再訪時にはモスタルのスターリ・モストから飛び降りることにします。
2023/11/24 ボスニアヘルツェゴビナ モスタル 🇧🇦
朝起きて、洗濯物を干す。
前庭の石が独特な並びで印象的だった。
ホステルは一般的な家を宿泊施設として活用している様な場所だったのだが、地下から3階まである大きな建物だった。
その2階から3階部分にかけて紛争時代の写真が特になんの説明があるでもなく並べられていた。
本日は朝からフリーウォークに参加する事にした。昨夜一緒のバスに乗っていた2人と一緒に街に繰り出す。アムステルダムとティラナでそのチャンスを逃してきていたこともあり、個人的に念願だったフリーウォークに参加する機会に恵まれて嬉しかった。
集合は9時くらいだっただろうか。集合前にパン屋に寄って朝ごはんを調達した。パンをオーダーして撮ってもらう方式。オーストラリア出身の彼の次に私の番かと思ったらアメリカの彼が注文する。そのまま会計をするのかと思ったら私の分も一緒に払うのでと店員さんに託けをしていた。ええ、と彼の優しさに驚いてしまう。例の、コイントスで自由に旅をしている彼は小娘に奢る余裕を持っているとなると夢が広がるなと思う。それに彼は変な下心とかではなく、単純に私が学生で1人で旅をしている境遇を見て善意で奢ってくれた感で完全にクリーンな優しさだった。甘んじてパンを一つ頂戴する事にした。
朝のモスタルは活気に溢れている。街のシンボルであるスターリ・モストは既に観光客で賑わっていた。
集合場所に着くと女性のガイドさんが旗を掲げていた。自己紹介からそのツアーがスタートする。
集合地点から順繰りに旧市街を回っていく。スターリ・モストの説明も改めて受けた。橋の入り口にある小屋に番人がおり、橋から飛び降りる際にはその人に許可を取る必要があるらしい。また、橋から100メートルくらい先の所に練習用の飛び込み台も設置してあった。スターリ・モストはそれなりの高さがあるので訓練なしでいきなり飛び込むには危険であり、その為に練習用の台が設けられているとのこと。ガイドさんによると昨日は2名が飛び込んでいたらしい。こんな冬の時期によく飛び込んだなと思いつつ、私もいつか飛び込んでみたいと密かに思っている。一緒に回っていた2人と一緒に橋の下を覗き込んでいると、飛び降りたいか聞かれたのでもちろん、と即答しておいた。
また、この橋の歴史についても説明があった。当時の写真も見せてもらう。壊れている時の写真を見たのはおそらく初めてだったので割と衝撃的だった。今後は平和の象徴として破壊されることなく両者をつなげる役割を果たし続けて欲しいと思った。
その後は金物屋にも見学させてもらいに行った。中には黙々と作業をしている老夫婦がいた。お父さんの方が私にどこから来たのかと尋ねてくれたので、日本というとこんにちはと日本語で挨拶してくれた。そのホスピタリティに嬉しくなる。また、彼らの作る金物は伝統工芸なのだが、どれも美しかった。そしてその中で彼がスターリ・モストをモチーフにした作品の意味を詳しく説明してくれた。彼がその平和の象徴とデザインに込めた意味を説明する中で、彼ら夫婦も奥さんがクロアチアカトリックで旦那さんがボスニアヘルツェゴビナのムスリムだったのだが、今でも仲良く2人でやっているという話を交えていてとても素敵な夫婦だと思った。また、40年以上も連れ添ってマイビューティフォーワイフの言葉が出てくるのは素敵でしかない。とてもほっこりとした時間だった。
そういえば、ボスニアヘルツェゴビナは長いのでB&Hと略されることもあるらしいのだが、元々ボスニアとヘルツェゴビナという国がありそれらが統合されて連名のような長い国名となっている。だからこそ私はボスニアだけで言いたくはないなと長くてもヘルツェゴビナを必ず合わせて述べるようにしているのだ。また、ガイドさんは忘れはしないけど許すというような言葉をよく口にしていた記憶がある。戦争や紛争の傷や悲惨さを忘れはしないが、かつての敵を憎むのではなく許すのだと。そうすることで次世代の平和を築いていくことの重要性を訴えていた。
