ザグレブからのリュブリャナ、人との会話って幸です。
9時前には宿を出発しザグレブ観光に繰り出した。ここでの滞在は昨夜から今日のお昼過ぎまでだ。あまり時間もないのだが、首都とは言え、ザグレブの街はそこまで広くはない。
最初にドルメイダン広場を目指した。ホステルはザグレブの駅近くだったので、市街地の方まではトミスラヴ広場のある公園を通って向かうことになる。公園の終わりにはメテオロジカル・ポールと呼ばれる気温や温度を測る気象柱が設置されており、興味深い。
ドメイルダン広場では、マルシェが開かれており、色とりどりの野菜や果物が売られていた。日本では馴染みのない野菜も数多く並んでおり、歩いているだけで面白い。また、マルシェ全体が赤を基調としたデザインとなっており、広場全体が鮮やかなパラソルにより彩られていた。
広場は出店屋台で埋め尽くされているのだが、その周りの建物にはカフェがたくさんあった。ここで朝食を取ろうと考えていたので私もその一つに入ることにする。元々行こうと思っていたカフェは定休日か臨時休業日かで空いていなかったので、現地の人々で賑わう別のカフェに入店することにした。はじめのカフェはレトロだったのに対して、入った店はとてもモダンな雰囲気で、日本の街中にもありそうな雰囲気をしている。親子連れやパソコンをカタカタさせている常連さんなど、店内は現地の人々で賑わっていた。エッグアボカドトーストとラテを注文した。ラテアートに癒され、またこのカップの和風テイストに驚かされた。こんなところで出会うとは。
お腹を満たした後は、聖マルコ教会の方へ足を運んだ。途中、石の門を徹ことができた。この門の内部には礼拝堂が存在し、祭壇には聖母マリア像が祀られている。内部で角を曲がるような設計になっているので、門といっても一つの建築物であるような構造だ。しっかりと教徒向けに祈りの場所として三列くらいだったか、教会にあるような長い椅子が設けられていた。そんな場所が道として機能しているのが面白いと思った。
さらに、聖マルコ教会までの道のりには石門から少し歩いたところにザグレブで最も古い薬局が位置している。その開業年度は実に1355年とザグレブの街の歴史に圧倒されてしまう。
ザグレブの街を楽しみながら歩いていると、到着した聖マルコ教会。修復中だったのか、残念ながら周りが柵で覆われており、中に入ることは愚か、少し離れたところからの鑑賞となってしまった。しかし、私が見たかったのはその屋根の部分であり、それが見られただけでも満足である。この屋根の紋章は右側にザグレブの紋章、左側がクロアチア、スロヴェニア、ダルマチアの三重王国の紋章がモザイク画のようにカラフルなブロックを使用して描かれている。屋根にこのような模様が描かれている教会はヨーロッパを旅した中でもここだけだったかもしれない。それだけに斬新で印象的な建物だった。
この教会の前はグループツアーで訪れている人たちもおり、沢山の観光客がその外観を拝みに来ていた。それだけこの外観は見る価値のあるものなんだなと人気ぶりに気付かされた。
後ろ髪をひかれながら次の目的地へと足を運ぶことにする。といっても、次の目的地はこの聖マルコ教会から目と鼻の先にあった。失恋博物館というその場所は、その名の通り世にも珍しい失恋にまつわるような数々のものを展示している博物館だ。そのユニークな展示は日本にも企画展として回ってきたことがあったらしい。博物館というような外観ではなく、中もわりとこじんまりとしていた。受付でチケットを購入すると、ガイドブックを無料で貸し出ししてくれた。5種類以上はあっただろうか。その言語のヴァライティが豊富で、日本語の本も用意されていたのでそちらを貸していただく。中にはこの博物館に関しての説明と、すべての展示物に関するエピソードが書かれていた。展示の内容は実に様々なのだが、クスッと笑ってしまうようなものから、うるっときてしまうようなまるでドラマのようなエピソードに夢中になってしまう。中には日本にゆかりのありそうな展示も数点あり、ここで出会うとはと、その点も面白く感じられた。1時間と少し堪能していたのだが、その間に数組の客が来店しておりザグレブの観光地なんだなと思った。
再び石の門を通ってザグレブ大聖堂に向かってみた。石の門で今回は現地の方に倣って私も椅子に座り、お祈りを捧げてみることにした。私は高校と大学がミッション系だったので、主の祈りを唱えることができる。形だけにはなってしまうが、その言葉と共にここまで来られたお礼とこれからの旅路を思って祈りを唱えてみた。あくまで模倣でしかないその行為でも体験として良かったと思った。ただ、これは教徒にとって冒涜となってしまうのであれば申し訳ないと思うのだが。また、宗教について考え始めると改めて宗教とは不思議、というか日本人、少なくとも私は無神教でもなければ特定の宗教を信仰していないし、聞かれたらブッディズムと答えるしで宗教ってなんなんだろうと思ってしまった。
