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マリアテレジアイエローってやっぱり良い色ですよね、ウィーン。

2023/11/07  オーストリア ウィーン 🇦🇹

チェックアウトを済ませてから駅の方へ移動し、荷物をロッカーに預けた。正確にいくらかというのは忘れてしまったのだが、他のヨーロッパ諸国よりもオーストリアの駅のロッカーは安価でありがたかった記憶がある。確か3ユーロだったかな。ザルツブルクの駅と同じロッカーの仕様にまたオーストリアに戻ってきたのだと実感した。今日もまた夜は移動する事になるのだが、ウィーンの観光はこれからである。

チケット購入も一緒

本日はそう、シェーンブルン宮殿にやって来ました。
個人的にウィーンでどうしても訪れたかった場所だ。中学だったかいつだったか、歴史の授業で習ったマリア・テレジアのシェーンブルン宮殿。私はマリア・テレジア少女時代の姿絵がとても好きだった。女帝としての姿もかっこいいなと思うし、シェーンブルン宮殿の色味も好きだなと思っていたのだ。理由が少々軽薄だと思うが、このマリア・テレジアイエローとも呼ばれる淡い黄色の色合いが堪らない。

最寄りの駅へは予約の時間よりも少々早く着いてしまったが、取り敢えず宮殿の方へ向かった。宮殿が姿を表す。そう、私が見惚れていたのはこの黄色である。美しい外観を堪能しながら前庭で優雅に予約の時間を待った。お供はベルギーで購入したチョコレート。もったいなくてまだ食べきれていないのだ。

 

売店の方も覗いてみた。モーツァルトパッケージのドリンクが販売されており、そういえばモーツァルトにもゆかりのある場所なのだなと思い出す。彼は鏡の間でマリア・テレジアを前に演奏を披露したのだ。

実は建設自体はマリア・テレジアではなく、17世紀末の神聖ローマ皇帝レオポルト1世によるもので、ハプスブルク家の夏の離宮として建設された。オーストリアが誇るバロック建築家のフィッシャー・フォン・エルラッハに設計が依頼され、フランスのヴェルサイユにも劣らない宮殿の設計図が出来上がったのだが、予算不足で規模が小さめの簡素な宮殿になってしまっていた。それでも、シェーンブルンは美しい泉を意味するシェーナーブルンデンに由来するようにヴェルサイユに及ばずとも当時から美しいものではあったのだろう。しかし、訪れた者はその美しさに魅了されるだろう。これが簡素なのかと。現在私たちが見ることが出来るシェーンブルン宮殿をその簡素なつくりから現在の姿にした人こそ、マリア・テレジアなのである。
そもそも離宮として建設されているのもあり、蔑ろにされていたこの宮殿を自身の即位すると同時に居住地にすると宣言し、大規模な増改築を行ったのだ。設計はニコラスフォン・パカッシに依頼され、オーストリア中の職人がその腕を振るったらしい。外装はバロック様式、内装はロココ様式に統一された。外装のマリア・テレジアイエローは先述の通り美しく、内装は貝殻や植物をモチーフとする複雑かつ豪華なデザインが至る所に施されており豪華である。ハプスブルク家の権威と16人の子宝に恵まれたマリア・テレジアの母親としての家族への愛情をその宮殿の設計や装飾から見て取ることができた。
そういえば、学生時代に他の建築物の様式を覚えるのに苦労したが、これだけは一発で覚えた記憶がある。少々理由が軽薄な気もするが、とにかく来てみたかった場所にくることができて興奮していた。

宮殿入り口

宮殿内は写真がNGだったのか、手元に写真が残っていないので、文章で補うという建前の元、もう少しこの宮殿に関する蘊蓄を語るとしよう。

この豪華な宮殿の部屋は合計で1441室にもなるその規模に驚かされる。
黄色の間にはマリア・テレジアの時代から残る貴重な家具が展示されており、当時の様子をリアルに想像することができた。大ギャラリーにはハプスブルク家が支配した民族の絵画が描かれているという権威の強さ。朝食の間にはマリア・テレジアとその娘たちの手作りの花の刺繍が飾られており、子供の間には娘たちの肖像画に囲まれたマリア・テレジアの肖像画が飾られており母と娘の絆が感じられた。宮殿内には東洋の美術も取り入れられ、オリエンタルな雰囲気も備えている。中国の間という円柱の部屋も興味深い。

