ブラチスラヴァは良い街だけどアクセスにはご注意を。
2023/11/08 スロヴァキア ブラチスラヴァ 🇸🇰
9時過ぎにはホステルを出る。他の宿泊客は昨夜遅くまで起きていたらしく、まだ眠りから覚めていない様だった。物音をなるべく立てないように注意しながらパッキングをしなくてはならなかった。
チェックアウトを済ませ、荷物だけフロントで預かってもらう。
ブラチスラヴァの観光は取り敢えずの街歩きから始めた。
歩いているだけで面白いのはいつも通り。ブラチスラヴァの街には面白い銅像が沢山あった。また、ホリデーが来月に迫る中、どうやら街ではクリスマスマーケットの準備がなされている様だった。
朝の散歩も程々に、お腹も空いたことだしと気になっていたケーキを頂くことにした。当時多分これをお目当てに入った気がするのだが、何で調べて知ったのか忘れてしまったし、名前が分からないこのケーキ。ショーウィンドウではスロヴァキア語で「スロバキアケーキ(slivkva buchta)」と書かれていたからきっとスロヴァキア伝統のお菓子なのだろう。他にも名前があった気がしたのだが記憶違いなのだろうか。スポンジ部分の味は素朴で中に甘く煮詰めたさくらんぼが入っていて、その甘さが特に朝の時間帯には丁度くて美味しかった。
初めは私以外に店内利用の客が居らず、途中で1組がやって来た。店員は私がケーキの写真を撮っていると、良ければ撮ろうかと申し出てくれた。この場面でめちゃくちゃ撮って欲しかったとかではないのだが、彼女の優しさを無碍には出来ない。では折角ならとお願いする事にした。しかし彼女は写真を撮り終えた後、Googleのレビューに高評価をして欲しいと頼んできた。個人的にこれがあまり頂けないなと思ったものの、この場は分かったと言っておいた。私はGoogleマップにはお世話になっているが自分の口コミは載せた事がない。また、こういうのは本人が良いと思ったから載せたり、不満だったから書いたりすべき者で強制されるべきでもないと思うんだよなと思ってしまう。一応返事をしてしまったし良い人ではあったしという事でやってみようともしたのだが、アカウント登録等めんどくさくてやめてしまった。申し訳ないがまあ私にも意思があるということで。
お店の前には可愛いおじさんの銅像が建っていた。可愛い。
腹ごなしを終え、ブラチスラヴァ城の見学に向かう事にした。
街中は色んなアートで溢れていて可愛らしい。例に漏れず、お城は市街地よりも高い、小カルパチア山脈の孤立している岩丘の上に築かれていた。坂や階段を登って行くと徐々にブラチスラヴァの街が遠くまで見渡せる様になっていく。大きな橋も見え、あの上方にあるのは展望台なのだろうかと気になった。
9世紀には既に要塞が築かれていたらしいのだが、15世紀にはロマネスク様式からゴシック様式へ、16世紀にフェルディナンド王がお城の再建を命じルネッサンス様式、17世紀に地方長官パルフィの居住としてバロック様式とその姿を時代と共に変化させてきた。といったものの変わり過ぎてどの時代に何になっていたかに関しては諸説ありそう。これはレポートではないので正確では無い可能性を伝えて免罪させて頂く。そして、大改装が行われたのがまたしてもマリア・テレジアの時代だったのだ。これは結構本当だと思う。マリア・テレジアの後継者であった皇帝フランツヨーゼフ2世が1783年、中央官庁を現在のブダペストに戻したのちは神学校としての役割も果たし、1802年には軍の所有物へと様式だけでなく、その用途も時代を経て様々に移り変わっていった歴史がある。また、残念なことに現存しているものは1953年以降に再建されたものであり、オリジナルは1811年に失火により消失してしまっている。現在は、独立して以降スロヴァキア議会の代表会議場として機能し、スロヴァキア国立博物館のコレクションが収蔵されている。歴史、実地で学んだはずなんですけどね。全部は覚えられていないので仕方なし。
取り敢えず蘊蓄は一旦おいておき、私はお城の城壁からの景色を少し堪能した後に、大きな騎馬像を拝みながら入城した。この騎馬像は一体誰なんだろう。