そんなことを考えつつ、ザグレブ大聖堂に向かい到着した。こちらも修復中らしく、中に入れないし外観も二股の塔の部分が骨組みで覆われてしまっていた。それでもその大きさに興奮し、逆にその修復中の様子を見られたことが面白かった。教会に石が置かれていてきっとこれがこの教会の一部になるのだろうなと考えるとますますその光景に出会えたことがよかったなと思った。前庭は工事中でもしっかりとお手入れがされていた。横には沢山の標識が並んでおり、ザグレブには沢山の観光地があるのだなと
近くにはイェラチッチ広場があるのでそちらにも足を運んでみることにした。こちらは観光客と現地の方とで賑わっている。広場の中にテラス席が設置されており、ここでランチが食べられたらきっと優雅なんだろう。街が小さいとはいえ、見どころがたくさんある場所なのでもっと時間があれば知ることができる魅力があったのだろうなとこの街を離れることが名残惜しく感じてしまう。
12時過ぎにはザグレブを離れるので急いでホステルに戻り駅に向かった。乗り込んだ電車はコンパートメント形式。意外と混んでいたので今回は中国人の男性と確かドイツ出身の青年と相席になった。車窓からは田舎道が続く綺麗な青々とした風景が果てしなく続いていた。彼らとは軽い世間話から会話がスタートしたのだが、話題が徐々に政治や経済というか、難しい話に移行していった。言語は英語で私にも一応理解はできるのだが、その場で改めて自分の意見のなさに気付かされてしまう。そうしたトピックに対して私は何も自分の考えを持っていないのだ。知識もなければしっかりと考えたこともない、毎日をその日暮らしで生きている自分が情けなく思ってしまった。
ドイツ人の青年とは同じ街で降りる。彼は美容師として働いているらしい。先程の議論もそうだが、その自立した自己を持っている彼を羨ましく思ったが、私も私らしく自分のペースで頑張ろうと知的好奇心や勉強意欲が刺激された出会いだった。
私が降り立ったのはスロヴェニアのリュブリャナという街。こちらはザグレブよりももっとこじんまりとした場所だと思う。駅を降りてからホステルまで歩く。道に設置してあるゴミ箱や壁画がこの街の面白さを感じさせてくれる。チェックインを済ませてから早速街を歩くことにした。
リュブリャナには観光地となっている橋が何本か存在する。まずは竜の橋を渡ってお城の方に向かうことにした。市街地から山を登って行った先に築かれているリュブリャナ城へはケーブルカーも通っているのだが、私は歩いて登ることにした。観光地ではあるのだが、その道は山道のような場所もあり、自然を感じながら頂上まで向かうことができた。
辿り着くと、そこには施設への入場チケット売り場があった。既に17:00前になっており、お城の見学は18時までだったので時間を心配されるものの、ここも今日しか時間がない。入場することにした。城内は城壁の中を一周できるような施設になっている。館内には美術館や博物館が内蔵されており、中でも操り人形が目を引いた。リュブリャナではないのだが、操り人形はサウンドオブミュージックで馴染みがあり、実物を見ることが面白かった。実際に自分が操れるコーナーもあったので実感的にその難しさも体験できる。イタリアから旅行に来たという家族に是非披露してくれと即興劇を要求されたのだが、お粗末さまですという寸劇になってしまっていたと思う。それでも実際以上に褒めていただいた。ありがたい。
その他の展示も興味深く、ホルマリン漬けにされているような茎の生えたベビーフェイスが可愛かった。またこれも紐を引くとほっぺが膨らみ口から泡が出てくる仕組み付き。展望台から眺める景色も綺麗だった。意外といったら失礼かもしれないが、それなりの高さのあるビルなど、現代的な建物も多く見受けられる。黄色に光る街の夜景が綺麗だった。
閉館時間になったので山を降りて市街地に向かうことにした。登りの時はついていた街灯がなく、少しブッキーな夜道となっている。こういう時にはスマートフォンのライトが役に立つなと改めて感じていた。
街に降りると観光地は中世の街並みのような古風な雰囲気。一方で三本橋は緑にライトアップされていた。街では聖ニコラス大聖堂に入ってみたり、その街をぶらぶらと歩いてみたりした。フランシスコ会教会もそのピンクの外観が可愛らしい。
