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これは飴と鞭ですか、のハンガリーはブダペスト。

2023/11/09  ハンガリーブダペスト🇭🇺

悲劇はですね、まだ尾を引いていました。
昨夜遅かったので10時前やっとに目を覚まし、ベットで少しのんびりしていた。そう、パリを出発して以来初めて同じホステルで2泊出来るのだ。もし移動日であればもう既にチェックアウトしていなければいけない時間だなと思いながら観光の作戦を練る事にする。
ホステルなのでWi-Fi良好、インターネットの接続がすいすいだ。そんな中、パリ最終日に一緒に回ったプエルトリコのおじさんから一眼レフで撮影してくれた写真が送られてきた。もう既に結構前の出来事なんだなと改めて今回の旅の長さを実感すると共に、旅が日常になり始めている状況に幸せを感じていた。

ベットを降りて身支度を整える。ここで悲劇が起こったのだ。
開かない。キャリーケースが開かないのである。これまでのパスワードで開けることが出来ない。前後の数字でも開かない。なんでだか分からなさすぎてパニックになってしまった。昨夜もう十分不幸な出来事は受けたではないかと。
スーツケースはダイヤル式のものなので、諦めて数字を1から試す事にした。結果、1時間強の格闘の末、キャリーケースを開ける事に成功した。初めは数字は絶対に合っていると思っていたのですが色んな原因を調べていたのだが、昨夜暗がりの中での作業中に謝って自分で暗証番号を無意識に変更してしまっていたようだった。とても惨めな気持ちだったし午前中の時間を無駄にしてしまったことを悔やんでしまう。まあでも結果開けられたから良かった事にしよう。

既に12時をすぎてしまっていたが、気を取り直して街に繰り出した。初めはブダベストの料理とはなんぞやと気になり、丁度お昼時だったのでレストランに向かう事にする。道中、公園の卓球台やシュールな照明、そして建物の間から見える飛行機雲を発見し清々しい朝だなと散歩を楽しんだ。実際はもう昼なのだが。

席に着く頃には既に13時を回っていたが、店内はそれなりに賑わっていた。各テーブルにはそれぞれ専属のボーイがおり、接客をしてくれるシステムに海外らしさを感じる。ボーイはサービングやらオーダーていくやらで皆忙しなく働いていた。

レストランの内装が綺麗で癒される。案内されたソファー席は座り心地が良くふかふかだった。なんで料理なのかは忘れてしまったのだが、ニョッキの様な食感で、美味しくいただいた。

朝から災難にあったものの、優雅な空間に来る事ができて良かったなと呑気に考えながら、ラテを口に運ぶ。すると、下敷きになっていた紙ナプキンからハートが現れたのだ。これは可愛すぎるしめちゃくちゃ癒されるではないか。

店員さんは割とフレンドリーで、お会計時にレシートに電話番号書いてるから困ったら電話してねと言われましたが、流石にそれは電話しなかったのだが、面白いシステムだと思った。

お店を出てから今度はブダペストカードを購入しに所定の場所へ向かった。迷ってしまったのだが、雑貨屋の店員にカードについて尋ねると、お店の前まで出てどちらの方向か道を案内してくれた。ありがたい。無事お店に辿り着き、24時間パスを無事購入。このカードも複数の施設の入場券と公共交通機関の乗車券が付いている。

ただ、最初に向かった聖イシュトヴァーン大聖堂はこのパスが適応外。別途チケットを購入して入場した。こちらは巨大なクーポらが目を惹くローマ・カトリック教会で、1851年から1905年にかけて建造された建物らしい。横幅55m、奥行87m、高さは96mを誇る規模だけあって、その佇まいはどっしりとしている。

中に入るとその規模と色彩に圧倒させられる。中央の祭壇には金色を背景にした翼を持った人々が描かれているし、ここまで金色を贅沢に使った内装に対してこれまでに訪れた教会とは違う趣が感じられた。また、驚くべきはここに置かれている聖遺物の存在である。そこにはハンガリー初代国王の右手がミイラ化されて収蔵されていた。聖堂の名前も彼の名前であったイシュトヴァーンに由来して付けられているのだが、1038年に彼が亡くなってから実に1000年近い歳月が経過している。彼が亡くなった際に右手だけ切り取られてミイラ化されたらしいのだが、こんなにも長い間受け継がれているとなるとどれだけ大事にされてきたのかと流石に圧倒されてしまった。