やはり1年前のこととなると細部まで詳しくは覚えていないようで、入場料を払った記憶がそこまで無いのだが、調べたら恐らく大人10ユーロ、学生4ユーロだった。当時私は学生だったのでかかったとしても4ユーロ。払ったよと言われれば払っていたような気がする。
博物館への入り口は中庭を通って行った記憶があるのだが、廊下にもぎりの男性がいて、その先に進むと結構大きなカウンターにロッカー係のおじいちゃんが荷物を預かってくれる場所が設けられていたような記憶がある。白を基調とした城内は金色のアクセントも加わってとても眩しく美しかった。ただ、確かに再建された建物だなと思う綺麗さ。かつてのお城が現存していたらどのような経年劣化を辿っていたのか気になってしまう。
中は基本的に撮影可能。階段の踊り場に設えてある鏡は目線の方向にあるため、階段を登るたびに自分の姿を見る事になるという状況が少しおかしかった。部屋にもよるのだが、博物館としての機能重視のモダンな部屋も多く、ここがお城だということを忘れてしまう。
道標に誘われるように進んだので逆にどこの位置にあったかを覚えていないのだが、角部屋の景色が綺麗な部屋でマリア・テレジアの肖像画を鑑賞することができた。また、部屋の天井の四隅に施されている金の装飾が少しずつ異なる点に興味が惹かれた。あれは何故統一されることなくバラバラだったのであろうか。
観覧を終えてそのまま外に出ると、庭園が広がっている。これまたしっかりとお手入れが施されている立派な庭園であった。そして、庭園の他にもお城を囲うようにして草木やオブジェが建てられている。遊具や面白い造形のベンチも設けられていた。現代ではブラチスラヴァ城が市民の憩いの場となっていることが伺える。その場からブラチスラヴァの景色を堪能した後、市街地に戻る事にした。
再び博物館に足を運んだのだが、先ほどのチケット問題が解決した。私はブラチスラヴァカードで旅をしていたのだ。オーストリアのザルツブルクパスで味を占めた私は、収集癖もあるのでブラチスラヴァでも観光パスを取得し、一日回っていたのだと思う。オンライン版もあるのかもしれないが、カードが欲しい私は多分朝の街ブラの時間にこのカードを指定の場所で購入し、カードをゲットしていたのだと思う。なんせ写真を頼りに記憶を戻しているもので。
今度の目的地は市街地に位置するブラチスラヴァ市博物館で、かつて旧市庁舎として使用されていた施設である。道路から扉を入った先も車庫みたいな雰囲気で扉を入った先に受付があるような作りだった気がする。そこまで広い館内では無いのだが、ここでは歴史的な資料の展示に留まらず、企画展っぽくはあったが、モダンなアート作品の展示もなされていて、スロヴァキアの国に関すること幅広く学ぶことができた。客は私ともう1組の親子だけだったので、じっくりと鑑賞することができた。博物館や観光施設でたまに見かける、あの台帳に私もなんとなく記帳してみた。
再び街に出てからはミハイル門に登ってみる事にした。こちらは確か観光パスの対象施設に含まれていなかったような気がする。また、門の入り口にご丁寧な説明書きがあった記憶があるのだが、受付は門のところではなく、近くの施設まで行ってチケットを購入しなければならない流れだったような気がする。門に入るための入り口は隣の建物に設けられており、中で門の方につながっているという構造になっている。門の中ではミハイル門の構造の説明や保全の工程に関しての展示などをみることが出来た。そして最上階の扉は開け放たれており、外に出ることができた。周りを一周できる仕様になっているのだが、意外と高い。普通に歩く分には問題ないのだが、下を見ようと恥の方へ近づくと柵はあるものの、胸より低く、スカスカで若干怖かった。
街の景色を楽しみながら今度は聖マルティン大聖堂へと足を運ぶ。
