「君たちはどう生きるか」感想(ネタバレ含)
公開前に情報が全く開示されずに話題となった宮崎駿監督最新作を見てきました。感想を殴り書きで置いておきます。考察とかはしてないです。
まず前置きとして。私は元々ジブリや宮崎駿のファンという訳ではなく、むしろ親がジブリ嫌いという家で育ったので、大人になって自分で見るまでは好意的でなかったというかそもそもほとんど通して作品を見たことがない状態でした。大人になってからも、「風立ちぬ」を劇場で観たり「となりのトトロ」や「天空の城ラピュタ」をDVDで観たりしたけど、めちゃくちゃ好きって訳ではなかった。しかし、嫌いという訳でもなかった。私としては、みんなが大好きジブリは名作と呼ばれる本を読む感覚に近い。
そんななか、見ていないものを言及することはできないし、あのポスターの鳥に目が4つあるのが気になったり、少しずつ周囲からネタバレされていく感じが何となく嫌で、自分で映画館に観に行くことにした。
ここから、ネタバレを含む感想です。
まず、私が残念ながらネタバレとして聞いていたのは「戦時中の話らしい」ということ。これも知らずに見たかった。でも知っていたからか、最初の時代背景には気持ちが早くついていけたような気はする。
しかし前半はとても退屈だった。本音を言うと、恐ろしいことに、ずっと「ビール飲みたいな」と考えていた。
火事で母親を亡くし、父親と引っ越す。そして父親の再婚相手となる母の妹と出会う。この母の妹のことを、「お父さんの好きな人」とずっと呼ぶなど、ちょっと不思議な感覚があった。会ったことを覚えていなかったとしても、元々の関係としては叔母な訳なのによそよそしい。ずっとお母さんを亡くした時の夢を見るしそれで泣くが、眞人はお母さんが大好きで寂しいし、お父さんが新しいお母さんを迎えるなんて心底信じられない、なんなら嫌悪感もあるのだろう。引っ越した夜に父親と母の妹(夏子)のキスを見てしまうシーンからもそれが窺える。
眞人たちは戦時中だが裕福な方だ。転入した学校に車で乗り付けるのを提案するなど、父親が見栄っ張りというか金持ちの嫌な振る舞いをする。眞人は同級生から暴力を振るわれるが、それに対してちゃんと反抗する。服が汚れ、傷はきっと擦り傷くらいで済んでいるだろうに、帰り道、いきなり意志で自分の頭を殴り、大量出血する。父親は「誰にやられたんだ」と言う。そりゃそうか。それにしても迷惑な親子だと思った。戦時中の貧富の差とかはよくわからないけど、全然切羽詰まった感じはしない。
さて、それと並行して、出てくる厄介なのがアオサギ。こいつがまさかの気持ち悪さなのだ笑。菅田将暉が演じていたと知ってびっくりした。声が余計に気持ち悪い!笑 アオサギがなぜあんなに眞人に構うのか、謎に思うし、最後まで見ても謎ではある。あの塔に呼び込みたかったようだが、それは塔にいる大叔父さんの意志なのか?(もしかしたら見逃しているかも)そのわりには、アオサギと大叔父さんは仲間には見えないし。
さて、この映画で私が好きなキャラクターは、キリコとヒミ。キリコが出てきたあたり、下の世界に行ってから、この映画はあっという間に感じた。
キリコは最初男か女かわからんような女漁師だ。ペリカンが門を押し開けて、墓に入ってしまった時にそれを鎮めてくれる。後で出てこないが、この墓とはなんなのか。誰の墓なのか。意味ありげなのに全く触れられず終わる。死のメタファー?っぽいけど。下の世界は死人の方が多いらしいが。そういえば塔の周りを建設した時にたくさん死人が出たとか言ってたりもしたね。
キリコの家に、お屋敷のばあや(お手伝いさん)たちの人形が置いてあったのが、ドキッと感動した。違う世界だけど、繋がっている世界だと思った。私は小さい頃よく寝ている時白目をむいていたり変な寝言を言ったりしていたらしく、そんな時母親に「あっちの世界に行ってる」と言われていた。もちろん私にはその時の記憶がないのだけれど、なんとなく、きっと、お父さんお母さんのおじいちゃんおばあちゃんとかに会っているのかもしれないなと思ったことがある。その感覚を思い出した。これって子供の時しか行けない世界なのかもしれないね。
ヒミは、純粋に話し方とかかわいかった。ジブリのキャラでわざとらしいなと思わず可愛いと思ったのは割と初めてかも。あとで知ったが、この声優はあいみょんだったらしい。すごいな…。
