W4D1 故郷の置き土産-고향에 둔 선물
聖母大学の敷地のはずれにある国際交流会館。
この中でルナの所属している国際交流サークル「Bada」の言語エクスチェンジの授業が行われていた。
ルナは韓国語を教え、直也は日本語を教えることとなっているのだが、ルナはほとんど日本語を間違えることがない。
そのことがなんともうらやましいと思う反面、自分には彼女のためにできることはあるのだろうか、と考えてしまう。
彼女は学業も優秀だから勉強を教えることだってないし、なんだったら教わる経験ばかりだ。
日本の文化事情も並みの日本人程度には知っている。
そうでなければ自分の趣味の話にはなるだろうが、自分の趣味である電車趣味など、果たして彼女は付き合ってくれるだろうか。
そのことを気にしていると、ルナの話が少しずつ遠くなっていく。
「한국어로 말을 놓을 때엔.... 난 괜찮은데, 상대에게 여쭤보는게 좋겠어(韓国語でため口をきくときは……相手に聞いた方がいい)」
ルナは言うと直也を見る。
そして軽く息を吐くと、「나오(なお)」と言葉をいう。
直也は少しばかり慌てた様子でルナを見ると、「뭡니까?(何でしょうか)」と問う。
「뭡니까가 뭐야. 하아.... 됐어.(何ですかって……はぁ……いい)」
少しばかり韓国語であきれた様子で言うと、ルナは直也の目をじっと凝視する。
「뭐가 반말로 말을 해봐. 뭐든지 되거든(なんか韓国語で言ってみてくれ。何でもいい)」ルナは言う。
直也は少しばかり考え、ちょっとしたいたずらをしてみることにした。
少しばかり当惑した姿を見たいと思った。
「오늘 밤, 같이 츠루미 선 타(今日の夜、一緒に鶴見線に乗ろう)」
直也は言うと、ルナを見る。ルナは「まぁ、いいか」と一言いうと、直也の発音や文法のミスを逐一直していった。
授業が終わると、直也は改めて「一緒に鶴見線に乗ってみないか」と話をしてみる。
ルナは不思議そうに直也を見る。
「電車に一緒に乗るって、何かあったのか?」
「そんなことないさ」直也が言う。
「お前、電車が好きだったのか?」
ルナの言葉に、直也は「そうだよ」という。
ルナはへぇ、というと、直也を見た。
「鶴見線、っていうのはよく知らないが、お前が勧めるってことはそれなりに面白いものなのだろう」ルナは言う。
改めてルナに同伴を確認すると、「いいだろう」と二つ返事で誘いを受けた。
直也は南武線の車内で軽く鶴見線の見どころをレクチャーする。
国道駅はノスタルジーあふれる場所であること、鶴見駅には帰国事業で帰った在日コリアンの人の遺した時計があること、最終目的地の海芝浦駅では重電メーカーの社員以外降りることができないかわりに、とてもきれいに海がみられること。
特にルナには鶴見駅の時計と、海芝浦駅の海が気になるようだった。
ルナは「僕たちの同胞がどうなったか、今ではわからない。ただ、彼らは間違いなく夢を見たのだろう。そんな気持ちがきっとあるのだろうな」というと、顔を落としてはにかんだ
鶴見駅について、改札をすませ、4番ホームへ。
ホームを少し歩いたところに、ルナたちのお目当ての時計はあった。
「皆さんお元気で」と書かれた、少し黒ずんだプレート。
そこには北朝鮮への帰国事業からの長い年月が刻まれていた。
ルナはその前に立ち止まり、じっと考える。
ルナは一人、今まで自分が学習してきた「日本の同胞」について思いを巡らせているようだった。
まるで味わうように、時々手を触れながら。
十分ほど手を振れていると、ルナは「なぁ、直也」と言う。
「どうしたんだい」というと、ルナはゆっくりと呼吸をする。
「もしお前が新天地に行けたとしたら、今までの土地にはどんなものを残すだろうか」
ルナは言う。
「どうしたんだい?」直也は言う。すると、ルナはゆっくりと呼吸をする。
「僕はかつて自分のいた場所を地獄だと思っていた。日本に来ればすべて解決して、僕は機会とか、そういうものに恵まれるんじゃないかって思ったんだ」
ルナは言うと、一歩時計から離れる。
「確かに、昔よりかは生活は楽かもしれない。仕事も日本はまだ僕たちの国に比べれば選べる。でも……」
ルナは言うと、自分の身体を見た。
体中に刻まれた、無数の傷。
それらは日本に来てからつけられたものだ。
そしてその器の中には自分のものではない、不自然な自然が詰まっている。
それをルナは、否定することができない。
楽園だと思っていた場所で、今は取り返しのつかないものになってしまった。
その悲しみを、ルナはそっと感じていると話す。
直也はその言葉に、なんと話していいのか、見当もつかなかった。
直也は少し、遠くを見て、ふと考えの渦に自分を投げ込む。
そもそも、北朝鮮へと渡った彼らは幸せなのだろうか。
夢とも、地獄ともいわれるかの地。
データの上では貧しく、報道の上ではこの世の地獄を集めたような場所であるらしい。
でも、その詳細は、自分は何も知らない。
そして、ルナの悲しみも、結局自分は伝聞のなかで作ってしまったものである気がする。
彼女は痛いのだと思う。
しかし、その痛みをリアルに感じることは、自分にはできていない。
そんな中でも自分を頼ってくれることは、彼女に認められているということなのかもしれない。
「ねぇ、ルナ」直也は言う。ルナはじっと時計を見つつ、「何だ」と興味を示す。
「これからも、よろしくね」直也が言う。
ルナは少し戸惑った様子で直也を見たが、すぐに肩をすくめる。
その意味は理解できなかったが、きっと彼女なりの肯定表現なのだろうと、笑顔で受け取った。