宮殿の観光は途中までのものと、観光客が入れるところは全て回れるチケットと選べたのだが、ヴェルサイユ宮殿が広大すぎて大変だったこともあり、こんなに語っておいて私は途中までのものを選択して購入していた。途中までコースが一緒で、途中の部屋で再度チケット確認口か出口かでその行き先が分かれている。購入した分のチケットではこの先に行けないとなった時には既に私はこの宮殿に心を掴まれており、なぜ全部回れるチケットを購入しなかったのか非常に後悔した。仕方なく出口を通って宮殿の外に出た。しかしやはり中が見たい。チケットは並ぶと聞いていたので事前にインターネットで購入していたのだが、ダメもとでチケットカウンターに足を運んでみる事にした。時間帯もあってか、チケットカウンターは空いていた。カウンターで事情を説明すると、差額分払えば全部回れるものを購入できるとのこと。あっけなく済んでしまい、チケットカウンターで頼んでみるか帰るかで悩んでいた私の苦悩はなんだったのかと思いつつ、ゲットできたことを嬉しく思った。

チケットを持って再度入場口へ進む。途中の部屋から入れるわけではないので、既に鑑賞していた部屋部屋も回る事になった。しかし、これ幸い。先ほど回ったところでも何度回っても面白い。先ほどよりも足取りは早くなるものの、復讐になってむしろラッキーだった。そしていよいよ先の部屋に入る。

やはり来てよかったなと思いながら内部を鑑賞し、今度は庭園観光に移る事にした。

庭園はヨハン・ホーエンベルクにより仕上げられたとされ、東西1.2キロ、南北に1キロの広大さを誇っている。とはいえ、ヴェルサイユの庭園に比べたら小さくまわりやすい程度のちょうどいい大きさだった。宮殿側から正面にネプチューンの噴水が見え、その延長線の先にグロリエッテの姿が確認できる。庭園内を隈なく散策したかったので、宮殿側から見て時計回りに大きく回る事にした。

庭園の道は並木道となっており、綺麗に刈り揃えられている道もあれば、アーチ型のように自由に伸びている道もあって面白い。整列された木々の隙間からは市街地を見渡すことができてそっちらもいい眺めだった。余談であるが、かつてこの宮殿付近は鬱蒼とした森で覆われ、ハプスブルク家の人々が狩猟を嗜む場所となっていたらしい。

途中にこれは名前が分からないのだが、中央にストゥーパを設えた噴水があった。真ん中中央にいる顔が何とも言えないユニークさを誇っているのが印象的であった。

歩を進めてグロリエッテに辿り着く。これは、1757年コリンの戦いでプロイセンに勝利したことを記念して建設さたモニュメントだ。確か現在では中はカフェになっていたと思う。
グロリエッテは宮殿よりも少し高い位置に建てられている。グロリエッテ側から振り返ってシェーンブルン宮殿の方を眺めると、宮殿や庭園と共に市街地を一望出来た。これがとてもいい眺めなのだ。グロリエッテの階段でも暫くその景色を堪能し、少し降った先のベンチでもその美しさに浸っていた。ああ、これが教科書に載っていた私の憧れの宮殿なのだと。

グロリエッテ

そこから正面に下っていくとネプチューンの噴水がある。この噴水はホーエンベルクによるもので、その名の通り三又の鉾を持ったローマ神話の海神が佇んでいる。まあ私はネプチューンというローマ神話での呼び名よりもポセイドンというギリシア神話の名前の方が個人的に好きなのだが。それにこの海神はローマの人々からはあまり好かれていなかった印象がある。因みに、これは完全に幼少期に好きだったリック・リオーダンの『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』という作品の影響からである。主人公のパーシー・ジャクソンが半神半人のデミゴットという設定で紡がれるその子供向け作品が好きだった時代を懐かしく思う。リック・リオーダンが作家兼考古学者ということもあって一時期本気で考古学者になりたい時代もあった程だ。今でも三又の矛を見る度にポセイドンのアトリビュートだなと反応してしまうくらいには好きなんだよなと話は逸れたがネプチューンの噴水を鑑賞しながら思っていた。

また、この噴水は後ろから入ることが出来る。ひみつの場所を覗き込めたようでなんだかワクワクしてしまうのが私の少年心というものだ。岩のトンネル越しからはシェーン・ブルン宮殿をみることができた。