さてヒミは不思議だ。ヒミは自分が眞人のお母さんになるということを知っている。その話を聞いて私は、ヒミは眞人のお母さんが子供の頃に塔で消えて1年後に帰ってきた、あの時の少女なんだと悟る。少女が同い年くらいの男の子に、「あなたのお母さんになる」みたいなことを言うのが、なんとも言えない感情。あえて言うならば、宮崎駿映画は女性に母性を求めがちだとなんだか思ってしまうことがある。そういうのを感じた。ヒミは強い、というが、心が強いのだ。私はもっとヒミを見ていたかった。火事で死ぬ前の眞人のお母さんを見たかった。どんな女性だったのだろう。
夏子があの世界に来て、帰りたくないというのはなぜだったのか。眞人に受け入れられなかったのが、そんなに辛かったのだろうか。私はあえて、そんなことではなく、妊婦であるので、わらわらのいる世界に来たのではないかと考えてみたりする。わらわらは人間として生まれる存在だ。まあ、夏子が眞人に戸惑っていたのはその通りだろう。眞人は頭を怪我してきたり、家から出て塔に行っていたり、なかなか扱いに困る。口も大してきいてくれない。父親の再婚相手をすぐに受け入れられないのはわからなくはないけれど。私は眞人が何歳くらいなのかが気になった。見た目や声に反して、行動が幼いような気がしたのだ。それは母を亡くしたせいなのだろうか。
あっちの世界で産屋に入った時、眞人は「夏子お母さん」と呼ぶ。それがなんだか唐突のように感じた。夏子お母さんと呼ぶまでの心の葛藤があったのだろう。
積み木をしている大叔父さんは、宮崎駿自身だ、と私は思った。後継者を探していて、眞人に打診する。宮崎駿は引退を宣言していたし、後継者が欲しかったのではないか。その一方で、自分の後を継ぐようなものづくりではなく、自分のやりたいことをやってくれ、というメッセージを感じる。最初は身近な人に対して?と思ったけど、これを映画にしたのだ。日本の、世界の、アニメーター、いや、クリエイターに向けたものかもしれない。
話を戻すと、眞人は冒頭から、キリコとの冒険などを経て、かなり成長している。どの世界で生きるも自由、本人が決めたこと。途中で元の世界にヒミと逃げ込んだ時、ヒミがあっけらかんとして「このドアを離せば、元の世界に帰れるぞ」という。それでも眞人は夏子を探しにあっちの世界に戻る。そうやって、自分で決めていく。それまでの現実の眞人は、まだ自分で決める経験が少なかったのだろう。戦時中だし、母が死んで父についていき引っ越すことになり、転入するのも、自分で選んだことではない。自分で選んだのは、自身で頭を殴って学校を休むことだった。そんな眞人が、どう付き合ったらよいかわからなかった、なんなら多分ちょっと嫌悪感のあった夏子を探しに行くことを選んだ。
最後ヒミとの別れはちょっと泣けた。ヒミからしたら、(ヒミがあの世界から戻ったら)母親になってまた眞人に会える。でも、眞人からしたら、ヒミと別れたらお母さんはもう死んでいるから会えない。あの場面で、たぶん、眞人はお母さん離れをして大人になっていったのだと思う。もちろんお母さんのことは好きだろうけど、お母さんを思って泣くことはなくなったのだと思う。
さて、最後はどうでもいいのだが――眞人のポケットに入っていたキリコの人形がキリコおばさんに戻る描写がある。あっちの世界に入ったおばさん、あっちの世界で何してるんだろう?笑 キリコになってたってこと?わからん。
今までのジブリ映画がストーリーとしてつくられているとしたら、こちらは純文学のように感じた。ストーリー重視ではなく、感じたことや思い描いた世界を映像化してなおかつストーリーも入れ込んだ…のだろうか。ストーリー重視の人からしたら面白くないのだろうけど、私はよくあっちの世界に行っていたからか、後半はかなりすんなり見ることができて、面白かった。
以上!私がこの映画を観て思った感想はこちら。
死んだ人や出会った人とは今もどこかでつながっている。
「君たちはどう生きるか」→自分で選んだ生き方を生きるしかない。
自分で選んだ生き方が正解で、それは他者のだれにも侵害されないもの。自分の世界・幸せを選ぶ権利があるということ。(世界の秩序を保つ役割のほうが重要に思えるが、それを断り自分の世界で生きていくことを選んだ。それは世界から見たら間違っているように見えるかもしれないが、その選択は眞人が選んだ大事な選択であり、侵害されることはない)
こうやって、考察でなくて、色々な感想を受け取れる作品であったことは楽しくうれしいことだ。それぞれ見た人によって何を受け取っているかが違うだろう。考察したら日本神話とかある文学作品のオマージュとかいろいろでてくるようだけど、最初のイメージで受け取った感想こそ尊いともう。