夜ご飯にはチェバプチチ、レピニャというスロヴェニア料理を食べに行くことにした。この時はスロヴェニア料理だと思っていたのだが、どうやらバルカン半島全域でお馴染みの料理だったらしい。棒状のハンバーグのようなお肉がピタパンと呼ばれるパンに挟まれている料理なのだが、今後の旅でもお世話になった食べ物である。
店内は混んでいて少し待ってから案内された。コーラとこのチェバプチチ、レピニャを注文した。かなりの量であったが、とても美味しかったので頑張って食べ切った。
最後、お会計時に店員と言葉を交わすと私に興味を持ってくれたので仕事が終わった後に出かけようと誘われた。了承してインスタを交換し店を出た。こうした現地の人との交流が旅の中で割と好きな瞬間である。特に一人旅だと。
ホステルまでの道でまた新たな橋を渡った。肉屋の橋と呼ばれるその橋には大量の鍵が掛けられている。モンマルトルでも、フランクフルトでも見た光景だ。人は何故観光地にこのタイプの鍵を着けるのだろうと思ってしまうのだが、人間の文化は時に結果ではなくその行為に意味を見出す事があるよなと納得しておく。左右がスケルトンの橋の下はこれも緑にライトアップされていて面白かった。
ホステルに戻ると同室の人々が部屋の外の中庭のような場所で語り合っていた。その1人がチェックインした際に言葉を交わしていた人だったので、私もさっそってくれて会話の中に入れてもらうことができた。
トピックは多岐に渡ったのだが、日本出身だというと、とても珍しがられた。日本出身でバックパッカーをしている人がまず珍しいとのこと。私自身が旅が好きなこともあり、周りにはそれなりにバックパッカーをしている人、というか私よりもたくさん旅をしている旅人がいっぱいいたので意外だなと思った。でも確かに日本はパスポートの保有率が低いと嘆いていた旅人がいた気もする。それに、この旅含め、旅先で日本人のバックパッカーに出会ったことがないなと思った。個人的には行きたい人は行けばいいし、行きたくない人というかそこまで興味がない人は旅に出なくてもいいと思っているのだが。
宿での話に戻ると、フランス出身の女の子が私が日本出身だと知ると漫画が大好きで漢字を勉強していると教えてくれた。一つ下の彼女だが、漢字は膨大すぎて覚えるのが大変だけれど、日本人も長い間勉強してやっと覚えるものだから今の自分ができなくても仕方がないと達観していた。大人だなと思う。その時はまだ私が誕生日を迎えていなかったので、同い年、同い年同盟を結んでくれた。
また、30代くらいのイタリア出身の女性が彼女の生き方を伝授してくれる。一時期働いてその後は一定期間旅に出るのだという生粋の旅人である彼女は旅先ではその日をめいいっぱいに生きるのだそう。そう語る彼女の横顔が美しいなと思った。
そのあとスペイン出身の男性がタバコの火を貰いにきてまた話が広がったのだが、場所を移して近くのクラブに行くという。少し興味も湧いたのだが、先程の店員との約束もあったので断ることにした。先約があると断ると男かと詮索され、確かにそうだったので認めると茶化されてしまった。但し、そういうのではないのは先に断っておこう。
お店での仕事は思ったよりも遅く24時までだというので、先にお風呂に入ってから一度仮眠しておくことにした。夜遅いのは苦手なので仕方ない。少し仮眠をしていて若干やらかすのではないかと思っていたのだが、案の定寝過ごしてしまった。午後1時になっていた。
正確な待ち合わせ時間が決まっていたわけではないのだが、そこから連絡を取って実際に会うことになった。彼がご飯を食べてからホステルの前に来てくれ、そのまま街を徘徊しながら話すことにした。彼がボスニア・ヘルツェゴビナ出身であることやレストランでウェイトレスをしているものの、本業は別にあり四駆の車で街を回ってるらしくその内容が楽しそうだった。駅前まで歩き、自販機のコーヒーを買ってくれた。夜の街はとても寒かったのであったまる。どんな話をしたか詳細はそこまで覚えていないのだが、一対一なのもあってかここでは私の考えも述べられたような気がする。ここ数日は完全に1人で行動していることが多かったので、電車やホステルでの人も含め、久々に会話ができて、また最後は出身は隣国とはいえ現地の方にもその土地での暮らしについて聞くことができて楽しかった。
流石に夜も老けてきたということでホステルまで送ってくれて挨拶にハグをして別れた。きっと着ていたパーカーが臭かった気がして申し訳ない。ハーカーは乾くまで時間が乾くので洗濯する機会が限られているのだ。
部屋に着いたが、他のメンバーはまだクラブにいるらしく、誰もいなかった。そのまま眠りにつく。