現在でもブラチスラヴァの教区のローマ・カトリック教会を統括しており、14世紀初めから約200年もの歳月を経て完成したという建築である。現在の姿になったのは、18世紀ごろで、それまではブラチスラヴァ城と同様に様々な改築がなされていたらしい。教会はやはり美しいものだなと思うのだが、ここでの売りはステンドグラスらしい。ただ、私はチェコのヴィート大聖堂のステンドグラスが凄過ぎて目が肥えてしまっていた。」ここのステンドグラスも美しいのだが、ヴィート大聖堂のものには叶わないような気がする。逆にここで印象的だったのは、オルガンである。どこの教会も大抵入り口側の二階部分にオルガンが設置されているので振り返った時に毎度その綺麗さに圧倒させられているのだが、ここではその大きさに圧倒させられた。シルバーでシンプルな作りだからこそその本体のパイプをよくみることができたのが要因なのかもしれないが、改めて写真を見返してもやはり大きいなと感心してしまう。また、シンプルだからこその荘厳さも感じられた。
時刻は既に14時前となっていたので、何かで美味しいという情報をゲットしていたレストランに向かってみる事にした。そこはレストラン街の様で、サンルームのようなものが建物一回に繋げられたような構造の同じような建物が並んでいた。その通りは遊歩道になっており、ブランコが設置されていた。なんでか分からないけど乗ってみる。まあブランコは楽しいからね。そういえば、先週も旅先で1人ブランコを漕いでいた。一年たっても変わらないなと思うと共に、こないだは立ち漕ぎをしてみて小さい頃に比べて体の近い方が下手くそになってしまった様な気がした。人目を気にせず、こういう場ではちょっと練習してみようと改めて思ったり。
レストランは若干高級そうな雰囲気で少したじろいだものの、せっかく来たのだからという気持ちで足を踏み入れてみる。そのサンルームスペースみたいな日当たりのいい場所に案内された。
お手洗いを借りようと店の奥に進むとカウンターにこれでもかとお酒が並べられている。カラフルで綺麗だった。絶対に写真を撮った記憶があるのだが写真がない。カプチーノと何かを頼んで美味しかった記憶はあるのだが。悔しい。
ブラチスラヴァカードは公共交通機関も対応なので、今度はバスを駆使して青の教会に向かってみた。教会の隣には学校が位置していたらしく、年齢様々な生徒たちが校舎で元気に遊んでいた。それを横目に青の教会を鑑賞する。中へは入ることが出来なかったのだが、入り口のドアのガラス越しに少し中の様子をみることができた。中に入ることが出来なかったのは残念だが、青の教会は外観を見られただけでも来た価値があるなと思える程に綺麗だった。また、教会の前の岩のオブジェには様々なお供物が置かれていたのだが、その中にピカチュウを発見した。こういう時はやっぱりなんだか嬉しくなる。
バスで少し離れた所に来たこともあってか、少し朝に歩いていた街並みとは違う雰囲気を感じつつ、Googleマップを頼りになんだか観光地っぽそうだなという方に歩いて行く。これが私の旅のスタイルであるのだが、電波がないのでインターネットに繋がらなくてもGoogleマップは地図とGPS機能が使えるので、オフライン城で何かっぽいところは詳細こそ見れずとも何かではありそうという目印は見つけることが出来るのだ。今回たどり着いたのはスロヴァキア国立劇場であった。入り口付近で何やら撮影をしていたようで、ギンギラギンに光る大きめのスパンコールが施されているドレスに身を包んだ女性がポージングを決めていた。その横ではこちらもクリスマスマーケットの準備がなされているようで、来るのが来月だったらなと思わずにはいられない。
再び街の中心地の方まで戻ってくると、そこでチュミルおじさんこと、マンホールおじさんの像を見ることが出来た。チュミルとは、スロヴァキア語でのぞきという意味を持つらしいのだが、このおじさんはマンホールから這い上がる様にして顔を覗かせている姿の銅像なのである。スロヴァキアのユニークな銅像の中でも特にユニークな像と言えるだろう。私が訪れた際も初めこそ人がいなかったものの、観光客の人々が絶えず写真を撮りに来ていた。その際に日本の方なのか、様子を伺いながら持参の能面を設置しておじさんとのツーショットを撮影していた。他の観光客の人もそもそも能面を見たことがない人も多いだろうが、その独特な風貌に興味を示していた。私も勝手に便乗させてもらったのだが、これはおじさんだったからなのか毎度観光地での写真に能面を入れ込んでいる方なのかそもそも何故能面を持ってい他のか永遠の謎である。因みに自分とのツーショットはおじさんの位置が低過ぎて中々に難しいか、おじさんに小顔効果のアドバンテージを与え過ぎてしまうという問題が発生してしまう。