そのまま宮殿側に歩いてきたのだが、庭園は丁度植え替え時期だったのか花はなく、土の撒かれ方だけで花が咲く頃はきっと美しいのだろうなと想像していた。

看板もなんか可愛い

そう言えば、シェーンブルン宮殿は庭園でもWi-Fiが結構強めに機能していた気がする。昨日、私の旅程が一気に3週間から50日へと延長されたのだが、ここで問題となるのがバイトである。2週間前にシフト提出の決まりだったので既に提出してしまっていたのだ。この庭園で後輩に相談しながら結局店長に許可を頂いたことを思い出した。また、今年も同じ時期なのでその後輩に頼りながら年末調整の申請準備のアプリ登録をウィーンでした事を思い出した。当時、私が帰ってこない!と少し店長がパニクっていたそうだが、そこを何とかしてくれた店長はじめバイト先の皆様には感謝しかないと思っている。

話は戻り、シェーンブルン宮殿を満喫した後はウィーンの市街地へと繰り出した。

なんでこの駅で降りる事にしたのか分からないのだが、取り敢えず降りた先の市場というか蚤の市というか、あれはマーケットだったのかなというようなところに行ってみる事にした。道中ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』じゃないかとポスターに反応してしまった。街の建物の外装も相変わらず美しい。

目指していた場所は、日本で言うなれば商店街のような雰囲気だった。リンツのリンドールが安く売られていたのでつい購入してしまう。当てもなくフラフラ歩いているとチーズ売りに声をかけられて無視しきれず立ち寄ってしまう。買わなくても良いからとそんなわけない誘い文句。それでも断りきれずチーズを試食させてもらってしまった。ノリノリで色んなチーズを次から次へと渡してきてくれた。まあ何なら途中からトリュフの食べたいとか自分でオーダーしてたんだけども。それでもやはりこの度には持っていけないんだよなと思い今度買うねと言って店を離れた。その後も特に買うことはなかったのだが、フルーツビネガーの容器がかわいいなとかその雰囲気は存分に楽しむことができた。

そのまま市街地の方へ足を運ぶ事にして、面白い建物を発見したり、有名なのであろう教会も見学した。ある教会に入るとオルガンの演奏がなされており、とても美しい音色を響かせていたのを覚えている。

 

流石にお腹が空いたと言うことで、ホットドックを注文してみる事にした。路面の屋台なので購入してから街中のベンチで頂く。ウィーンの街並みを眺めながらの昼食はとても贅沢だなと思った。

その後はシシィの愛称で親しまれるエリザベートの博物館にも足を運ぼうと思ったのだが、今日は既にシェーンブルンで満足してしまっていたのもあり、建物の前まで歩いたのだが結局仲間では入らない事にした。その後他の博物館の方も足を伸ばしてみたのだが、外観だけで満足し、日も暮れてきたのでどうしても行きたかった場所を目指す事にした。

この旅でオーストリアはザルツブルクに続き2回目の入国であるが、そう、お目当てはウィーンといえばのザッハトルテである。実際はそのケーキがと言うよりもこのケーキが売られているカフェツェントラルに来てみたかったのである。カフェ文化が浸透していて数多くの有名なカフェが点在するウィーンの中でも一際有名なこのカフェは、もともとフェルテル宮殿と呼ばれていたものを1876年にカフェとして改装し開業したお店だ。あの有名なペーター・アルテンブルクもかつて利用したことで知られる歴史ある名店なのである。ちなみに、店内には彼の人形が置かれている。それ故に外装内装ともに豪華でメニューのどれを頼んでも外れがない。

少し興奮しすぎてしまったが、それだけの有名店だけあって、お店の外まで列ができていた。少し待ってから席へ案内された。中央でショーケースに並べられたケーキやパンを見ることができ、どれも美味しそうで迷ってしまう。ボーイに相談しながら、やはり結局ウィーンに来たらのザッハトルテとカプチーノを頼む事にした。しかし、これは普通のザッハトルテではなく、このお店オリジナルの下層部分が柑橘の味付けになっている。これがまたチョコだけだと甘さが強くなりすぎてしまうザッハトルテに対していいアクセントとなっており、以前ザルツブルクで購入したものよりも個人的に好みだった。

私が服装的に場違いであることはある程度仕方がないとして、一昔前の上流階級の気分をひと時でも味わうことが出来て優雅な時間だったと思う。こうした体験もとても貴重だよなと。

