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人の幸せを喜べるか
ドラえもんの感動できる話の一つとして、よく取り上げられるのが、『のび太の結婚前夜』という話だ。
そこで、しずかちゃんは、自分がお嫁に行くと父親が寂しくなるだろうから、やっぱり結婚をやめるという。それに対し、しずかちゃんのお父さんは、これまでのしずかちゃんとの思い出を語り、また結婚相手であるのび太くんについて
「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね」
と評している。
幼い頃に、テレビ番組とかでこのシーンが特集されているのを見て、あんまり共感できなかったのを覚えてる。
そもそも結婚というテーマが、縁遠いものだったし(ならいま縁遠くないのかと言われれば、決してそんなことはないけれど)、何より、誰かの幸せを喜んだり、悲しみを分かち合うことは当たり前だと思っていたからだ。
大人になった今、振り返ってみて、それがいかに難しいことかと強く思う。
誰かの幸せを素直に喜ぶことができないことがある。
嫌いなあいつは不幸な目にあえばいいのにと思うことがある。
例えば、
wi-fi繋がってるところで動画見てたらうまく繋がってなくてデータ通信量めっちゃ食うとか、
捕まえたカメムシ逃がそうとして窓開けたら、逆に2匹入ってくるとか、
ミルがないからコーヒー粉で買ったと思ったら実は豆だったとか
死ねばいいのに、とまで思わないにしても、そういう目にあえばいいのにと思ってしまう。
周りにいる人が敵ばかりに見えてしまうのだ。
好きな人/なんでもない人/嫌いな人
ではなく
好きな人/関わりたくない人/嫌いな人
くらいでしか周りを分類できない。
自分は、好きな人の幸福しか願えない。
世の中の人は、他人の幸福を手放しで喜べるのだろうか。