最後に市歴博物館に足を運んでみるとにした。私の圧倒的リサーチ不足であるのだが、この施設は市街地の中心に位置しているのに入り口がわかりにくく、ここに来てやっと観覧できることを知ったのである。こちらもブラチスラヴァカードが有効だった気がする。入り口の門が左右非対称なのがとても印象的だったことを覚えている。中に入るとその名の通り、市の歴史を学ぶことが出来る展示がなされていた。なかなかに広い。
博物館の一角を成す塔に登ることができ、夕陽に染まったブラチスラヴァの街の美しさに惚れ惚れしてしまう。今朝訪れたブラチスラヴァ城やミハイル門も眺めることができた。
再び館内の展示鑑賞に戻る。先ほども述べた通りかなりの広大な敷地に写真資料や庶民の生活に纏わるようなケーキ型や喫茶道具、写真や双眼鏡など幅広い種類の雑貨も展示されていた。
デジタルを駆使した契約書の文字部分を自分で謎って執筆の擬似体験をしながら描かれている内容を学ぶというような体験型の展示があったり、木の模型を自分で動かして考えさせる展示があったりと展示方法も工夫されている点が見受けられた。
博物館はこんなにも広大なのに、実は最初の方から私ともう1人の人しか館内に人を見ない。私もその人を認識していたのだが、たまたま目があった時に彼の方から話しかけてくれた。こんなに興味深い展示なのにこの博物館には我々たった2人しかいないねと。本当に共感である。この土地の名を今回の旅で初めて知った私であるが、ブラチスラヴァはとても良い都市だと思うし、もっと日本でも人気が出ても良いと思った。まあアクセスの悪さが問題なんだろうけども。
何はともあれ、そこから会話が始まり、彼がインド出身オランダ在住であること、ブラチスラヴァへは旅行で来ていて、この後連れと合流予定であることを話してくれた。私も学生で今はヨーロッパを旅しているし、夏にはインドに行っていたこと、オランダにもこの旅の初めの方で行ってきたことを話した。私に興味を持ってくれた彼はその友人と合流するカフェに是非一緒に行かないかと誘ってくれたので同行させてもらうことにした。思いの外時間がないということで急ごうという話になったのだが、まだ道は長い最後の最後まで後半は2人で周り、急いで美術館を出る。私は今夜街を出る予定だったので、荷物を先にピックアップした方がいいとのことで、泊まっていたホステルに向かう。ホステルからカフェまでは彼が荷物を持ってくれた。石畳の上は大変なのでありがたい。道中は私がヨガをしたことがなかったのにインドのヨガの聖地であるリシケシュやウッタラカシに行ったことがあるというと、彼は最近ヨガを始めたいと思っていると言って私の話に興味を示してくれた。インド出身の方にヨガを解ける程私は全然ヨガに精通していないのだがなんか面白いシチュエーションだなと思った。
カフェで無事友達と合流し、オレンジジュースをご馳走になった。旅の話や彼らの職業の話など時間は限られていたが、1時間弱お話をさせてもらった。後ろ髪を引かれながらお店を後にし、キャリーケースを持ってバス停へ急いだ。
実はカフェで出来るだけ長く話していたかったので、バスも元々予定していたものを見送り、次のにするなど割とギリギリを攻めていた。しかし石畳の中キャリーを引くのはそれなりに大変でもっと早く出てくるべきだったと目先のことを優先してしまう自分を悔やんでしまう。そんな折に通りかかった男性がキャリーを石畳が抜けるまで運んでくれると申し出てくれた。自業自得の末路なので初めは申し訳なくてお断りしたのだが、また別の男性が声を変えてくれたんだったか同じ方だったか、結局運んでくれる流れになった。その人は私が引いていたキャリーを持ち上げて運んでくれ、またしても男性の身体的な力に嫉妬する。しかしそれよりももちろん感謝の気持ちが大きく、そして焦りが勝つ。お礼を言ってなんとかバス停にたどり着いた。駅に行く方がどっちなのか確証が持てず、人に尋ねてなんとか正いバスに乗ることができた。