私は確かに戦争は良くないと思うし、日本でも平和教育は盛んに行われていると思う。しかし、どうしても経験した人の世代が高くなっていき、戦争を主観的に捉える人が減少しているように感じられる。現代の若者は平和ボケと言われるような状態に置かれているのだ。これはいい事ではあるし、私としてもそんな国に生まれて幸せだと思う。ただ、この戦争を自分で体験した人が忘れないけど許す気持ちで平和を築こうとしている姿を見ると、なんて自分は世の中を知らないでぬくぬくと生きてきてしまったのだろうかと自責の念に駆られてしまった。また、正直なところ自分の先祖ではあれど私達はいつまでこの戦争関連の事情を隣国に謝罪し続けなければならないのか、それに終わりがこなかれば平和にはなれないのではないかと思ってしまう。戦争の結果生まれた国でその恩恵を受けているとはいえどこまで責任が問われるべきなのだろうか。こう考える一方で、確かにやった方は忘れてやられた方はいつまでも覚えているというようなことも確かに不当だよなと世界平和への諦めを感じてしまうのが正直な所だ。旅をしていると、どこの現地の方も優しく受け入れてくれるし個人間ではこんなに仲良しになれるのに、いい人も沢山いるのに、逆に日本の中にも悪い人はいるのにとジレンマを感じてしまう。もちろん私も政治的にそれはおかしいとか、これはもう解消済みでしょと思ってしまう面もあるのだが。まあ一個人である私はまず個人単位で仲良くなる、分かりあうことがきっと大事なんだろうなと思うことで、今のところはそんな自主平和を築いていこうという結論に至っている。
少々持論語りが過ぎてしまった。ツアーの内容としては、こうした戦争にまつわる史跡だけでなく、もっと古い時代からのモスクや水飲み場など、モスタルの観光地も案内してくれた。
フリーとはいえ、最後はチップ制度なので私も気持ちばかりのチップを入れる。こういう時に相場が分からないのはちょっと気まずいので知識を入れておくといいと思った。いつも思って結局深く考えずに調べないのが私なのだが。また、その時も一緒に参加していた2人にどのくらいが相場なのか助言を求めたりもできたので、困ったら人に聞くに限るとも思っている。
ツアーの最後にレストランのドリンクチケットをくれたので、折角だしとそのレストランで昼食を取る事にした。一緒に参加していた2人に加え、ツアーで知り合ったコロンビア出身のカップルと計5人でテーブルを囲う。
みんなは現地の名物であるらしい強いお酒、ショットを選択していたが、私はお酒に弱いのでオレンジジュースか何かを注文した。ご飯は、他の人が頼んでいた煮込みシチューが美味しかったのだが、私はまたしてもなぜかあのお馴染みのソーセージを頼んだ。これはこれで美味しいのだが、流石に他のものを頼めば良かったなと少し後悔したことを思い出した。
旅人でテーブルを囲うとこれまでの旅の話やこれからの旅について、またそれに付随するおすすめの場所や交通手段といった情報交換の場となることが多い。今回も初めは自己紹介からスタートし、それぞれの旅について語り合う会になった。カップルの二人組は女性の方が先に旅行をしていて、男性の方が仕事を終わらせてからこの地から合流し、これから一緒にヨーロッパを回るとのことだった。女性の方はどうやら登山をするようで、このボスニアヘルツェゴビナに来る前はキリマンジャロから来たと言っていた。カッコ良すぎる。いつか私も海外の山を登ってみたいし、キリマンジャロから来たという言葉を口にしたいものだと思った。
宿からずっと一緒の2人はアメリカ出身の方はコイントスで旅をしている話、オーストラリアの方は農業に携わっているために一年の半分は旅、半分は仕事をしているというような話をしていた。確かにそういった仕事と旅を両立し続けていくスタイルもあるよなと先輩の旅人方と尊敬の眼差しを持って対峙していた。
食後にはコーヒーを注文したのだが、甘いデザートも付いてきた。コーヒーはコーヒーでターキッシュコーヒーと珍しい。専用のイブリックと呼ばれる金属製のポッドで沸騰させて泡が溢れんばかりにそのポッドの口に出てきたところで火を止めてお猪口のような小さなカップにいれて提供してくれた。ちゃんとターキッシュコーヒーを飲むのは初めてだったと思うのだが、ちょうど良い苦味で美味しかった。そしてこれがまた甘い砂糖付けされたクッキーのようなお菓子にぴったりでペアリングが最高だった。お昼は大満足である。
