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いつOrchestra Fontanaは始まったのか?

執筆者:Orchestra Fontana代表

はじめに

我々、Orchestra Fontana(オーケストラフォンターナ)は『アマチュア』の所謂『企画オーケストラ』である。

『企画オーケストラ』が『いつ始まったのか?』と問いに答えることは、非常に難しい。

企画され、人が集まり、音を出し、本番を迎える。
その、どこが「始まり」と言えるのか。

明日に本番を控えた今、これまでを遡りながら振り返り、いつOrchestra Fontanaが始まったのか、考えたいと思う。

いつ始まったのか?

最も直近で言えば、「昨日」なのではないか。
この三連休に、練習・練習・本番という流れを踏んでいるが、昨日はその初日であった。
これまでの全ては、この怒涛の3日間のためにあった。
遂に始まったという感覚と、遂に終わるという感覚が半々の妙な感じだった。

オーケストラにとって、人が全てである。
とすれば、この団体の始まりは「一ヶ月前」かもしれない。
一ヶ月前の福岡練習で、はじめて全国のメンバーが福岡に集まり、本番指揮の尾崎先生を迎えた。
80人以上の年の離れたメンバーが一同に会し、尾崎先生は、その景色を「夢のような光景だね」と仰っていた。
私はそれを聞いて、ついにOrchestra Fontanaは始まったんだなと実感した。

「四ヶ月前」に東京練習、福岡練習が開始した。
この時が、Orchestra Fontanaがはじめて楽器から音を出した瞬間だった。
この団体は、コンセプトの一つに「再会」をあげていた。
とすれば、東京と福岡の其々であがった「久しぶり」という言葉が、この団体の初声だったかもしれない。

「一年前」に、この団体は世間に名前と演奏会情報を公開し、noteの週刊連載を開始した。
毎週、一つの記事を投稿するという無謀な企画は、「このオケの人、すげえ人ばっかりなんだぜ」と自慢したいという私の酷く個人的なエゴイズムによって始まった。
マニアックな記事も多く、毎週読んでいただいている読者には、この目論見が伝わっていたことだろうと思う。
はじめは無謀に思えた企画だったが、この記事をもって無事達成することができた。

去年の6月。即ち「一年と四ヶ月前」
私が「OBを集めて、尾崎先生でもう一回演奏会がしたい」とはじめて口にしたのはこの時だった。
神戸で、尾崎先生のコンサートを聴きに、OBが集まっていた。
演奏会が終演してすぐ。私の「ずっとやりたかったことがあったんだけどさ」という言葉に、コールアングレ吹きの同期は笑いながら「いいね」と言った。
その眉間にシワが寄っていれば、「いや冗談、冗談」と全て無かったことになったかもしれない。
新大阪の呑み屋で尾崎先生へのメールを打ち、好意的な反応が返ってきた時のビールの味は忘れられない。
それからは、とんとん拍子だった。
執行部メンバーが決まった。団体名が決まった。参加者が集まってきた。
一つ一つのことが決まるたびに、「もう引き返せないな」と身が引き締まるとともに、気持ちは昂っていた。

「五年前」は、私はまだ学生だった。
この団体の構想自体は、既に頭の中に描かれていた。
毎年卒業していく先輩たちと、毎年入学してくる新入生が一同に介せば、どれほどのものが生まれるだろうかという妄想は年を追うごとに強くなっていた。
もしその機会があれば、不躾ながらも「尾崎先生にプログラムを決めてもらいたい」という思いもあった。

不躾なアイデアの発端は「八年前」にある。
私が尾崎先生と初めてお会いした時のことである。
所属していた大学オーケストラの演奏会で指揮を振っていただくことになった。
楽器をはじめて二年目で、そこまで多くの指揮者を見たことがあったわけでもないが、私は生み出されていく音楽とその格好良さに衝撃を覚えた。
演奏会本番直前、興味本位で「今度共演する機会があったら、曲は何が良いですか?」とお聞きした。即答で「ショスタコーヴィチの10番」だった。
この時のことを、いつまでも覚えているのは何かを予感していたのかもしれない。

個人的なきっかけをあげていけば、キリがない。
私がビールを片手に、チェロ弾きの同期の家に「最高の曲みつけた!ショス10の二楽章!」と突撃しにいったのは、いつのことだったか。
ほんのちょっとしたことの積み重ねが、この団体の発足のきっかけとなった。
そのどれか一つを「始まり」と断定することは難しい。

では、いつOrchestra Fontanaは始まったのか?

実は、まだ始まっちゃいないんじゃないだろうか。

「明日」、この団体は本番を迎える。
Orchestra Fontanaは、まだ一音も人前で演奏したことがない。
明日の午後になって、ようやくこの団体は始まるのではないだろうか。

「オーケストラはコスパが悪い」と聞いたことがある。
確かに、その通りだと思う。
特に我々アマチュアは、たった一小節、一音のために何週間も何ヶ月も練習したりする。しかし、それも本番になってしまえば、ほんの数秒で終わってしまい、もう二度と返ってこない。
数年越しの思いも、たった2時間程度の演奏会で終わってしまう。
なんと儚いものだろうか。

明日、Orchestra Fontanaは始まり、明日、Orchestra Fontanaは終わる。
たった2時間程度の演奏会ではあるが、是非、Orchestra Fontanaの始まりと終わりを見届けていただきたい。

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