ブラチスラヴァ駅へは問題なくなっ着し、目指していた電車に乗る事ができた。しかし、安堵するも束の間、この後まさかの悲劇が待ち受けているとはこの時は知る由もないのである。
次の目的地はハンガリーのブダペスト。こちらはロケ地というわけではないものの、その名がタイトルに起用されているウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』により、その名が知られている土地だと思う。
ブラチスラバからブタペストへ行くには2度乗り換えをしなくてはいけなかった。
そう、この乗り換えが鬼門だったのである。無事乗る予定だった電車に乗ることができ、これまた憧れていた土地に向かう期待を胸に電車に揺られていた。そして、乗り換えの駅で降車する。ここまでは良かったのだが、この駅が無人駅であり、電光掲示板は愚か、本当に何にもない駅だったのである。線路は3つ。1が独立しており、2と3が同じプラットフォームになっている。1のプラットフォームへ行くには地下通路を通らなければならない。多分3なんだよなと思いつつもいまいち確証を得ることができなかった。近くにいる人も英語が通じなかったり、ましてやなんかよく分からない喧嘩を繰り広げている男女のカップルがいたり不安でしかない。
結果、乗るべき電車の発着所はプラットフォームの3だった。そう、予想はあっていたのだ。しかし、その少し前にそれまで一切電車は愚か人の気配すら無くなってしまっていたこの駅に、一台の電車の光がやって来ていたのである。それが1に来たので急いで地下通路を移動した。しかし近くに来てみるとそれは車が積まれたただの貨物線で止まりもせず駅を通過していった。乗る予定の電車の時間が迫っていたのは分かっていたので、貨物列車だと分かった瞬間直ぐに2と3のプラットフォームに引き返した。しかしもう遅い。貨物列車の騒音で気づかなかったのだが、3のプラットフォームに既に電車が到着していたのである。キャリーを引いて全力で走った。地下通路の出口は列車の先よりも10メートルくらい離れていたのだが、私がその出口に辿り着くかつかないかのところで、私の叫び虚しく電車は発車して行ってしまった。間に合わなかったのだ。絶望である。
この電車はブダペストへ行く為の最終列車だった。しかしユーレイルパスの時刻表で確認すると、どうやらこの先にもう一台、ブタペストに近づく電車がやってくるようだったのでそれに希望を託して待つことにした。
待つと言っても片田舎の無人駅。次の電車を待つまで、約3時間程度私はこの駅に留まらなくてはいけない状況に陥ってしまったのである。そしてそれでもブダペストへ辿り着けるかは分からないという不安さ。電波も繋がらない中でとても不安だった。その時はプラットフォームには数人の人がいたのだが、1人の英語が話せる男性が話しかけてくれて、なんとかなるさと元気づけてくれた。まあ受け入れるしかない。なんとかなるかと思い直したのだが、再び遠くで先ほどの男女の喧嘩というか、男性が女性に暴力を振るっているような男性の怒鳴り声が聞こえてきた。そしてまさかのその男性こそ、先ほど穏やかに話しかけてくれていた彼だったのである。どんな事情があるのか分からないのでこれだけでは判断しかねるが、怖すぎるでしょと思ってしまう。
暫くすると別の電車が来てプラットフォームにまた1人で取り残されてしまった。仕方がないなとインターネットは繋がらなくても見られるようにダウンロードしておいた映画をみる事にした。途中まで見ていたクリストファー・ノーランの『インターステラー』をチョイス。この状況下でのこの判断。正解だったと思う。マシュー・マコノヒーは宇宙どころか時空を超えて彷徨っている。これに対して私は言っても地球にいるではないかと思うことができたのである。彼らの恐怖を考えたら私のこの数時間などむしろいい経験だ。因みに、ここはオーストリアとスロヴァキアの国境付近、オーストリア側の片田舎だった。ハンガリーは反対側なのだが、どうやらブラチスラヴァからハンガリーに行くことが出来ず、一度オーストリアに引き返してから電車に乗ってハンガリーに向かうという経路だったようだ。