カップルとは別れて3人でぷらぷらと街を散策しながら銀行に寄ってみたり、再びスターリ・モストを渡ってみたりと時間を過ごした。この時もきっと何か面白い話をしていたと思うのだが、他愛もないものだったのだろう。あまり詳細は覚えていない。
途中、また例のモロッコ人の方とすれ違った。2人も見覚えがあると言っていたものの誰かわかっていなかったらしい。私がバスで一緒だった人というとピンと来ていたようだった。彼とはまた挨拶だけ交わしてさよならをする。彼の滞在はどんなものだったのだろうか。
あっという間に夕暮れだ。私は今日も移動日なのでホステルで荷物をピックアップして駅に向かう事にした。そのアメリカ人のコイントスの人はヤンさんというのだが、最後の最後で彼がコイントスしているところを生で見ることができた。どうやら結果は明日までモスタルに留まってから次の場所に向かうとのこと。その時に彼がフリーウォークでの戦争の話が忘れられず、もう少しこの街を散策してみたいと思っていると語っていたことが印象的だった。
彼も明日のチケットを会に行くがてら駅まで送ってくれるというのでこれまた甘んじてお願いする事にした。東ヨーロッパではユーレイルパスに加盟している路線がなく、高速バスを活用していたのだが、今回は久々の鉄道を使っての移動となる。
ただ今回もユーレイルパスではなくて、ボスニアヘルツェゴビナの国内を独自に走る鉄道を利用しての移動だった。今日の目的地はサラエボ。ボスニアヘルツェゴビナの首都である。ちなみに、この鉄道は早朝と夜の一日2本しかないというレアもの。チケット売り場は長蛇の列となっていた。
その中に先ほど一緒に昼食を取ったカップルを発見し挨拶を交わす。彼らが一緒に買ってくれるというのでありがたく列に入らせてただいた。友達ができるって素敵ですよね。
ヤンさん達とは最後にお別れのハグをして別れた。彼の存在はいつまでも忘れないだろうと思う。コイントスでバックパッカーで、しかもだからと言って完全な浮浪者ではなく、この世の中で自由に生きている姿が本当にかっこよかった。私はそこまで突き抜けることができないなと思うものの、いつか一度でいいからそんな旅がしたいなと思っている。
電車のフォームへは階段を登るのだが、またしてもお世話になってしまった。ありがたい。それにそのカップルからモスタルで購入したというお菓子もいただいてしまうというお世話になりようが半端ない。電車は割と混んでおり、向かい合うタイプの座席でカップルと私と元々乗車していた現地のおじさんと4人で座る事になった。明かに現地人らしくない私たちの出立ちを見てそのおじさんが興味津々に話しかけてくれ会話が弾む。普段の移動も寝てればつくの精神だったり、外の景色を眺めてたら楽しめたりと苦ではないタイプなのだが、こうした会話の時間はやっぱりいいなと思う。
2023/11/24 ボスニアヘルツェゴビナ サラエボ 🇧🇦
サラエボについてからはバス移動で市街地へと向かう。駅にはほとんど何もなくがらんとしている印象だった。ここでまた問題を起こすのが私であって、現金を持ち合わせていないためにバスの切符が買えなかったのである。またまたそのコロンビアのカップルの方に払っていただくという御恩をいただいてしまった。ユーロで返そうとしたのだが、大丈夫だと払ってくれたのでこれまたありがたく頂戴した。
彼らは電波がない私の為に場所が違うにも関わらずホステルの門まで送り届けてくれた。これまた感謝である。改めてお礼を言ってお別れをした。
チェックインを済ませてからは夜のサラエボに繰り出して夜ご飯を食す事にする。もうすでに夜が遅かったこともあり、特に考えることなく適当なお店に入店した。モダンなタイプのお店で普通に美味しかった。最初に注文に来られた時にメニューがないので欲しいと伝えると謝られてしまったのだが、私も自分から声がかけられないほどに店内は割と混んでいて人気のお店、というか現地の方の憩いの場となっている様でその観察が面白かった。
この夜は大人しく宿に帰宅し、旅程を組み直した。最終確認をなん度も繰り返してから飛行機のチケットを購入したのであった。
明日の観光の目星もつけたところで眠りについた。