『怪談牡丹燈籠』全編語りは、超大作クソゲークリアに挑むがごとし
この度、『怪談牡丹燈籠』全編を通しで語る配信をやることにしたんですが……この配信、誰も見向きもしないクソゲーをクリアするまで続ける配信と同じだ、って思うんです。自分でやろうと思っておきながら。
しかもただのクソゲーじゃない。超大作でクリアにやたら時間がかかる。そのゲームをやろうって思ったわけが、またくだらない。ただ「やらないと気が済まなくなったから」って、それだけなんですから。
1.気になったのが因果
そもそもこんな手間のかかることやろうと思ったそのきっかけはてと……いつだったのか自分でもよく覚えてない。とにかく、『怪談牡丹燈籠』の全編通しの語りがないか、探したところから始まったんです、たしか。
で、探し回った結果わかったのは、プロの噺家さんがやってる全編通しってのはないってこと。一番量が多いもので、六代目三遊亭円生の『圓生百席』シリーズ四六、四七巻収録の四編(1お露と新三郎、2御札はがし、3栗橋宿・おみね殺し、4栗橋宿・関口屋強請)。要約して話を詰めているんですが、それでも全体の半分未満です。
それから後に、You Tubeも探してみたんですが、やっぱりない。今ならどうでしょう……あるかも? ただそのときはなかった。せめてプロでなくても、どこかの大学の落語研究会の人とかが文化活動として、やってやしないかと思っていたんですが、それもなかったですよ。
この『怪談牡丹燈籠』って話は幕末から明治に活躍した噺家・三遊亭円朝の創作した人情噺で、『累ヶ淵』や『乳房榎』にならぶ円朝代表作の一つ。当時、一五日連続で演じる真打ち用の長編の噺で、文庫分一冊くらい。日本大百科全書によると、円朝23歳から26歳ごろの作(1861年(文久1)から64年(元治1))で、速記本での刊行は84年(明治17)。この物語自体は江戸時代にすでに作られてた。
また、桂米朝さんの著作『落語と私』に載ってる話で、二葉亭四迷が坪内逍遥に、口語文をどう書こうか相談したところ、「三遊亭円朝の速記本みたいに書けばいい」とアドバイスされたらしい(p168)。円朝の話が言文一致運動にも影響していた。日本の近代文学にも影響を与えていたらしい作品てことも、興味を持った理由の一つです。
『牡丹燈籠』のテキストは図書館ですぐ見つけて、せっかくだから、噺家が語ってるのも聞いてみたくなった。お金さえ出せば、まあCDで聞けるだろうと思って探してみて、結局、見つからなかったので。
2.今のプロの噺家には『牡丹燈籠』全編通しは無理なんじゃないかと……その理由二つ
プロの噺家さんの通しの音源がない。それですね、ぶっちゃけ、今のプロの噺家の人たちに、『牡丹燈籠』全編通しの高座は無理なんじゃないかと思うんです。かつ、要約した噺をやるのも難しいと思う。
まず、噺の演出の継承が途切れてしまっているので、長大な演出を自分で作り起こさないといけない、ってあります。高座での演出を再現するのが単純に技術的に難しい、という。プロは失敗できませんからね。
加えて、大きな理由がさらに二つ。
2.1 対費用効果がとても悪い
一つ目の理由は、円朝が活躍していたのが明治で、蓄音機も活動写真もない時代だったから、一五日連続でこういう話を語ることが娯楽になり得たと思うんです。
今、無理でしょう。蓄音機がiPadになって、活動写真もそれで見られるようになってるんですから。そうでなくても、落語や人情噺は大正時代、浪曲・浄瑠璃もろとも蓄音機と活動写真に一回負けてる。
しかも、今じゃ、周りを見ると(You Tubeをサーフィンすると)モンハンあり、遊戯王あり、ポケモンあり、APEXあり、講座系の動画あり、面白いもの何でもあります。将棋やチェスですら、オンラインで対局できる。人情噺、ってジャンルがそもそもエンターテイメントとして負けてる気がする。これらより面白くない。文化的な価値で対抗するしかない。
ですから、せっかく長い話を暗記して演技もつけて芸の工夫をしても、お客が見てくれない。ペイしないので、プロとしては演じることはできない、と。
2.2 要約しにくい物語構造
で、もう一つの理由。この話、要約しにくいんです。『怪談牡丹燈籠』は物語の視点が二つあるので。
飯島家側と新三郎側。この二つの視点を一六話まで交互に話していき、一七話で視点が合流して、二一話下の大団円へつながっていく。
こんな、村上春樹の長編小説みたいな物語構造(江戸時代にそういう手法がすでにあった!)のため、要約しにくい。話を短くしにくい。
要約した話をやろうとすると、どちらか片方の視点のみを語るだけになったりする(たとえば、圓生百席版もそうだし、岩波の円朝全集第一巻月報のエッセイに載っていた下記立川志の輔さんのライブもそう)。
というわけで、プロの噺家たちが誰も通しでやらないんだから、こうなったら、失敗してもいい素人のわたしが自分で演るしかない、と思ったわけです。
3.というわけで、素人の自分がやる(ただし朗読で)
でも「人情噺やります」ってのは怖いから(セリフ暗記もしないし、噺家の高座みたいに演技もないので)、「朗読やります」ということにしました。
「落語やります」とか「人情噺やります」なんて怖くて言えません。桂米朝さんの『落語と私』に書いてある。
こんな訳で、青空文庫の『怪談牡丹燈籠』のテキストに、読みやすよう、聞きやすいよう、手を入れ始めた。全編編集が終わるまで、休み休み作業だったこともあって、一年近くかかりました。
その読み上げを練習して、いつか朗読の動画を作ろうとか思っていたんですが、そう思ってると、いつまで経っても出来やしない。で、思い切って、見切りで全編朗読をやってみることにしたんです。
たとえ誰も聞いてくれなくてもやる。やらないと気が済まないから。たぶん、ほぼ誰も配信を見に来ないと思う。素人芸だし、ネタも誰も見向きもしないクソゲーに等しいし。
でも、失敗してもいい素人のわたしだから出来るんだと思って。
そんな不毛な朗読配信、予定では、全二一話(第二一話が前後編に分かれているので、実質、二二話)を数回に分けてやるつもりです。
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