インターステラーを鑑賞し終わった後は、再度旅程を立てたり、その時の思いを文字に起こしてみたり、なんとか旅の気力を取り戻して観光への英気を養っていた。
また、新たな人がプラットフォームにいることを確認し、多分あっているよなと思いながらも今度間違えてしまったら今日は寒空の下この無人駅で過ごさなければならないという状況の懸念からリスクヘッジにと声を変えてみた。しかし、彼も英語を話すことはできないようだったので、話しかけると首を振られてしまった。少しして彼が私にスマートフォンの画面を見せてくれた。どうやら状況を把握してくれたらしく、親切にこのプラットフォームであるという旨を教えてくれたのである。彼もその電車に乗るということで、会話はできないものの、とてもほっこりしたし安心できたことを覚えている。どうやら一緒の電車だったみたいで、ずっと一緒だったわけではないのだが、同じ車両に乗り込んだ。
2023/11/08 ハンガリー ブダペスト 🇭🇺
安堵するも、ブタペストへの道はまだまだ遠いい。次の乗り換えはミスしないようにと気を引き締めた。ただ、今度の駅はそれなりに大きく、掲示板もあるし人気もある。無事正しい電車に乗ることができた。ただ、ここでまた不思議なのが行き先がブダペストとなっているのである。もうこの時間では電車が見つからなかったのに何故なのか。実はあったというラッキー案件なのかどうなのか。分からなかったが、電車はあっていたので乗り込んでみる事にした。乗務員に聞くのが早いと車両内を移動しまくるのだが、なかなか見つからない。電車のアナウンスでブダベストまでは行かないという旨のアナウンスが流れた。雲行きが怪しい。やっと乗務員を見つけたものの、私は二等車用のユーレイルパスしか持っていなかったので、初めそちらに誘導され取り合ってもらえなさそうな雰囲気を出されて焦ってしまう。その乗務員は食堂車で見つけたのだが、彼女によると途中からはバスに乗り換えてブダペストまで行くことができるとのことだった。難しすぎるでしょ。
幸いその電車には数十人の乗客が乗っており、その電車の終点についてからは彼らについていけば迷うことなくバスまでたどり着くことができた。しかも、私がキャリーケースを引いていたら、またしても青年が荷物を持ってくれると名乗り出てくれたのである。今はこの優しさがより身に染みてありがたい。当初予定していたものに乗れてしまっていたら出会えていなかったと考えると、こうなって結果オーライという気がしてくる。また、改めて人に生かされていることを実感し感謝だなと思った。バスまで荷物を運んでくれた後、初めは前後で座ったものの、話が続いていたので隣り合わせでのり、引き続き会話を交わす。彼は職場見学か何かで隣国に用事があったらしく、ハンガリー出身の男の子。なんと私よりも一歳年下だった。コンピューターサイエンス系統の分野を専攻しているらしく、何も将来が決まっていない自分の方が年上だとは思いたくないなと思ってしまう。私は何も決まってないよ~みたいな感じでおちゃらけ半分に卑下するとむしろフォローされる始末でますます不甲斐ない。その他はブダペストのおすすめの観光地や私が日本出身だと知ると、彼は折り紙が趣味だと教えてくれた。そんなこんなで会話を楽しみつつ、今度は元々乗っていた高速ばすから市街地を走るバスに乗り換えた。途中の駅で彼は降りていき、別れる。いい出会いだった。
私もバスを降りてホステルに向かう。その道中でそういえば忘れていたが、チェックインの最終時間っていつだったかと焦りに駆られる。時刻はすでに午前1時前、日付を跨いでしまっていた。
奇跡的にこの宿はチェックインが1時か2時だったので無事チェックインできて安堵する。この旅で泊まったホステルの中でも最も遅い時間までフロントが空いている奇跡。寝室は二段ベット毎に仕切りも大きめで、ドミトリーにしては個人スペースが割と広い。シャワー室も隣接しているものの、壁と扉で仕切られていたので遅い時間だったがシャワーと洗濯をさせてもらう事にした。
今日はなかなかに長い1日であったなと思いながら寝床についた。