展望台は確か一度聖堂の外に出てから建物外側に面している専用のエレベーターを乗り繋いで展望デッキに進む仕様になっていた気がする。それなりに人もいたし私は最後階段を使ったような記憶もあるのだが。いずれにせよエレベーター民も最後は数段の階段を登る構造で、その際にはクーポラの中を見ることが出来た。観光客が訪れる場所なのだが、意外にもここには装飾はされておらず、骨組みが剥き出しになっている。これはこれで個人的には面白かった。

階段を上り切ると外に出てクーポラの周りを一周してみる。観光客も多いのだが、道幅もそれなりに広いのでゆったりと景色を堪能することができた。午後4時前のブダベストの街は既に夕日に照らされており、美しかった。また、聖堂の高さ以上の建造物は見当たらず、遠くの山含めブダベストの街を一望する事が出来た。それもそのはず、この後見に行く事になるのだが、すぐ近くにある国会議事堂も高さは同じく96mであり、両者がブダペストで最も高い建物になっているのだ。これ以上高い建物の建設は禁止されているらしい。96m以下となるとブダベストでは何階建ての建物まで建てられるのか気になるなと思った。何れにせよこの景観を壊すような建築物は建てられないんだろうと思うしその方がありがたいけれど。

道草を食いながら20分くらい歩いただろうか。途中でセチェーニ鎖橋も見ることができた。

国会議事堂に辿り着く。世界遺産に登録されている施設で、観光もできた。チケット売り場は少々分かりにくいのだが手前の広場に地下に降りる階段があり、そこに国会議事堂のチケット売り場兼入場口が見受けられた。しかし、到着時間が遅すぎたようで、入場は締め切られてしまっていた。明日来るように言われたが、きっと時間は取れないだろう。残念だが仕方がない。

諦めて地上に戻ると、国会議事堂がライトアップされていた。なかなかに綺麗である。しばらくの間眺めていると、国会議事堂に掲げられていた旗を下ろす儀式みたいなものを偶然にも鑑賞することが出来た。

これはこれでラッキーだったということで名残惜しくも国会議事堂を後にした。一度ホステルへ戻り、身支度を整える。次なる目的地は、そうハンガリーといえばのセチェーニ温泉である。ハンガリーの温泉文化は有名なので、ここに来たら絶対に温泉に行こうと思っていたのだが、チャンスは今日の夜しかない。他の温泉施設もたくさん存在するのでネットの情報を参考に色々吟味していたのだが、やはり一つしか行けないのであれば一番有名なセチェーニ温泉に決めたのだ。ホステルからは少し離れていたのでバスに乗って向かう事にした。

温泉が広すぎて温泉の建物にはすぐに辿り着くも、どこが入り口なのか迷ってしまった。また、セチェーニ温泉は午後8時までの営業だったのだが、到着したのは7時前と割と時間がない。なんとか入り口に辿り着く。

受付の人にももうすぐ営業終了時間だけどいいのかと聞かれたが、構わないと思い、チケットを購入して中に入った。目の前にあの、写真でよく見ていた温泉の風景が飛び込んできた。美しい。チケットの種類が複数あり、専用更衣室を使えるチケットがある人は一階にその部屋を持っていた。私はもちろん最安値のチケットを選択している。受付でもらった鍵の番号を頼りに地下の女子専用更衣室で着替えを済ませてからの入浴準備を済ませた。私はバックパッカーの必需品である水着は常に保持している。しかし、荷物削減のためにラッシュガードは持っていなかったので写真を見返すと代わりに登山用のインナーであるジオラインを着ているという自分の心の強さに我ながら感服する。

