどうぞと言ってくれて可愛かった。やっと自分の番になったと思っていたのだが、液体は入っていないかと聞かれ、水筒にラテが入っていたことを思い出す。慌てて飲もうとしたらここではダメと追い返されてしまった。カナダでは国内線でも液体が駄目なのかと思いつつ、中身を全て捨てて再び入場を試みる。荷物検査は割とすぐに済み、Aゲートを目指す。まさかの1番端だった。私がいたのはDゲート、徒歩11分の看板を見た時には割と絶望である。

めちゃくちゃ走ってゲートへと向かった。なんとか辿り着き、グランドスタッフに声をかけると、まさかのこの飛行機も約1時間遅れているとの事。遅延に助けられたものの、ダッシュが無駄な努力に終わり、もっとビザの場所や荷物チェックの方に対して誠実に対応しておけば良かったと後悔してしまう。別段無愛想だとかではなく急かさせてしまったかなと思ってね。
Aゲートに来るまで割と面白いカルガリーの空港の様子を見ることが出来たのだが、1時間あるとは言え探索する気も起きなかったので大人しく近くで待つことにした。

空港内ではWi-Fiが使えたのでLINEにて家族に無事ビザを取得出来たことを伝える。母から返信があった時刻を確認すると日本時間午前4時。どんな生活しとるんかい、とこれまた突っ込みたくなった。

そんなこんなで搭乗口の椅子に腰を落ち着ける。ビザを取得出来て安心したところでいよいよカナダ生活が始まるのだなと思いつつ物思いに耽る。

私が色んな人に生かされていることに対してやお金を出してもらっていることに対して、ありがたいけど何も返せていないのが申し訳ないと涙してしまったことがあった。その時に、結局楽しんできてくれれば良いよ、負担に思わないでねとか、行ってみて、帰ってきて別にまた芸術の道に行っても良いし、お金は出せるのも幸せなんだよと親戚からかけてもらった言葉を事を思い出す。

正直私は自分が信用出来ない。留学も元々は別のプログラムを利用して理転してCS系の大学院に行くんだと抜かしていた。時流に合わせた考えだったのだが、当時所属していた団体でコンピュータ系を担う情報戦略エリアで活動してみたところ私の場所はここではないと確信してしまったのでそちらの道は断念。会う度に言ってることが変わるなと思う人が居ても仕方がないくらいぐらんぐらん。よく他人からは軸があってぶれないよねとか、自己を貫いてるよねと言われることもあるが、自分自身では自分の軸が分からず自己を確立出来ていない認識だ。
だからこそ、まだ焦らなくて良い、自分の道を着実に歩めば良いという類の言葉には救われる。もちろん甘い言葉だけを拾っていい様に解釈するというのは違うのだが、変に世の中の常識を狭め過ぎず、行きたい方向に努力すれば良いと思えたことは結構大きな変化だった。ビジネスというのも、実はやりたいことあってのちゃんと考えた結果の専攻だ。この点についてはまたの機会に。

去年も旅中に迎えた誕生日。旅の間も色んな人に助けられてばかりでもっと私も返す側にならないとと宣言したのだったが、一年を振り返ってもまだまだ色んな人から貰うものが多過ぎて充分なお返しが出来ていない自覚がある。
それでも、今はそれで良いと思えている。”いつか”がいつやって来るのかは分からない。私も都度返せるタイミングで恩を返していこうと思いつつ、今はがめついと思われたとしても頂いたチャンスをしっかりと活かせる様に頑張ろうと思う。

身近な人でこの形式の留学をした人もいないし、入るのが簡単過ぎて本当に留学するという実感もない。そんなので本当に大丈夫なのかと、自分、もっと頑張らないとまずいんじゃないかと思ってしまうのだが、結局は自分のしたい事をしている自分が好きだ。少なくともそう信じられる人でいたい。

これからどの様な生活が待っているのか分からない。きっと異国の地での生活はストレスが溜まることも多いだろう。でも、いろんな人からあなたなら大丈夫そうと言われてきた様に、自分でも大丈夫だと思っている。23歳の1年間。カナダでの生活を思いっきり楽しんでいこう思う。

ここからは到着後、カナダは日本より17時間も遅れているのでまだ2日のままだ。

着いてからはそれなりに怒涛で、結果何も変わっていない気はする。無事シェアハウスに辿り着き、ルームメイトに色々勝手を教わる。すぐに荷解きをして呆気なく引っ越しを終えた。きっとまだ観光客気分なのだろうと思う。
昨夜はルームメイトが一緒に薬局と韓国のスーパーマーケットに連れて行ってくれた。しかし、まだどの場所が安いのか分からないし韓国マーケットに売ってあった日本食とバナナ、メープルシロップとオーツを購入して終了。

夜ご飯が無さすぎて困っていたのだが、時間切れだ。10時以降はやはり治安が悪いというか、よくない場所もあるようで、帰路に着いた時にはお尻丸出しのクリーピーガイに鉢合わせてしまった。特に何をされるわけではないのだが、今日はもうシェアハウスに留まることにした。
あとは気づいたことといえば、日本に比べて運転が荒いことかな。人によるかもしれないのだが、歩行者側も気をつけなくてはなと思わされた。

日本人だからと期待感を抱かれている韓国、タイ、日本のチームアジアで始まったシェアハウス生活。ちゃんと綺麗に使おうと思います。同室の彼女がメチャクチャ優しくてありがたい!

アパートメント屋上からの景色


改めて3週間前に書いた自分の手記を読むと、文章が自由に行ったり来たりで一貫性がない点に我ながら呆れてしまった。一方、こんなこと考えてたっけと思い出す点やここは今も変わらないなという気持ちが押し寄せる。
他の人が読んで面白いかは分からない。ただ、留学をするという選択を取るのも万人ではないだろうから、留学に行く人の心情としてこんなことを考える人もいるのかと軽い読み物程度に受け取っていただければという代物だ。
今は少し生活に時間の余裕があるのだが、今後はもっと忙しくなるだろう。それでもここ3週間だけでも振り返って言葉にしておきたい感情や体験をしてきた。それをちゃんと文章に落とし込んでいって自分の経験をもっと自分に還元できるようにしたいなとこの渡航初日の心情を振り返って思うのであった。

今のカナダはクリスマスイブのお昼過ぎ。今日の夜はコロンビア出身の子が主催するラテン系のクリスマスパーティに参加する予定になっている。しっかり遊びの方も謳歌してきます!

それではまた次の機会に〜。

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