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未熟者の、夢に、手足を。

ほぼ日の塾、全5回(くらい?)おわりました。わたしが取り組んだ課題については、前回の記事を読んでいただければ、とおもいます。

いやあ、なんだろう。すごーく、すごく、東京のほぼ日オフィスに行くたびに毎回胃が痛くなって、課題が出されるたびに吐きそうになって、真夜中パソコンに向かって、画面とにらめっこして。恐怖のメールにおちこんだりしてみたり(それはまったくの図星だから、なんですけど)。
でも、これってさ、40人クラスに残れたから、落ち込んだり、悩んだり、できたんだよね。その前には、80人クラスに行けたことがすごい。つまり、一歩前に出してほぼ日の塾の募集に応募した時点で、もうそれはすごいことなんだよ、と塾長は懇親会の最後に言ってくれました。そうだなあ。ほんとうに、そうだよな。

結果だけをみることよりも、その途中で、しっかりとみつめること。きちんと考えること。これって、他人から見たら?家族が見たら?とにかくずーっと頭をぐるぐるさせる。それって、物を書くことに限らないこと、です。

わたしは精神状態がほんとうに最悪なときに塾を知って、「ああ、ほぼ日の塾に行けば、なにかいいことがおきるんじゃないか」って、思って、応募して。それくらい、その当時わたしのまわりにはいいことがなかったんです。ほんとに、まわりの塾生の方々には、もうしわけないというか、やましいというか、そんなような応募理由で。
でも40人クラスに選ばれた以上、課題はぜんぶやろう、いまのじぶんにできる範囲で、無理をしないで、いまのじぶんが書きたいことをやろう、そう思って、取り組みました。

ほんとうに、真剣に取り組んだものには、読み手にも伝わるし、その逆もある。書くことの気持ちというか。だから、わたしが真剣に、または時間を理由に書けなかったものには、塾長は辛辣というか、ぐさっとくることばをあえて使っていたようにとおもいます。
3つの課題、それぞれ取り組むことでみえてきたこともある。それとどうじに、どんどんわからなくなることもあって。じぶんの常識が非常識なものとしてひっくりかえったりね。
でも、課題に取り組んできた3ヶ月間で、びっくりするくらい精神状態が落ち着いたんですよね。まあ、寛解、まではいかないんだけれど。やっぱり、どんなメディアでも、SNSにしても、書くことがわたしを支えているのだ、とおもいました。書いているときは、夢中になって、なんでも忘れられるんだなあって、おもう。

課題の評価や、ほぼ日の方々と出会えたこと、それはもちろんなのですが、わたしは、すてきで個性豊かな5期生の方々に出会えたことがたからものだなあ、とおもいます。
運命的な出会いをしたかもちゃん、やさしく、そしてつよく生きているくりこさん、明るさとか、熱量を文章に投じられるぐみさん、最後の課題の相談会で「あなたの詩をよんでみたい。おじいちゃんの詩も読んでみたい」といってくれたポンさん。わざわざほぼ日の感想メールで感想を送ってくれたあやね氏。いつも元気でにこにこしているけれど、考えていることに余念がない菊池ちゃん。
その人たち以外にも、ふだん、わたしが出会わないような人たちが、年代を越えて、性別を超えて、肩書きを超えて、同期として、真剣におなじものを悩んで、苦しんでいた。
わたしがあのとき、虚ろな目で80人クラスに応募しなければ、この40人弱の方々との出会いはなかったことになる。それってもう、奇跡だし、愛だし、偶然とかいう言葉だけじゃあらわせないんだよ。
数々のであいを抱きしめて、わたしは名古屋に帰った。もうあの人達全員と、同じ時間を共有することはむつかしいだろう。でも、また、ぜーったいに会いに行きますから!それまで、生きますから。

「弱っちい自分でもこれだけ書けるという自己肯定感が、ほしいんです」「ほぼ日の塾を使って書くことのリハビリをしたい。書くことって楽しいんだと、再確認したい」。わたしが40人クラスに応募した時の文章の一部分です。
いまでも、自己肯定感が高くなったかと言われると疑問だし、書くことが楽しいってうそなく言えるかというと、うそになっちゃう。でも、でもね。だめだめなわたしだけど、未熟者のわたしだけど、ずっと考えていれば、ぴょこっと手足が生えて、うごうごと歩き出すんだよね。どれだけ小さくても。踏み潰されそうになっても。
わたしはこれからも、そんなぶきっちょで小さいぴょこぴょこした夢を、抱きしめて生きていたい。

改めて、ほぼ日の皆様方、同期の5期生のみなさん、スペシャルサンクス寺田さん笑、ほんとうにありがとうございました。

まだまだ、悩み続けるぞ。
(トップの写真はお庭のてるてももの木)

サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。