「カメ」になりたい
「自分を動物に例えると何ですか?」
この前後輩に聞かれた。
何だこの質問は。その質問を通して私に何を聞きたいのか。
じゃあ、君は何だと思うの?と聞き返すと
「うさぎです。寂しいの無理なんです〜」と言われた。
「知ってる?うさぎって一回目の自分の糞食べるらしいよ」と教えてあげた。
「先輩、そういうとこ嫌われるから直した方がいいですよ。」と言われてしまった。
全くもってその通りである。
自分を動物に例えると何だろうか。出た答えが「カメ」である。
カメからしたら嬉しくもなんともないだろうが、外敵から襲われた時に、甲羅にこもるところなんかが最高だ。
私も背中に分厚い甲羅がほしい。
ウサギとカメという童話を思い出す。
ウサギとカメが、どちらが早いかかけっこで競争する。
大きくリードしたウサギは途中で休憩をし、その間にカメが先にゴールしてしまうという話だ。
この童話の教訓は、ウサギ側からは油断禁物、カメ側からは努力すれば自分よりすごい人を追い抜くことができるというところだろう。
しかし現実には、途中で休憩をするウサギと、歩みを止めないカメ以外に、歩みを止めないウサギと、途中で休憩を挟むカメがいる。
私はきっと、途中で休憩を挟むカメだろう。
先に進んで休んでる人を見て、自分も休んじゃおと思うに違いない。
休んでる人がいなくても、どうせ追いつけないならと休んでしまうだろう。
2年前、夏祭りで「カメすくい」という出店があった。
金魚じゃなくてカメなことに驚いて、やってみることにした。
家庭用の流しそうめん機の入れ物にカメがたくさんいた。
流れはなかったけど、たくさんいすぎて逆に狙いを定めづらかったのを覚えている。
私は2匹のカメをすくった。出店のおじさんはなぜか1匹しかくれなかった。
そのあと3000円くらいする水槽を買い、河川敷でひろった砂利を敷きつめ、餌を買って育てた。秋になり寒くなってきたらヒーターもつけてあげた。
冬になったある日、ピクリとも動かなくなっていた。私はとても悲しい気持ちで庭にお墓をつくった。
あとから知ったのだが、カメは冬になると冬眠する個体もいるらしい。
もしかしたらあのカメは冬眠していただけかもしれない。
それを知っていたら、もしかしたらと、春まで待っていただろう。
休憩していただけかもしれないカメを私が土に埋めてしまった。
もう少し見守ってあげれたらよかった。
カメすくいならぬカメ救いだな、と思いながら私の元に来たカメを私が殺してしまったのかもしれない。
私の元へ来なかったの方のカメが、もしかしたら生きながらえてたのかもしれないと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
冬が来ると思い出す。
まだ1/3も減ってない餌と、空っぽになった水槽を見ると思い出す。
私が殺したのは、休んでいた私だったかもしれない。
そんな行き過ぎたことまで思ってしまう。
もしかしたら川近くの家だったから、春が来て暖かくなって、ウミガメのように土から出て、川に出て行ったかもしれない。
お墓を掘り起こして確かめるなんて無粋な真似はしないけれど、そうだったらいいのにと願うばかりだ。