そんなことはさておき、いよいよ久々の湯船である。皆水着で混浴だし温泉の温度は温めなので、温泉というよりも実際は温水プールのような感じなのだが、日本を出てからずっとシャワーのみだったので久々にお湯につかれただけで幸せな気分になる。日本のそれとは違くてもお湯に浸かることができるのはいいものだ。やっぱり湯船には浸かりたいよなと日本での生活がいかにいいものかを実感させられてしまった。
ただ、問題なのはセチェーニ温泉は言うなれば陽キャの溜まり場であり、決して1人で来るべき所ではないという点を注意しておく。もしかしたら時間帯もあるのかもしれないが、1人でゆっくりと浸かるというものではなく、みんなでわいわい遊ぶというような雰囲気の温泉フロアに1人はそれなりに惨めではあるのだ。ただ、もう旅先だしということで私は開き直り、もうどう思われても関係ないし場違いでも知ったことはないと思い直して、楽しそうだった流れるプールスペースにもトライしてきた。自分だけ1人だなという気持ちは消えないものの、童心に帰って楽しむもがやっぱり一番だと確信した。

建物の中にも温泉があるということで場所を移す。濡れた身体で外気に触れるのは11月初めのこの時期としては割ときつかった。中の温泉はとても広く、部屋がいくつも繋がっているような仕様。各バスタブによってお湯の温度も異なるようだった。人もそれなりに多いのだが、何せ温泉の数が多すぎて1人で広大な湯船を独り占めできた。まあ結局あったかい所を求めて行ったら複数人とシェアだし広いので一緒の場所でも全然問題なくくつろげるのだが。

閉館時間まで最後まで堪能し、着替えを済ませる。意外と1時間でも満足出来るものだなと思った。ただ、余裕を持って上がったつもりだったのだが、備え付けのドライヤーの威力が弱すぎる。最後は急かされるようにして更衣室を後にした。最後トイレに行きたかったので入ろうとすると係員に止められ、フロントの方のトイレを使いなさいと言われてしまった。目の前なのにと思いつつも、結果借りられたことがありがたい。それに、これだけ広大な温泉施設から人を全員出すというのはとても大変な仕事だなと思った。

温泉の周りは公園のような場所になっているのだが、そこを散策しつつ、次の目的地へ歩を進める。その道中に運良く英雄広場も観光できた。近くには美術館もある。もちろん既に閉館時間になっているので入館はできない。しかし、この旅では訪れる時間が取れないと思っていたので外観だけでも拝めて良かったと思った。

そして目的地であったレストランに到着。店内は混んでおり、どのくらいになるか分からないが待っていてもいいと言われた。私が入ったすぐ後にぞれぞれ2人と6人ほどの2組のグループが入店していたのだが、店内は忙しそうで待つ人の対応は後回し。私が一番先に入ったのに店員がやっと捕まったという段階で名前記帳が始められ、その声をかけた順番が並列の順番となった。列という概念がないので3組中で私が一番遅くなるという理不尽さに少し悔しかったのを覚えている。他の店員も私のことを認識していたはずなのにと若干の憤りを覚えてしまったが仕方ない。それに私直前に入った二組はすぐに案内されたのだが、私の番はなかなかやってこないことが割と不運であった。結果として40分くらいは待っただろうか。その間に私の後にも数人の客が待機しており、次の人が二人組だったので私が座っていた2人がけの席を譲ってあげた。そしてさらに酷いことに、店員は私よりも先にその2人がけの椅子に座っていた人を先にテーブルに案内したのである。これには恩を仇で返されたような絶望を感じた。ただ幸いにもその後すぐに私も案内され、席に座る。
不満を語りすぎてしまったが、そうまでして食べたかったのはフォアグラであった。ブダペストはフォアグラが有名らしく、比較的安価に食べられるとのことで有名なレストランを調べてやってきたのである。残念な思いを感じつつも仕方がないなと切り替えて注文をした。
あまりフォアグラを食べた記憶がないもので、どんな味か知らなかったのだが、食べてみてそのおいしさに先ほどの不満は忘れてしまおうと思った。ここに綴ってはいるのだが。
しかしあまりにも量が多すぎる。そしてなかなかに脂っこいので最後の方は食べ切るのが大変だった。りんごの存在がありがたい。せっかくなのでとフォアグラは頑張って食べ切ったのだが、ご飯は残してしまった気がする。

食べすぎてしまったので、徒歩で街を散策しがてら帰路についた。ブダペストの街は面白い。

宿に着いた時にはすでに23時をすぎていたので、水着を干してから直ぐに就寝した。


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