最後のお会計の際にクレジットカードを選択すると、チップはいくらにするかと尋ねられた。これまでの旅では特にチップというものを意識していなかったのと、そこら辺の感覚がいまいち分からない。私はとても親切で有り難い接客をしてもらったのに、適当に金額を述べてその額がもし標準よりも低く、私がその店の接客に不満があったのではないかと思わせたくなかったのでどうすればいいのか迷ってしまう。そこで素直にボーイに相場は幾らかと尋ねると、確か3パーセントと言っており、また相場はそうでも気持ちだから好きでいいよと言ってくれた。そんな対応にもジーンとくる。その相場の額で支払わせてもらう事にした。

午後5時ごろにはウィーンの駅に戻ってきた。駅にあるライオンなのか何なのか分からない像が可愛くお出迎えしてくれた。
またまた電車を駆使して次なる目的地へと辿り着く。やってきたのは、スロバキアの首都、ブラチスラバである。申し訳ないが、ブラチスラヴァという地名は今回の旅で初めて知った。

2023/11/07  スロヴァキア ブラチスラヴァ 🇦🇹

今日の宿はブラチスラヴァの駅からは少し離れていた。歩けるのではないかと思いケチって歩こうとするも途中で駅から市街地に行くまでの道には大きな橋があり、そこは車でしか通れないことが発覚した。また、途中で道に迷ってしまったので向かいから来た大型犬を2匹連れたご夫婦に道を尋ねた。すると、彼らは親切にも私をバス停の方まで案内してくれるという。奥さんの方が2匹のリードを受け持ち、旦那さんが私を案内してくれる事になった。また彼は私のキャリーケースを運んでくれるという親切さ。私は本当に運がいいなと思ってしまう。彼らの優しさに感謝すると共に、今は甘えてしまっているが、日本で迷っている人がいたら自分も彼らのような人間になろうと思った。

バスは橋の中腹にある。お礼を言って別れ、バス停にたどり着いた。バス停に設置されてある券売機でチケットを購入。ユーロが使えるのが有り難かった。

最寄りの駅に着き、宿を目指す。興味深い造形物が私を迎えてくれ、降り立ってすぐにこの街に好奇心が掻き立てられた。また、市街地からは机をひっくり返したような見た目とも揶揄されているブラチスラヴァ城を拝むことができた。これまたマリア・テレジアゆかりの地だという。

そんなこんなで宿に辿り着くと、そこは完全にバックパッカー向けの宿だった。スタッフ自体も皆バックパッカー経験者であり、全体的に陽気な雰囲気。ロビーには沢山の国や地域のガイドブックが置かれていた。
チェックインにはネットでの登録が必要でそれに少し苦労したのだが、無事にチェックインでき、施設内を案内してもらった。
ベットのある部屋は安定の二段ベットが所狭しと並べられていた。これまでよりも大部屋のベット数、つまり動員数が多いように感じた。宿へ着いた時刻はまだ午後9時前だったが、既に眠りについている人もいた。
そんな彼らに配慮しつつ、最低限の荷物整理をしてから宿を出て近くのスーパーに夜ご飯を買いに行く。気になっていた苺の紅茶も購入してしまった。

私は共有のキッチンスペースでご飯を食べる事にした。宿内は入り口は別々なのに上階では繋がっていたり、色んな扉があったりと迷路チックな作りとなっていた。
部屋数もそれなりにあるので結構な大きさのキッチンスペースに私1人である。部屋の一角でパソコンで作業を進めつつ、旅程も立てながらしばらくそこでゆっくりしていると隣の部屋から女の子がやってきて、こんな所で何しているのかと少し不思議そうな目を向けられた。先ほど述べた通り、今夜の宿は全体的に陽気な人々の集まりだ。隣の部屋では飲み会どんちゃん騒ぎのパーティーが催されていた。そういえば、チェックイン条件に何歳以下という制限が課されていたことを思い出す。これは割と差別に当たるんじゃないのかと個人的には驚いたのだが。バックパッカーというと陽気なというかフレンドリーな人を想像されがちだが、私はあまりそういった雰囲気が好きになれない。そもそもお酒が飲めないし。こうした場所で一緒に騒げる陽気さがあればそれはそれで楽しいのだろうなと思った。

まだ宴が繰り広げているようだったが、幸い敷地は広くベットルームへはその騒音が届かない。明日もあるしと今日はもう寝る事にした。

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