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酒クズから考える自己認識/ガマンの鎧

何度も同じことを書いているかもしれないなあとか、うまい文章を書かないとなあとか思うと恥ずかしくて書けなくなる。仕事で原稿を書いて真っ赤になって返ってきていた日々も遠い昔になってきて、上達どころか自分の文章力の低下さえ感じる。そもそも文章を書くのが好きだったのか、そんなことも忘れてしまっていた。

本や雑誌を読むことより、ラジオやポッドキャストを聞くことが増えた。これは実家暮らしから一人暮らしにライフスタイルが変化したからだと思われる。誰かの話声を聞きたいときというのはあるものだ。「となりの雑談」という、ジェーン・スーと桜林直子(サクちゃん)のポッドキャストをよく聞くようになり、そこからジェーン・スーさんの「生活は踊る」など他のラジオやポッドキャストも聞くようになった。雑談は楽しい。雑談が好きだ、そう思う。二人はお互いの意見を述べ、お互いのわからないところをわかろうと話をしていくのがとても良い。片方に意見が寄らない、お互いが対等の雑談。

人に会いたいのは、雑談が好きだからだと思う。ただ大人数の飲み会だと雑談というより最大公約数の話をするから話が上辺になる気がして、少人数の雑談(特に一対一)を好んでしまう。初対面の人との新鮮な会話も好きだが、最近はそこまでエネルギーがなくなっている気がする。

「こうなりたい」「こうであるべきだ」ものが多くて疲れているのは、「現状の自分」をきちんと認識して肯定していないからに思えてきた。先輩と酒を飲んで雑談していた時に、「酒クズである自分を肯定しろ」という話が出た。あまりの鋭さに一瞬凹んだが、時間が経つにつれ、私は酒に限らず自分のことを正しく把握していないよなと思えてきた。私に関わる他人の方が私のことがよくわかっていると思う時がある。「○○だよね」と言われた時に、「なんでわかるの!?占い?」とまで思ってしまうことがある。とにかく自分の言動や感情に自覚がないのだ。恐ろしい。客観も主観もできていないということか?現状の自分を把握していないと、理想があったとしてもその差異が測れないから詰められないのだろう。だから、まず自分が酒クズを自覚することがその一歩だと思ったのである。

そもそも自分の感情を把握していない、という問題にはこの半年ほど付き合ってきた。大体怒りや悲しみは遅れてやってくるし、モヤモヤしている時にそれが何の感情由来なのかわかっていない時がある。寂しいとか怒りとか悔しいとか、そういうのをきちんと認めていない。

先日、前述の桜林直子氏の著書『世界は夢組と叶え組でできている』を読んだ。その中に「我慢」の話が出てくる。下記のnoteの内容だと思う。

どういうわけか「自分はガマンしないといけない」という考えが前提にあった。だから、自分がなんか嫌だなと思うことも、誰かに傷つけられることも、向いていない仕事も、「しかたがない」と諦めてガマンしていた。

https://note.com/sac_ring/n/n2e2c0f29de49

自分を肯定するには「ガマンしない」であるところを、「ガマンしている自分」のまま肯定しようとしていた。

https://note.com/sac_ring/n/n2e2c0f29de49

奇しくも、いや必然なのか、私も30になる年で「ガマンの鎧を着ている人」だと気付いた。

話が逸れるが、30歳という年に私は恐怖があった。それはパワハラが酷かったかつての上司が、30歳になる年の女だったからだ。30歳までに結婚したいがために結婚し、半年ほどで離婚した彼女がとてつもなく怖かった。褒められるのも怒られるのも怖かった。人の悪口を聞かされて比べられて褒められるのが、新卒1年目の初心な私には恐怖だった。

だからこそ、自分はどんな30歳になるか、ということをやたら無意識のうちに考えていた気がする。30歳は恐怖の年齢という気さえした。

新卒当時の私は「ガマン」だけだった。新卒なんてみんなそんなもん、と思うかもしれない、と予防線を張ってしまうところも私の肯定してあげられないところが滲み出ている。その「ガマン」=社会人、が身についてしまっているような気がする。

30歳の誕生日がもうすぐやってくる。私は、この誕生日に呪いが解けるような予感がする。早く30になりたいと実は思っている。早く記憶の中のアイツを超えたい。そして安心したい。

そんなガマンの私をやめないと、自分の本体が見えないんだろう。サクちゃんが言うように鎧なのだとしたら、鎧の中の自分の輪郭を隠していて自分でも見えないのだから。

酒クズだと思われたくないとか、他人に褒められたいがために奏でる音楽とか、そういうガマンを取っ払っていこう。別に酒クズでもいいし、他人に褒められなくたっていい。でも、他人に褒められたいと思っている自分のためには音楽をやってもいい。

ガマンをやめるってどういうことかを考える。先輩に頼ってしまう私も、急に人を呼び出して飲みに誘う私も、全部私がやりたいようにやっているんだから、中身が空っぽなまま反省しなくていい。本当にやりたくないことなら、やめればいい。そういうことだろうか。私は好きな人たちをこれからも飲みに誘うし、一人で好きな場所に飲みに行くよ。酒クズだから。

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